第63話『ポニーテールとシュシュ』2


 次の日。


 クリスマスイブ。


「兄さん、朝ですよ」


 僕は、華黒によって、緩やかに起床へと導かれた。


「ん……おはよう華黒」


「おはようございます兄さん」


 おはようのチュー。


 キスをし終えて、それから僕は覚醒する。


「今日で二学期も終わりです。張り切っていきましょう」


「おー……」


 やる気なく、そう言ってから、ベッドから出る。


 華黒は、素早く僕の自室から、ダイニングへと消える。


 うう……寒い。


 ベッドから出た寒さに、がたがたぶるぶると、震えながらダイニングに顔を出す。


「はい、兄さん。あったかいコーヒーです」


 そう言って、僕の定席に、コーヒーの入ったカップを置く華黒。


 気が利くのは相変わらずだ。


 僕はコーヒーを飲んで、体内からあっためながら、既に出来上がっている朝食を食べる。


 今日の朝食は御飯に納豆に冷奴にわかめの味噌汁。


 クリスマスイブに和食かとも思うけど、どうせ夕食はそれなりのものを用意するのだろう。


 僕は朝食を食べ終えると、学校制服に着替えて、華黒と一緒にアパートを出た。


「うふふぇ……」


 腕に抱きついてくる華黒に、


「語尾がのろけてるよ」


 そう言いながら、僕も悪い気はしなかった。


 腕に抱きついてきた華黒を引っ張って、学校へ通う。


 嫉妬の視線も、今は心地いい。


 学校について昇降口に行き、下駄箱を開ける。


 華黒の下駄箱から、ラブレターが、ボタボタと十通以上舞い落ちた。


 恋人がいるのをわかっていながら、それでも華黒に告白、ラブレター等を送る連中は後を絶たない。


 無駄な決意ご苦労さんと言うしかない。


「で、どうするの? そのラブレター」


「申し訳ないですけど無視させてもらいます。せっかくのクリスマスイブですもの。わずらわしいことに関わりたくありません」


 勇気を出して、クリスマスイブに、華黒に特攻した十数名に、哀悼の意を。




    *




 ちゃんちゃん。


「で、終業式も昼で終わったわけだけど……」


 昇降口で、上履きを脱いで、外靴に履き替える。


「それでは兄さん、クリスマスイブらしくデートでも……」


 そう言う華黒の言葉をさえぎって、


「やあ真白くん。デートの準備はできてるかい!?」


 突如、登場した昴先輩が、僕の肩に腕をまわした。


 先輩の存在に、華黒の口が、への字に歪む。


「この……! 酒奉寺昴……! あなたという輩は毎度毎度……!」


「待った華黒」


「はい、なんでしょう?」


「まったく申し訳ない話なんだけど、放課後は、一時間だけ昴先輩に付き合うことになってるんだ」


「は……?」


 ポカンとする華黒。


「…………」


「…………」


「…………」


 しばしの沈黙。


 そして、


「はぁ!?」


 華黒がはじけた。


「ど、どういうことです兄さん!」


「いやー、本当に申し訳ない。でも一時間だけだから」


「浮気ですか!」


「断じて違う。滅多な事言わないの。僕の気持ちがいつだって華黒に向いてるのに間違いはないよ」


「じゃあ何故!?」


「今は秘密。答えは一時間後にね」


「そういうわけだ華黒くん。一時間だけ真白くんを借りるよ」


「うー……」


 やきもちを焼く華黒は可愛かったけど、申し訳ない気持ちにもなる。


「それと昴先輩、デートじゃなくてあくまで買い物の付き合いですよ?」


「まぁ解釈は人それぞれだね」


「うー……」


 華黒は、ぷっくりと膨れる。


「じゃ、そういうことで。アパートで待ってて。一時間後には必ず行くから」


「兄さんがそう仰るなら……まぁ……」


「大丈夫。すぐに用事を終わらせて帰るから」


「待ってますからね……」


「うん。待ってて」


