1話 不幸

 夜、眠ろうとする時、目を閉じる。

 それは全人類共通の行為だろうと思う。間もなく睡魔に襲われ意識が直ぐに混濁してしまうのであれば、それが一番好ましいのだが、そうでは無いとき。眠らなくてはいけないのにどうしても眠れない時があるのも全人類共通だろう。

 僕はそんな時、こんな戯言を思案したりしている。

 例えば、どこでもいい。小田急電鉄の町田駅前でいい。『不幸』を嘆く人が居たとする。その人は生きるのが辛くて辛くて仕方が無いらしい。死んでしまいたいらしい。

 それを蔑んだり、或いは嘲笑する権利は誰にも無いと思う。その人物が自身を『不幸』だと裏付ける何かが、「誰かに嫌われた」であるとか「やけに信号機に引っかかる」などの他人から見て何とも下らない理由であったとしても、それは変わることは無い。

 僕の持論では、その人物は誰が何と言おうと『不幸』だ。気付いてしまったら、もうそれは『不幸』だ。

 では『不幸』を名乗る人物は不可侵の領域にいて、そこから好き勝手に絶対を主張する事が許されるのか?

 それは有り得ない。


「自分は不幸だから何をしても許される」「あなたより自分の方が不幸だ」「あなたの不幸は不幸では無い」「可哀想な自分に優しくしろ」


 『不幸』を楯にして、そんな戯言を言う権利はない。

 そう、双方が双方をどうこう言う権利なんて最初からどこにもない。

 詰まる所、『自身の不幸』と『他人の不幸』は比べるべき代物では無いということだ。価値観の相違はどんな人間の間でも生じる。それが必ずお互いの障壁となるからだ。


 ――――僕は『不幸』は自分一人だけの価値観だと思っている。


 共有出来ないとは言わない。しかし、他人の『不幸』を理解するというのは途轍もなく難しい事だと言えるだろう。


 ところで、僕は学校で『孤立』していたりする。異常者と後ろ指刺され、陰口と悪意に晒され、どこにも居場所は存在しない。自分のエゴで勝手に起こした【事件】が原因であるので、何の文句の付け様がないし、付ける気もさらさらないのだが、これは僕の認識では、かなりヌルいレベルではあると思うが『不幸』に値する。

 小学校時代、中学校時代でも同じ様な【事件】を起こし、同じ様な生活を強いられてきた訳だが、これも『不幸』だったはずだ。

 そうなってしまった理由は至極簡単。単純明快。直截簡明。


 ――――ただ僕が欠陥品であっただけ。


 それだけだ。そしてそれは、紛うことなき純然な自業自得。

 それでも、何処か、何か一つ歯車が違ったならば、青春を謳歌する自分もいたかもしれない。もし両親が……。もし【あの日】女の子が……。考えてみて直ぐに余す所なく無意味だと気付く。そんな理想は泡沫の夢だ。

 現実と理想は、完全に乖離している。

 現実は渇き切っていて、誰もが他人に施す優しさなどないということは十分に理解しているつもりだ。いつでも、どんな時でも、自分さえ良ければそれで良い。

 自分に損失が出ない範囲で行動し、気分次第で適度に善行に走り、気分次第で悪行を成す。それでいて『自分は善人である』と信じて疑わない。それが人間だ。そう認識している。

 善行は自分以外の為には存在し得ない。その在り方は、良いや悪いで区別できる類のものではない。それが、現代で正しい。それが全てだと思う。

 ここまで全て僕の薄っぺらい持論で話を進めてきた訳だが、何を言いたいのかと言えば。


 ――人間は自分の意識次第で『善人』にも成れ『悪人』にも成れ、かつ『幸福』にも『不幸』にもなれると言うこと。


 僕は――『××』になりたいと心の底から願って生きている。

 

 そして実際に何度もそれを実行してきた。現状はその結果だ。つまり望んで『孤立』したのだ。でもこんなものではまだ足りない。早く誰かを救って僕は――。

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