第56話『タブ†ラヴ』2


 学生食堂略して学食で統夜は席に座って腕を組んだ。


「それで?」


 それからテーブルに頬杖をついて僕に催促する。


「話ってなんだ?」


「話?」


「お前が言ったんだろうが。話があるって」


「そうだね。僕が言った」


 そう言って僕は肉うどんをすする。


 統夜は弁当を広げている。


「で、なんだよ? 話って」


「ん。実のところなんでもない」


「は?」


「だから……実は話なんてないんだ」


「じゃあどうして?」


「ちょっとね、華黒と距離をとりたくて」


「なんかあったか?」


「うん。なんかあった」


「喧嘩か? いや、違うな。そうならさっきの華黒ちゃんの態度は普通すぎる……」


「聞かないで。自分でも今持て余してるんだ」


「まぁ、別にいいんだけどな」


 そう言って弁当を食べ始める統夜。


 つっこんでくれないことが今は嬉しかった。


 僕らは無為に昼休みを過ごす。




    *




 放課後はいつも通り華黒と一緒に帰った。


 本当は一人になりたかったけど、あまり突き放すのも考え物だ。


 帰りに寄ったスーパーで、オリーブを見かけた華黒によって今日の夜食はプッカネスタに決まった。


 家に帰ると、華黒は早速エプロンをつけて料理に取り掛かる。


 僕は読んでいる途中だったとあるSF小説を読みながらパスタが茹で上がるのを待った。


 オリーブのいい香りがダイニングからしたと思ったら、案の定華黒が僕を呼んだ。


「兄さん、プッカネスタできましたよ?」


「ん……今行く」


 本にしおりを挟んでベッドへ投げ置くと、僕は椅子から立ち上がった。


 ダイニングに顔を出すと、妹の言葉通りプッカネスタができていた。


 食事の席に着く。


 合掌。


「「いただきます」」


 食事開始。


 フォークでパスタを巻き込んで、一口で食べる。


 パスタを麺類のようにすするのはマナー違反だ。


 テーブルを挟んで対面で華黒がパスタを巻き取りながら聞いてくる。


「プッカネスタなんて初めてでしたからちょっと自信がないんですけど……おいしいですか?」


「うん」


「そういえば昼休みのことですけど」


「うん」


「統夜さんと何を話されたんですか?」


「うん」


「…………」


「…………」


「兄さん?」


「うん」


「次にうんと言ったら兄さんの負けですよ?」


「うん」


「…………」


「…………」


 パスタを口に入れる。咀嚼。嚥下。


「兄さん!」


「うわ! ……はい? どうしたの華黒?」


 いきなりな華黒の大声に我にかえる僕。


「どうしたんですか兄さん? 何か悩み事でも?」


 ……悩み事ね。


 あるよ。


 とても大きなものが一つ。


「…………」


 なんて言えるわけもない。


 僕たちが本当の兄妹だなんて。


 華黒は諦めたように、はあ、と吐息をついた。


「……もういいです」


「ごめん。華黒……」


「プッカネスタ、おいしいですか?」


「……うん」


 そう言って僕はパスタを巻き取る。




    *




「ならんで歩く君とこの道を……雪に刻まれる僕たちの足跡……今は交わることはないけど……きっと地平線の向こうで一つになれる……」


 そんな歌を歌いながら僕は湯船に肩までつかった。


 じんわりと熱が僕の中に染み渡る。


「ふいー……」


 おじんくさい吐息を一つ。


 お風呂は好い。


 癒される。


 特に気が滅入っているときには至福にすら感じられる。


 さて、どうしよう?




 華黒は僕の本当の妹。




 そこまでは理解した。いや、せざるを得ない。授業も放棄して一日中考えたのだ。そこを否定することはとうに諦めた。


 ジャアドウスル?


