第58話『黒の歪み』2


 リムジンに連れられること十五分。


 ついた先は大きな武家屋敷だった。


「ここが先輩と統夜の家ですか?」


「そうだよ」


「でかいですねぇ」


 とにかくでかかった。


 というより広かった。


 屋内だけでも何千坪あるかわからないのに、竹林の庭まであるのだ。


 白花ちゃんのおうちに行った時もこんな心情だったな。


 あたまにやのつく自由業のお家っぽい雰囲気とか。


「まぁそう臆するものじゃないさ。たとえ家の全てが六畳間一つだったとしても私は私だ。家の広さなど私にとってのステータスにはならないよ」


 しまいには似たようなことを言い出すし。


「……何か問題でも?」


「いえ、ありません」


 そう言って、僕は先輩に手を引かれてリムジンを降りる。


 案の定大勢の人間が昴先輩を出迎えて、それらをすげなくスルーする昴先輩を追って僕は酒奉寺家に踏み込んだ。


 歩くこと数分。


 ふつう家の中を数分も歩くだろうか?


 開放的な中庭を窓ガラスごしに見ながら、いったいどこに連れて行く気なのだろうかと訝しむほどに時間をとられた僕が口を開くより早く、


「ここを進んだところに道場があってね」


 昴先輩が口を開いた。


「普段は私や統夜が武術の鍛錬のために使っている場所でね。離れになっているから一度草履を履かなきゃならない」


「僕を連れて行きたい場所とはそこなんですか?」


「ああ、そうだよ」


 そう言って何とも形容しがたい笑みを浮かべる先輩。


 その笑みの意味を僕が問うより早く、先輩はくるりとターンして来た道を引き返し始めた。


「え? あの? ちょっと。僕、どうすればいいんですか?」


「道場に行きたまえ。そこに君を待っている人がいる。もう少し進めば離れが見えるよ。草履は好きに使ってくれたまえ」


「そんないい加減な」


「いい加減ではないさ。少なくとも私も待ち人もね」


 ではそういうことで真白くん、と嫌な笑みを浮かべて歩き去っていく昴先輩。


「なにがなんだか……」


 僕は先輩とは逆方向、離れの道場とやらに向かう。


 待ち人ねぇ。


 誰が待っているのか想像もつかないけど会わないわけにもいかないだろう。


 僕はある程度歩いてそれから離れの道場を見つけ、ついでに草履を借りて履き、道場へと向かった。


 道場の前で草履を脱いで、靴下越しに床板を踏む。


 ギシィと鳴る床。道場に入った。


 中にいた待ち人は、


「ようこそ兄さん」


 華黒だった。


 学校をサボったくせに瀬野二の学校制服を着ている。


 妹が広い道場の真ん中にぽつねんと立っていた。


「…………」


 絶句する僕。


 そうかぁ。華黒かぁ。それは考えが至らなかったなぁ。


「どうしました兄さん? ボウとなされて」


「いや、何でも……。それより華黒」


「はい。なんでしょう?」


「なんでこんなところにいるの」


「外界では色々と不便ですから」


「?」


 わけのわからないことを言う妹だった。


「それで? 学校サボって何してたのさ?」


「白坂の御家と大学病院に行ってきました」


「……っ!」


 直球ストレートが飛んできた。


「何しに……?」


 聞くまでもない愚問。


「無論、兄さんと玄冬巌との血縁関係を洗うためですよ」


「そっか……で、どうだった?」


 華黒は無言で首を横に振った。


「書類に不備なし。懇意にしている花岡先生も保証してくれました」


「だろうね」


 酔狂ででっち上げられる程度の事実とは思えない。


「なら僕と華黒が兄妹だってわかってくれた?」


「はい。それは認めましょう。それを認めなければ先に進めません」


 なんだ。


 認めるんだ。


 ちょっと意外。


 もっとごねるかと思ったのだけど。


 いや、それとも白坂の御家や花岡先生相手にごねにごねて、それでも駄目で今冷静になれているだけなのかもしれないけど。


「私と兄さんが兄妹……。それは認めます。ですから、兄さん……」


「はいはい?」


「私と逃げましょう?」


「…………」


 この僕の沈黙をどう受け取ったのか、華黒は言葉をつづける。


「ここでは駄目です。私と兄さんを分かつ障害が多すぎます。もっと邪魔のない場所にいきましょう。二人以外の誰もいない場所へ」


「…………」


「人も法も常識もない場所でなら、兄さんだって私を愛することに躊躇いを感じずにすむのでしょう?」


「…………」


「引け目を感じずにすむのでしょう?」


「…………」


「ならそうできる場所に行くべきです」


「…………」


「私達が愛し合うことに対して、あらゆる努力は惜しむべきではありません」


 そう言った華黒の、その右手が背中へと回されてまた元の位置に戻ったとき、そこにはマイオトロンが握られていた。


「華黒、そのマイオトロン……もしかして本気?」


「当然です。義理だと思っていたから兄さんが納得できるよう成人するまで待つつもりでしたが……」