 御互いに、頷き合う僕と華黒。


「それでは行こうか真白くん。校門にリムジンを停めておくのにも限界がある」


 そう言う先輩に連れられて、僕はリムジンに乗った。




    *




「で、当然のように女装なんですね……」


 僕は走るリムジンの中で、瀬野第二高等学校の女子制服を着せられた。


 リムジンが止まったのは、電車で二駅の都会様様だった。


 まぁ、これで、僕の女装姿が、学校の生徒にばれることはなくなったが。


 先輩は美少女を――皮肉にも僕の事である――連れて都会にくり出した。


 まずは、ブランドショップに連れていかれた。


 そこで、僕は、ジェンダー的なプライドを、ロードローラーで踏み潰された。


 詳しく言えば、着飾り人形にされた。


 あれもこれもとラグジュアリーな服――当然どれも女物である――と一緒に試着室に放り込まれ、僕は昴先輩に来た服をお披露目せねばならなかった。


 そこで三十分ほど時間を潰し、しかも着た服全てを買わないで、僕と先輩は店を出た。


 どうやら僕に、色んな女物の服を着せたかっただけのようだ。


「堪能した」


 と先輩は満足げに笑ったが、こっちとしては、トラウマと四つに組んだだけだ。


 途中、何度も化粧室に行き、嘔吐したのは先輩には秘密だ。


 その後に行ったのは格式高い喫茶店だった。


 先輩も僕も、学校の女子制服を着ている。


 喫茶店にドレスコードもないだろうが、場違いな空気だった。


 学校の生徒が、こんなところに来ても背伸びとしか見られないような、そんな雰囲気だった。


「どうすんべ」


 と思った僕に、先輩はあっけらかんと「ああ、ここの店長と知り合いなんだ。何、ここは奢らせてもらうよ」との言葉により、無理矢理ではあるが納得した。


 ダージリンを飲みながら、先輩が言う。


「やはり君は可愛いな。あんなにもブランド服を着こなせるのは……私のハーレムにもそういない」


 僕はハーブティーを飲みながら答えた。


「お褒めにあずかり恐悦至極」


 ちょっと不機嫌気味に言ってみる。


「ああ、いいなぁ。君を……というより美少女を連れて歩けるのはやはりいいものだな」


「僕、男ですけど」


「些事を気にするな」


「些事……かなぁ?」


 ハーブティーを飲む。


「ところで先輩。華黒にあげるプレゼントの件なんですけど……」


「ああ、そうだね。何、店はもう見つけてある。茶を飲み終えたらそこへ行こう」


「言っときますけどそんなに予算ありませんからね」


「それは心配しなくていい」


「先輩が奢るのも無しですよ。それだと先輩からのプレゼントになってしまう」


「大丈夫。安物だから」


「そう言われると逆の意味で不安なんですが」


「大丈夫だと言ったろう? 万事任せたまえ。何せ私のウルトラCだ」


 それが不安なんですが、とはさすがに言えなかった。


 茶を飲み終えてリムジンに乗る。


 リムジンの向かった先は、女性用の小物を扱った店だった。


 ブランドショップではないらしい。


 先輩は、その内の、一コーナーに僕を連れていき、そして言った。


「これなら華黒くんも喜んでくれるはずだ」


 そう言って“それ”を僕に渡す。


「こんなものでいいんですか?」


「もちろんこれだけではダメだ」


 ダメなのかよ。


「それを華黒くんに渡してこう言うんだ。――――、と」


「そんなんで喜んでくれますかねぇ」


「華黒くんにとって、その君の言葉こそが、何よりのプレゼントになる。これは確定事項だ」


「はあ」


 と曖昧に返事をして、僕は“それ”をレジに持っていく。


 金千円なり。


 と、隣のレジでは、昴先輩が、蝶々を象った髪留めを購入していた。


 青い蝶の髪留めだ。


「それ、どうするんですか?」


「こうするのさ」


