第57話『黒の歪み』1


 次の日。


「ん……んん」


 意識を一段階覚醒させる。


 ぼーっとした頭で考えたのはアラームが鳴っているなぁという客観視。


「Ppp! Ppp! Ppp! Ppp!」


 音が突き刺さる。


 不快指数が右肩上がり。


 意識をもう一段階覚醒させる。


「うにゃぁ」


 僕はベッドから腕を伸ばして、アラームのスイッチボタンを押した。


 音の丁々発止が止まる。


「うにゅう」


 意識をもう一段階覚醒させる。


「ふわ……」


 あくびを一つ。


 ベッドを降り、それから今日は華黒がベッドに侵入してこなかったことに気づき、


「……まぁそんなもんだよね」


 昨日のことを思い出す。


 ショックを受けて呆然とする華黒はある意味見ものだったが、閑話休題。


 これで決定的になった僕と華黒の溝はどうやっても乗り越えられないものだ。


 華黒が僕を拒否したっておかしくはないほどのものだ。


 寂しさがないと言えば嘘になる。


 そう簡単に恋心がリセットされるなら誰も恋愛に四苦八苦などしない。


 愛別離苦という奴だ。


 ほんと、冗談だったらいいのにねぇ。


 僕は自室を出てダイニングへと足を向ける。


「華黒、おはよう」


「おはようございます兄さん」


 と返ってくるはずだった言葉がない。


「…………」


 ダイニングは無人だった。


 キッチン兼玄関を覗いてみる。


 華黒の姿はない。


 いちおうノックをしてから返事がないことを確認して、華黒の部屋に入る。


 いない。


 ダイニングに戻る。


 テーブルの上を見やるとトーストとサラダとスープと置手紙があった。


 置手紙を読む。


『今日は所用で学校を休みます。兄さんはちゃんと学校に行くこと!』


「…………」


 所用?