 やれやれと首を振る華黒。


「そういう問題ではなかったみたいですね。でも、だからこそ逆に吹っ切れました。いつまで待っても叶うことがないなら、もう成人を待つこともありません」


「…………」


「ふぅ……まさか本当に血が繋がっているなんて……馬鹿馬鹿しいったら……」


「僕も驚いたよ」


「とはいえ、結婚するだけが愛の証明ではありませんし……兄妹の恋愛までは法で規制されてはいません。問題ないとは思いませんか?」


「……僕が何て答えるか。華黒はわかってるんじゃないかな?」


「ええ、ええ、わかっていますよ。とかく兄さんは常識にコンプレックスを持っていますからね」


「華黒、僕だけが世界じゃないよ」


「兄さんは自分が見えていないからそんなことが言えるんですっ!!」


「華黒だって僕しか見えてない」


「そうですよ! だからこそ私たちは二人で一つだったじゃないですか! 自分が見えない兄さんと、兄さんしか見えない私で、何とか互いの視界を補完しあっていたのではありませんか!」


「まぁ、そうだね」


 華黒は僕がいないと生きる意味を失う。


 僕は華黒が監視していないと他者のために死にかねない。


 ある種の運命共同体だ。


 そういう風にできている。


 そういう風に作られた。


 そうしなければ、僕らは生きていけなかったから。


 でも……。


「でも、だからといって兄妹の分を超えていいわけじゃないよ」


「その理屈が一分でも通るのなら、今日までの私と兄さんの関係は存在しえません」


 ……その通りだ。


「言葉を交わすのはこれくらいにしませんか。こうなった時の私たちが一度でも示談で済ませたことはありましたか?」


 ない。


 ありえない。


 パズルのピースは互いに噛み合っているときには容易に離れることはないが、一度ずれればずれた状態で噛み合うこともまたないのだ。


「結局、どっちが我を通せるかってことになるわけだ」


「そのためのマイオトロンです」


「……さいで」


 用意周到なことで。


「一つ聞くけどね。そうやって暴力に訴えることで僕から嫌われるとは思わないのかい?」


「たしかに常識コンプレックスとしての兄さんはこういうことを嫌いますね。でも、その非常識が兄さんに向けられたものなら、兄さんは許してしまうのでは?」


「…………」


「図星みたいですね!」


「っ!?」


 感嘆符と同時に一気にトップスピードにのった華黒が僕との間合いをつぶす。華黒の右手に握られたマイオトロンが閃く。僕はその閃光を、後ろに飛び退くことで避けた。さらに後ろに飛んで道場から飛び出すと靴下のまま地面について華黒との間合いを取る。


「逃がしません……!」


 そう言って間合いを潰そうと走り出す華黒。


 けど、一瞬遅い。


 僕は発症する。


 視覚が、赤いフィルターを被せたかのように真っ赤になる。


 聴覚が、雑音を静寂へ書き換えたかのように静かになる。


 感覚が、世界から切り離されたかのような浮遊感に満ちる。


 色も音も痛みもない世界で、僕は華黒と向き合う。


 赤と黒のコントラストの華黒が僕めがけてマイオトロンを突きだす。


 遅し。


 僕は冷静に華黒の右手めがけて右手をぶつける。


「っ!」


 華黒がマイオトロンを取り落す。


 僕は地面に落下する前にマイオトロンを拾い上げると、華黒の学校制服ごしにマイオトロンを接させた。そしてスイッチを入れる。ビクンと一度過敏に痙攣して、それから華黒は気絶した。


 気絶した華黒を抱き寄せて、僕は御転婆な孤独の姫に囁く。


「それでも……やっぱり行けないよ。華黒が僕のために、僕以外の全てを捨てるなんて許せるわけがないんだ」


 華黒には残酷かもしれないけど、それが僕の答えだ。


「なんだ。君が勝ったのか。意外だったな……」


 声のした方を見れば、着物を着崩した昴先輩が本邸の縁側を歩いてこちらに近づいているところだった。


「お膳立ては先輩が?」


「まぁね。華黒くんにお願いされては否とは言えまい?」


「…………」


「それにしても寝顔だけならなんとも愛らしいね、華黒くんは。これが起きたら苛烈な反応をするとはとても思えないあどけなさだ」


 僕は華黒をお姫様抱っこで抱き上げると、昴先輩に渡した。華黒を受け取る先輩。


「多分、起きたら……華黒の奴、泣くと思うんですよ。宥めてやってください」


「それは君の仕事だろう?」


「僕ではダメです。僕だと華黒はまたマイオトロンを使いかねません」


「だからって私でいいのかい? 私はこの通りの人間なのだがね」


「華黒がもし自棄になって昴先輩を求めるなら、それもありだと思います」


「君はどうするんだい?」


「僕には……」


 うん、決めた。


 自分と華黒とを天秤にかけて、僕は答えを見出した。


「僕には……やることがあります……」

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