 先輩はどこまでもさりげなく、僕の髪に、青い蝶の髪留めを飾った。


「ふえ?」


 ほけっとする僕に、


「よく似合っているよ真白くん。私からのクリスマスプレゼントだ」


「いまいち喜ぶ気に慣れないのは女物の小物だからでしょうか」


「それでもよく似合っているよ」


「はあ、ありがとうございます。あ、じゃあ僕も先輩にプレゼントを」


「いいさ。それより早く車に戻ろう。これから君のアパートまで車を走らせてちょうど一時間といったところだ」


「…………」


 僕はラッピングされた“それ”を抱きしめると、リムジンに乗った。




    *




 ジャスト一時間で僕はアパートに戻ることができた。


 昴先輩は、


「じゃあ私はこれから子猫ちゃんたちの相手をしなければならないから、またね。ハッピーメリークリスマス」


 と言って軽やかにウィンクをして、リムジンで去っていった。


 僕は、アパートの僕と華黒の部屋の玄関を開ける。


 華黒の迎えはなかった。


 キッチン、ダイニングと、電気がついていなかった。


 まるで無人だ。


「華黒ー?」


 華黒の自室のドアを開ける。


「……っ」


 そこで僕は、軽くショックを受けた。


 華黒は、電気をつけない薄暗い部屋で、枕を抱いて、ベッドに体育座りをしていた。


 それは……哀愁の漂う映像だった。


 そうだ。


 僕は、一時間とはいえ、大切な恋人を放置して、別の女性と付き合ったのだ。


 たとえ、そこに裏がないとわかっていても、華黒が落ち込むのは自明の理じゃないか。


 僕は躊躇いがちに声をかけた。


「華黒、帰ったよ」


「兄さん……」


 どこか元気のない華黒が、応答する。


 それは……拗ねたような声だった。いや、実際拗ねているのだろう。


「酒奉寺昴とのデートは楽しかったですか」


 だからこんな嫌味も出る。


「だからデートじゃないって。はい、これ」


 そう言って、僕は、ラッピングされた“それ”を渡す。


 受け取る華黒。


「なんですか、これ?」


「華黒へのクリスマスプレゼント」


「もしかして、これを買うために兄さんは……」


「そうだよ」


 すると、華黒は恥じ入ったように、そわそわしだした。


「あの……私……」


「別にいいって。一時間でも華黒を放置した僕も悪かったから」


「開けてもいいですか?」


「うん」


 華黒が袋を開けて中から“それ”を取り出す。


「シュシュ……?」


「うん、シュシュ」


 それはシュシュだった。


 薄暗い部屋の中で、銀色に光るシュシュ。


「華黒、それでポニーテールにしてみて」


「え、あ、はい」


 そう言うと華黒は、自分の長い黒髪を、後頭部に集めて、シュシュで纏める。


 ポニーテール版華黒の出来上がりだ。


「ど……どうですか……?」


 恥ずかしそうに聞いてくる華黒に、


「うん。とっても可愛いよ、華黒」


「はう……」


 華黒は胸を押さえて、真っ赤になった。


「これが僕からのクリスマスプレゼント」


「ありがとうございます。最高のプレゼントです……!」


「あは、照れるけどね」


「それにしても兄さんはポニーテール萌えだったんですか?」


「ううん。普通のストレートも好きだよ。でもたまにはこういうのも新鮮でいいでしょ?」


「えへへぇ。可愛いって言われちゃいました」


 そう言って、にやける華黒。


 本当に喜んでいるようだ。


 昴先輩の助言も、捨てたものではない。


 上機嫌になったポニーテール華黒は、僕の腕に抱きついてきた。


「それじゃあ兄さん、デートに行きましょう!」


「はいはい」


 僕らは学生服――ちゃんと僕は男子制服だ、念のため――で外へと出た。

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