第103話『生まれ出でた日に祝福を』2
ピンポーンとドアベルが鳴った。
昼食をとり終えた後だ。
華黒の口がへの字に折れ曲がる。
まぁ気持ちはわかるけどそれなりの対応を。
そう視線に宿してコクリと頷いてみせ、それからコーヒーを飲む。
「私と兄さんの絶対時間が……」
どの系統も百パーセント引き出せるのかな?
客への対応をしに玄関兼キッチンへと消えていく華黒。
しばしの静寂。
それから華黒の悲鳴。
それだけで僕は訪問者の正体を知る。
完璧超人であるところの華黒には希少にして珍しい数少ない天敵だ。
そしてその人物はコーヒーを飲んでいる僕……その居るダイニングに顔を出した。
茶髪のツンツンとした癖っ毛。
怜悧な顔立ちに獲物を狙う猟犬のような瞳。
頬には紅葉マーク。
どうせ華黒にセクハラをかまして頬に平手をくらったのだろう。
その程度は推測できる。
「やあ真白くん」
酒奉寺昴先輩がそこにいた。
春らしいジャケットを翻しながら先輩はダイニングテーブルの席に着いている僕に歩み寄ってくる。
そして、
「時経てど変わらず君は桜の妖精のように可愛いね。とても男とは思えない愛らしさだ。そしてそれ故に私は惹かれるのだろう。まったく罪深い……」
その言葉にこそ僕は引くのだけど。
こっちとしても相も変わらず歯の浮くようなことを呼吸するように口にする人だ。
コーヒーカップをテーブルに置く僕のおとがいを持って、
「さあ妖精さん? 私と愛を深めよう」
唇を近づけ、僕の唇を奪おうとし、
「そんな権利はあなたにはありませんよ?」
華黒によって阻まれた。
華黒が比喩表現ではなく先輩の後ろ髪を引っ張ってキスを阻止したのだ。
助かった。
「痛いじゃないか華黒くん」
「兄さんにキスする権利を持つのは私のみです!」
「では華黒くんに」
「しなくて結構です!」
「君の首筋は甘かったよ?」
「抹消したい体験です……」
何をされたんだろう?
「ともあれ真白くん。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「はい。プレゼント」
そう言って手に持った紙袋を渡してくる。
「中を見ても?」
「無論さ」
入っていたのは小さなガラス瓶だった。
中には液体が。
「香水?」
「プレゼントは消耗品に限るとあったんでね」
青と緑のガラス瓶に入った香水だった。
「緑色が真白くんの物だ。香りはウッド……つまり森。青色が華黒くんの物。ラベンダーの香りだよ」
「香水……ですか」
「私とのデートのときは是非つけてもらいたいね」
「そんな予定そのものがありませんが」
「真白くんは?」
「まぁ先輩がその気にさせてくれるなら……でしょうかね」
「兄さん!」
憤激の華黒。
「その答えで十分だよ」
先輩はくつくつと笑った。
まぁデートくらいで気がまぎれるならそれもいいだろう。
「ところで大学の準備とか大変なんじゃないですか?」
「別に学校が変わるだけさ。一番近場の大学を選んだから引っ越す必要もないしね」
「ちなみにどこでしたっけ?」
「雪柳学園大学。白坂家の領域だが……問題あるまい」
どうせロールスロイスで送迎されるのだろう。
「新しい出会いがありそうですね」
「まったくまったく。高校生とはまた違う恋愛も出来るだろう。大人でも子供でもない……しかして初々しくも甘酸っぱい恋愛事情をね」
ブレないなぁ……この人。
「後輩のハーレムはいいんですか?」
「無論そちらにも愛情は注ぐさ。愛は無限だ。有って有りすぎるということはない。時間は有限だが膨大でもある。ならばハーレムの後輩に会う時間なぞ幾らでも作れるよ」
「さいですか」
愛情定量論者の僕には手に余る思考だ。
先輩の愛を否定する気はないけどね。
「ともあれ誕生日を祝福してくださってありがとうございます」
「なに。真白くんを想えばこそ……さ」
「だからそれに感謝です」
「うむ」
快活に頷くと先輩は、時計を見た。
「そろそろ穂波くんとの待ち合わせの時間だな」
「薄っぺらい愛ですね」
「愛情定量論なんて意識の総合として損するだけだよ。止めたまえ。愛情こそは人間に許された無限のエネルギーさ」
「時間が有限なら注がれる愛情も有限である証拠です。誰かを愛することに時間を使えば、それだけ別の人間を愛する時間が奪われるでしょう?」
「それは一つの結論ではあろうが時間には密度が付随する。なればこそ華黒くんの理論は極論と言わざるをえないね」
苦笑する先輩だった。
「なんなら時間を濃密に感じられる体験をしてみるかい? 私は何時でもいいよ?」
「私は兄さん以外に体を許したりはしません」
「それを言っても無駄って奴だね。華黒くんを取り込むには足がかりとして真白くんを取り込むことから、か。障害があるほど愛は燃え上がる。それについては今更だが……まぁゆっくりじっくりと攻略することにするさ。ではね」
そして昴先輩はヒラヒラと手を振って去っていくのだった。
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