「どうしよっかなぁ……」


 チャポンと天井から落ちてきた水滴を見つめながら思考の渦に入り込む。


 と、


「兄さん、入りますよ?」


 そう言う声が聞こえて風呂場の扉が開いた。


 入ってきたのは、当然……華黒。


 裸……ではなかった。珍しく良心が働いたのか白花ちゃんの別荘に行った時の水着、花柄のビキニを着ていた。パレオは無しだ。水着は華黒の体のふくらみを見事に引き立てていた。


「ななな、何してるのさ華黒!」


「たまには兄さんと裸のお付き合いがしたいと思いまして」


「馬鹿言ってないで早く出て!」


「兄さんには二つの選択肢があります。私と水着のままお風呂に入るのか。それとも本当に裸のお付き合いをするのか」


「なんで二択なのさ!?」


「ちなみにそれ以外の回答は全て後者の選択と取らせてもらいます」


「不条理!」


 叫ぶ僕を無視して華黒が湯船に浸かってくる。


 さすがに学生向けアパートの風呂の広さなどたかが知れているので僕と華黒は体育座りをして、しかも互いの足を交差させねばならなかった。


 密着状態過多。


 ついでにこっちは全裸なのだ。


 この状況はどこまでも不条理だ。


「華黒……わかってると思うけど僕だって怒るときは怒るんだからね」


「わかりません」


「華黒!」


「兄さん!」


 恫喝する僕に叫び返して、それからキッと華黒が僕を睨む。


「怒りたいのは私の方です。言っている意味、わかりますね?」


「…………」


 沈黙は肯定。


 それは痛いほど伝わっているだろう。


「どうしたのです? いったい……」


「何でも……ないよ……」


「そんな見え見えの嘘は止めてください」


 じゃあどうしろっていうのさ。


「兄さん……」


 華黒は見るもの全てをとろけさせるような情熱的な瞳を僕に向ける。


 それからグイと顔を近づけてくる華黒。


 キスまであと数センチ。


 僕は顔を横に向けることで、華黒のキスを頬で受け止めた。


 キスが終わり、すると今度は華黒は確信めいた瞳を僕に向けた。


「やっぱり」


「何がやっぱりなのさ」


「兄さん、私を避けてますね?」


「何を根拠に」


「根拠なんて昨日からそこら中に見て取れますよ」


「…………」


 ……まぁ……それは否定しない。


「いったいどうしたというんですか……?」


「どうかしたのさ」


「それではわかりません……!」


「なら聞くかい?」


「聞かせてください。兄さんの悩みなら私の悩みでもあります」


 まさにその通りだ。


 華黒と言葉のニュアンスとは食い違うものの華黒の言葉は今は「真なり」だ。


 だから僕は話した。


 ナギちゃんの正体。


 僕が白坂家の人間だということ。


 そして玄冬巌の子供だということ。


 それは即ち僕と華黒は本当の兄妹であること。


 全て、洗いざらい話した。


「…………」


「…………」


 沈黙。


 まぁそれが妥当だろう。


 天井から落ちてきた水玉がピチョンと風呂に跳ねる。


「……嘘です」


「嘘じゃないよ」


「……デマです」


「デマじゃないよ」


「私と兄さんが……本当の兄妹……?」


「そうさ」


 それ以外の答えなどない。


「だって、でも……兄さんは孤児院から玄冬家に……!」


「それは僕も言ったよ。でも面白くない予想が立つだけだってさ」


「嘘です!」


「本当なんだよ!」


 華黒の希望の吐露を僕の絶望の吐露が塗りつぶす。


「全部本当なんだよ! 僕と華黒は血のつながった兄妹なんだ! それともこんな大がかりな嘘を白花ちゃんがつくとでも!?」


「だって……兄さん……そしたら……」


「そうさ! 僕と華黒は恋しちゃいけないんだ! 愛し合っちゃいけないんだよ!」


 禁断の恋とはよくぞ言った。


 冗談だろう神様?


 今はこんなにも密着しているのに、立場としての華黒はとても遠い。


「そんな……そんな……あの男……っ! 死んでまで私と兄さんを弄びますかっ!!」


 華黒は衝撃からぬけられないようだった。


 昨日の僕と同じ状態だ。


 悩むだけ悩むがいいさ。


 その果てに何が待つのかは僕の知るところじゃない。

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