第55話『タブ†ラヴ』1


 次の日。


「兄さん、兄さん、起きてください」


 華黒に揺さぶられて僕は覚醒した。


「ん……眠い」


「今日からまた学校ですよ。起きてくださいな」


「ん~」


 それもそうだ。


 意識を覚醒させて、僕は起き上がった。


「……ふあ」


「大丈夫ですか?」


「だいじょうび。それより華黒、コーヒー入れて」


「はいな」


 すたたっと僕の部屋を出ていく華黒。


 僕は軽く背伸びをして、


「…………ぁ」


 昨日のことを思い出した。


 思考がガツンと衝撃を受ける。


「あー……あー……あー……」


 弱ったな。


 どう華黒に接したものか。


 悩む僕など知らぬ華黒は、


「兄さん、コーヒーできましたよ」


 そう言って花のように笑うんだ。


「ああ、うん」


 とりあえず朝食だ。


 僕はダイニングへと足を運ぶ。


 朝食はサンドイッチだった。


 僕はコーヒーを飲みながらツナサンドを手に取る。


 咀嚼。嚥下。


「おいしいですか?」


「ん……おいしい」


 言ってコーヒーを飲む。


 インスタントの割に風味豊かだ。


 これあるを待っていた華黒の功績だろう。ほめてつかわす。


 さらにタマゴサンドを取って食べる。


 これも見事。


 コーヒーを一口。


 華黒がレタスサンドをとって僕の口元に近づける。


「兄さん、あーん」


「…………」


 僕の中のもう一人の僕がささやく。


 お前らは本当の兄妹だ、と。


「……朝からそんなことしないの」


 僕は華黒の手からレタスサンドを奪い取って自分で自分の口に放り込む。


 咀嚼。嚥下。


「あん。兄さん意地悪です……」


「そうなんです。僕は意地悪なんです」


 他に返しようもなくそう答えた。




    *




 姿見の前で髪を櫛でとかす僕。


 うーん、なかなか纏まらない。


 くしくしと髪をとかす。


「兄さん、早くしないと学校に遅刻してしまいますよ?」


「うーん、あとちょっと」


 くしくし。


「何をやってるんです?」


 学校制服姿の華黒がひょいと僕の部屋をのぞき見た。


「髪がいうことを聞かなくて……」


 言いながら、くしくし。


「それでしたら私に任せてくださればいいのに」


「ん、じゃあお願い」


「はいな」


 そう言って華黒はスプレー状の何かを持ってきた。


「華黒、何それ?」


「お湯が入った霧吹きです。お湯ですから髪にやさしいですよ」


「ん、じゃあお願い」


 僕は櫛を華黒に渡す。


 ほどなくして僕の髪は綺麗に整った。


 こういうところはさすがに女の子。よくできる。


「ありがとう華黒」


「いいえぇ。それより早く出ましょう? 遅刻してしまいます」


「うん、そうだね」


 僕もすでに学校制服に着替え終わっている。二人して玄関に立つと、僕はポケットから家の鍵を取り出す。


「いってきます」


 誰もいない空間にそう言ってガチャリと施錠。


 鍵を制服のポケットに入れるのと同時に、


「えいやー」


 華黒が僕の腕に腕をからめてきた。


「えへへ~」


 そう華やかに笑う華黒。


 僕の中のもう一人の僕がささやく。




 瞬間、




 僕は華黒のまとわりつく腕をほとんど乱暴に振りほどいた。


 …………。


「…………え?」


 振りほどかれた華黒が呆然とする。


「…………」


 僕は何も答えない。


 沈黙が五秒ほど続いて、それから……、


「ごめん。何やってんだろうね? 僕……」


 今度は僕から華黒の手を握る。


「あ、なんですか。ちょっとびっくりしちゃいましたよ、もう」


「ごめんごめん。急だったからちょっとこっちもびっくりしちゃって……」


「そですか。それじゃしかたありませんね」


 ……うん、しかたない。


 ……しかた……ない。




    *




「ふや……」


 僕は教室につくなり突っ伏した。


「お疲れのようだな」


 隣の席の統夜が皮肉ってくる。


「…………」



 疲れもするさ。


 華黒と二人で手をつないで登校すれば嫌でも視線のレーザービームにさらされる。


 気苦労と言えばそれまでだが、これが中々のプレッシャーだ。


 ……けれどそんなことさえ今はどうでもよくなりつつある。


 昨日は放棄した思考の渦と今日は対峙しなきゃならないからだ。


 なんとかしなきゃいけない。


 けどどうしようもない。


 そんなジレンマがずっと僕を苛む。


「あ、そうだ統夜……」


「なんだ?」


「今日、一緒に昼ご飯食べない?」


「あ? 華黒ちゃんとはいいのか?」


「うん、今日は別行動するつもり」


「ふーん。まぁいいけどな」


 友情に感謝を。




    *




 そして昼休み。


 ウェストミンスターチャイムが鳴る。


 と、同時に、


「兄さん兄さん兄さん、お昼です。お昼休みですよ」


 華黒がてこてこと寄ってきた。


「ごめん華黒」


「? 何故謝るです?」


「今日は統夜と学食で食べるから」


「……へ?」


 ポカンとする華黒。


「だから、今日は統夜と学食で食べるから。お弁当は申し訳ないけど遠慮するよ」


「じゃあ私も学食に行きます!」


「ダメ」


「何でです!?」


「男二人で腹を割って話したいから」


「それなら私がいてもいいじゃないですか!」


「ごめん」


「むー……」


 華黒は僕の隣の席の統夜を親の敵とばかりに睨みつける。


「……俺を睨まれてもねぇ」


 統夜は肩をすくめるだけだ。


「華黒、だれかれ敵視しないの」


「しかし……!」


「待った」


 私と兄さんの仲を裂くならば誰であろうと私の敵です、とでも言いたそうな華黒の口を僕の手でふさぐ。


「む……むぐー……っ」


「華黒、学校では滅多なことは言わないの」


 言って華黒の口を開放する。


「まだ何も言っていませんよ」


「でも言おうとしたでしょ?」


「ぐ……」


 図星らしい。


 まったく華黒は……。


「……納得のいく説明をしてください」


「それはまた後日ね。統夜、行こ」


「いいのか?」


 統夜が首をひねる。


「よくありません」


 華黒がそう言う。


 僕は華黒の頭をよしよしと撫でる。


「たまにはクラスメイトと食べなよ。僕もそうするから」


「むー……」


 納得のいかなそうな顔をする華黒。


 これ以上は不毛だ。


「じゃ、そういうことで」


 そう言って僕は華黒の横を通り過ぎる。


 それにならって統夜が続く。


 途中、ごめん、と統夜が華黒に謝っていた。

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