第59話『超妹理論』1


 華黒は泣いたのだろうか。


 昴先輩はうまく宥めてくれただろうか。


 それは僕にとって心配事の一つだった。




    *




 華黒と決別した二週間後。


 僕は二週間ぶりに学校に登校した。


 つまりあれから丸々二週間学校を休んでいた計算になる。


「ふわあ……」


 などと呑気にあくびをしながら僕は久しぶりのクラスに入った。


 自分の席に近づいたところで親しきクラスメイトと目が合う。


「久しぶり、統夜」


「久しぶり、と言いたいところだがその前に質問だ」


「何さ?」


「どうなってる?」


「質問が抽象的すぎるよ」


「お前、この二週間何してた」


「実家に帰ってたよ」


「アパートに行っても梨のつぶてだったのはそのせいか」


「なんだ。来てくれてたんだ。ごめんね」


「携帯も通じなかったしな」


「ああ、それもごめん。ちょっと電源切ってたから」


「二週間ってのはちょっとか?」


「僕の認識ではちょっとだよ」


「詭弁だ」


「まぁね」


 それは否定しない。


「それで、どうなってる?」


「以下略」


「……華黒ちゃんがうちに引き籠ってんだが。もう二週間も」


「お邪魔してることには謝っておくよ」


「そんなことはどうでもいいんだ。うちは広いし金もある。そんなことは些細な問題だ」


「うわ、自慢」


「だが事実だ」


「まぁね」


「で、お前はこんなところで何してんだよ。なに華黒ちゃんを放っておいているんだよ……!」


 そう言う統夜の目にあるのは真摯なまでの怒り。


 でもまぁそんなものに付き合う気は……今は無い。


「今はまだ無理だから」


「あ?」


「今の僕が迎えに行っても意味がないんだ。だからもうちょっと華黒のこと囲ってて」


 おねがいかっこはーとまーく、とぶりっ子ポーズでお願いすると殴られかけた。


「暴力反対!」


「……まぁいい。決着、つける気あるんだろうな?」


「一応ね」


 そう言って僕は自分の机に鞄を置くと、教室を出るため歩き出す。


「おい、どこ行くんだ真白。もうすぐホームルームだぞ……」


「サボリ。担任には持病の癪が、って言っておいて」


 さて、第二ラウンドといきましょう。




    *




 そこからさらに二週間後。


 華黒と決別してから実質一ヶ月の時が経った。


 僕は酒奉寺家のインターフォンを鳴らした。


 使用人と応対して、やけにでかい玄関が開くと、そこには酒奉寺昴先輩が立っていた。


 着物姿がやけに似合う。


「あ、お久しぶりです昴先輩」


「久しぶりだね真白くん。一ヶ月ぶりかい?」


「そうなりますね」


 首肯する僕。


「それで? 何しにきたんだい真白君?」


「華黒を引き取りにきました」


 嘘をついてもしょうがないので正直に言ってみる。


 先輩は「はっ」と、おそらくは呆れたのだろう。


「……都合のいいことを言うね。ちょっと意外だったよ。君にそんな鉄面皮な部分があったなんて」


「はぁ。鉄面皮、ですか……」


「一度自分の都合で引き離しておきながら、また華黒くんを求めるのかい? 自分に惚れた女は扱いやすいものだ。その気持ちはよくわかるけど少々ゲスじゃないかい?」


「先輩と議論しても意味はないんですが……」


「今、華黒くんが何をしているか知ってるかい?」


「知るわけないじゃないですか」


「だろうね。一ヶ月も放置してたんじゃあ」


「…………」


 言葉もない。


「部屋を一つ貸してるんだけどね。そこでずーっと日記を書いてるんだよ。延々に。一日中ね。君と出会ってからのことをずーっとずーっと。今日は兄さんに何々してあげた。今日は兄さんが私に何々してくれた。そんなことばっかりずーっとね。さすがに睡眠と食事と手洗いはするよ。勧めれば風呂に入るし、会話も出来る。こっちの質問に返答もするから判断も大丈夫なはずだよ。わかるかい? 彼女はつくづく優秀なんだ。壊れようと思っても壊れられない。君と違ってね。根源的な部分は丈夫なんだ。でも……だから救われない。いっそ壊れて判断がつかなくなれば幸せなんだろうけど……彼女はそれができない。自棄できないんだよ。だから日記さ。自分の中に逃げ込めないから自分の中の大切な部分をずっと紙に記し続ける。目に見て読める形にする。あるいは筆記そのものに没頭する。優しかった君の記憶を手繰ることで何とか自分を守ってる。それが自分を傷つけてるなんて思いもしてないんだろうね。そうやってしか心を守れないから」


「…………」


 そんなことしてるのか、華黒の奴……。


「自分が見えない君と、君しか見えない彼女。互いに補完しあう……まるでパズルのピースのようだけどね……それはあくまで君の立場での話だ。傲慢極まりない考え方だよ。彼女の立場に則って考えるとこれは地獄だ。君しか見えない彼女には君以外の代替がきかないけど、自分が見えない君は君を見てくれるのなら彼女じゃなくてもいいんだ。彼女にとって君は代えがきかないけど君にとって彼女は代えがきくんだ。わかるかい? 彼女のことを積極的だと思ったかい? それはそうだよ。当然さ。だって君が他に大事な人を見つけたら彼女はもういらないんだもの。彼女には君しかいないのに君はいつ離れていくかわからない。しかも当の君は言い寄っても生返事。そりゃ積極的にもなるさ。気が気じゃないからね。君の気が離れたら華黒くんは袋小路だもの」


「…………」


「そこまで追い詰めて、突き放して、壊して、それなのにまた儚い希望を持たせる気かい? 鬼の所業だよそれは」


「儚くなんかないですよ……」


 そうさ。


「儚くなんか……ない」


「とりあえずここは通さないよ」


 昴先輩は玄関の扉によっかかってそう言った。


 マジで?


「通りたいならそれなりの仁義を見せてもらわなきゃ」


 仁義ねぇ……。


 あまり人に見せたいものじゃないけど、しょうがないか。


 一カ月もの間、華黒を放置したことは事実だから。

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