「何を考えてるんだ華黒の奴……」


 はてしなく嫌な予感がしたけど、とりあえず当人はここにはいないので問い詰めることもできない。どうせ携帯電話も梨のつぶてだろう。


 どこに行ったか知らないけど、人様に迷惑をかけてなければいいのだけど。


 なんとなく国会議事堂に行って兄妹の結婚の承認を無理矢理とろうとする華黒を想像して、ありえそうなのが恐く感じた。あいつならやりかねん、みたいな。


「まぁないだろうけど……」


 独りごちつつトーストをかじる。


 スープはレンジで温め直して。


 その間にサラダをシャクリ。


「御馳走様でした」


 見えざる妹に合掌。


 さて、今日も学校に行かねば、ねばねば。




    *




 朝食の後片付けや登校の準備をしていると予想以上に時間をくってしまった。


 ので、学校には遅刻ギリギリだった。


 早足で歩いて教室に入る。


 ザワリと小さな小さなどよめきが教室に波紋のように広がる。


 それから妙な沈黙。


 僕が教室に入るといつもこんなんだ。


 まぁしょうがないといえばしょうがない。それに今日は華黒いないし。


 僕は痛々しい視線のレーザービームを故意に無視して自分の席に着く。


「おはよう真白」


「おはよう統夜」


 隣の友人はいつもの通りだ。


「華黒ちゃんはどうした?」


「今日は休み」


「風邪か?」


「じしゅきゅーこー」


「はあん」


 奇天烈な声を出して納得する統夜。


「もしかしてそれは昨日のことと関係してるのか?」


「……多分」


 確証はないけどね。


「大変だな、お前も」


「まぁどうにもならない案件だし大変ってほどでもないけどね」


「あっそ」


 そう言ってる間に教室に担任が入ってきて朝のホームルームが始まった。




    *




 昼休み。


 僕は購買部でカレーパンとカツサンドとコーヒー牛乳を買うと、ぷらぷらと校舎を歩き回った。


 さて、どこに腰を落ち着かせようかと考えてると、ふいに後ろからお尻を撫でられた。


「ひあっ!」


 裏返った声で悲鳴をあげ、それから後ろを振り返ると、


「やあ真白くん。今日も君は木苺の妖精のように愛らしいね」


 酒奉寺昴先輩がいた。


 先輩は僕の手を握って自分の方へと強引に引き寄せると、抱きついて、僕の首元に甘噛みする。


「ちょちょちょ! 先輩!?」


「うーん、可愛らしい反応をしてくれるね。ねえ、君、本格的に私のハーレムに入らないかい?」


「いやいや!」


「あー……たまらなくなってきた。本当に罪な子だね君は。私をこんなにも責め立てる」


「いやいやいやいや!」


 僕は無理矢理先輩の抱擁を脱して、それから距離をとる。


「昼間っから発情しないでください!」


「それについては君が悪いだろう」


 そんなわけがない。


「ほら、周りの視線もありますし……自重してください」


「なんだかねえ……そんなものが愛の前に立ちふさがれるとお思いかい?」


 思いますとも。


 周りを見てみなさい。


 同じ廊下から、隣接している教室から、嫉妬と敵意の視線が僕に刺さる刺さる。


 彼、あるいは彼女たちの視線はこう言っている。


「「「「「百墨華黒だけならまだしも酒奉寺昴まで!!!」」」」」


 ただでさえ目立つ二人だ。


 それが僕と逢瀬をしていると見られれば当然周りの反感などあるわけで。


「勘弁してください」


「では続きはまた後日というわけかい」


「続き、あるんですか?」


「当たり前だろう?」


 そう言ってペロリと自分の上唇を舐める先輩。


「遠慮しておきます」


「そうかい? まぁ一度快楽の虜になってしまえばそんな言葉も言えなくなるだろうけどね……」


 ナニをする気だ……。


 じり……と間合いをとって昴先輩を警戒する僕の、その真横から衝撃が来た。


「昴様から離れなさい下郎!」


「げうっ!」


 その衝撃はドロップキックだった。


 廊下に隣接している教室から飛び出してきた少女が僕にドロップキックをかましたことだけは、よろけながらも認識した。


「おや……穂波くんじゃあないか」


「昴様!」


 蹴倒された僕を無視して、穂波さんとやらは昴先輩に抱きついた。


「こんな男に関わっては昴様の品位が疑われます!」


 僕から積極的に関わったわけじゃないのだけど……。


「ふ、嫉妬かい穂波くん? 可愛いじゃないか」


「嫉妬なんてそんな……。ただ私は昴様が男なんかと関わることが許せなくて……」


「安心したまえ。私が他に誰を愛そうとも穂波くんへの愛は不変であるよ」


 そう言って先輩は穂波さんに躊躇もなくキスしてみせた。


 もう勝手にしてくれ。


 僕は、二人だけの空間を作っている昴先輩と穂波さんに背を向けて、その場を去った。


 しかしいいドロップキックだったなぁ……。まだ痛いや。




    *




 ウェストミンスターチャイムが鳴る。


 今日の学業終了の合図だ。


 いやー、今日もまたよく学びました。


 嘘だけど。


「おう。気を付けて帰れよジャリども」


 不機嫌そうな顔でそう言って担任の教師は教室から退室する。


 僕はといえば統夜を誘って帰ろうかとも思ったのだけど華黒の動向が気になって、とりあえず直帰を選択した。


 昇降口で外靴に履き替えて、校門まで歩く。


 ……と、


「やあ、真白くん。待っていたよ」


 校門には昴先輩がいた。


 ただし昼休みのような学校制服ではなかった。


 先輩は何故か三つ揃いのスーツを着て、手にはバラの花束を持っていて、背後にリムジン――白花ちゃんといい先輩といい金持ちはリムジンが好きなのだろうか?――を待機させていた。


 案の定「何事か」と注目する下校中の生徒たちの視線など気にする風もない。


 まるでこれから一世一代のデートに向かうかのような先輩の勝負姿に、戸惑いを覚える僕。


 そんな僕を置き去りに、先輩は僕へと歩み寄り、


「チャオ、アミーカ」


 イタリア風に挨拶をして、僕に花束を渡してくる。


「……僕、男ですけど」


 とか言いつつ一応花束を受け取る僕。


「今日君をエスコートするのは私の役目だ。私がヒーローで君がヒロイン。何か問題でも?」


「まぁ色々と……。ていうかこれから僕をどこかに連れていくんですか!?」


「そう言ったよ」


「今から家に帰るつもりなんですけど、僕」


「まぁまぁそう言わずに付き合いたまえよ。これも渡世の義理だ」


 そう言って、どこまでも優雅に先輩はリムジンの扉を開き、慇懃に一礼してみせた。


「さあカボチャの馬車へどうぞ、お姫様。この魔法は一夜限りのものであれば、急いていらっしゃい」


 嫌な予感がしたけど、多分逆らうって選択肢は残っていないだろう。


 ここまで場を作っておきながら僕を逃がす昴先輩とは思えない。


「どこに行くかくらい聞いてもいいですか?」


「なに。私の家だ。そう警戒することもない」


 それくらいなら……まぁ……。


 いや待て。


 女子の家にお呼ばれって、それはどうなんだ?


「……なーんて、あるわけないか」


「何か言ったかい?」


「いえ。何も」


 相手は酒奉寺昴だ。ラブコメ展開を期待するには先輩は突きぬけすぎている。


 とりあえず僕は先輩に連れられてリムジンに乗った。


 まぁ背の低いバスだと思えばリムジンにもそれほどかしこまることもない。


 向かうは昴先輩の家。


 そう言えば統夜と遊ぶこともあるのに酒奉寺家には行ったことないな、僕。

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