第2話

 自分の足場をしっかりさせたい。いつも落ち着かなかった。頭の中では絶えず邪念が暴れまわる。外側の世界には興味がなかった。内側の方に意識は常に向いている。労働時も絶えず内省を強いられる。私はいつもそう。外側より内側、現在より過去、物より言葉、科学より文学、直線より曲線、注意より内省、分割より統合、文明より文化、勤勉より怠惰の方に流されていく。はるか昔から二つの世界の間でゆれ動いていた人々。いや、そうやって二元論で語りたがるのは半端な知識人に他ならない。とはいいつつ二元論ほど便利なものもない。

 人生に道などない。それはわかっている。道があることにしておいた方が無難だからそう考えているだけだ。心を病んでいる人には人生の道を提供しなければならない。あなたは今までこんな道を歩んできて、これからも同じ道を歩いていけばいいのですよと言われれば当人も落ち着くだろう。精神分析は病んだ人に道を提供する作業だ。だから私も道を探している。過去を明確にして、ある程度過去に自信が持てるようになるために。

 過去はいつも恐ろしい。あのころのつらい経験が不意に私を襲う。仕事に励んでいるときなど、なにか意識を集中しているときにそれは突発的にやってくる。しかもなぜあの経験が突然脳裏から飛び出してくるのかわからない。経験はランダムで選ばれているのだが、その選考過程に関して私は知る由もない。私は邪念の奴隷だ。常人にできる作業が私には苦痛であり、私はレールから外れ堕ちていくことを強いられる。前には何があるのか。何もないのだろう。未来のことは考えたくない。過去も振り返りたくない。とはいえ現在に踏みとどまるのもつらい。道がほしい。足場のしっかりした道がほしい。

 文章にまとまりがないのは、思考が乱れているのだからしかたがない。書くまでに色々なせめぎあいが多すぎる。私は今日も何も決められない。自分の内を掘り下げていくのは不毛なこと。そのような精神分析的手法はすでに古臭い。自我などないのだよ。21世紀の常識だ。自分の情念よりも他人からの承認が人間存在の根本だというのは正しいのかもしれない。でも私は精神分析的手法を捨てきれない。自分の情念を大事にしたい。人間至上主義が衰退していく時代が来ても、私は情念にすがっていたい。

 

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