第54話『前提が崩れる』2
その後、一分ほどでハグ状態は解かれた。
件の女性は照れながら、
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
と頭を下げてきた。
で、誰よこの人? といった視線を白花ちゃんによこすと、
「こちら、私の母で
端的に他己紹介された。
女性改め白坂百合さんは再度頭を下げる。
「白坂百合と申します」
「
僕も頭を下げる。
「それにしても……」
ほう、と恍惚の吐息をつく白坂百合さん。
「本当にお姉様そっくりねぇ……」
だから誰がお姉様やねん。
とは言わずに茶を一口。
「ねえシロちゃん……」
「はいはい」
「初めて私がシロちゃんに会ったときにした身の上話……覚えてる?」
ん?
「えーっとたしか……お兄様の話だっけ」
「そう」
あしながおじさんの話だ。
「白花ちゃんの母親……つまり白坂百合さんの、そのお姉さんがさる男性とお付き合いをしていて……」
「それをお爺様が認めなかったせいで伯母様は男と駆け落ち……」
「二人は行方知れず……」
「でも二人の子供である従兄……つまりお兄様の足取りはわかった……」
「その理由がたしか実の父親からの虐待……」
だったっけ?
「うん。覚えてたね」
「まぁ色々とショッキングな話だったからね」
「シロちゃんなんだよ?」
「ん?」
「だからその話に出てくるお兄様はシロちゃんなの……」
「へ~え」
……。
…………。
……………………。
「……………………はあ!?」
思わず立ち上がってしまった。
「僕が……お兄様!?」
「そうよ。お兄様」
白花ちゃんはしっかと頷いた。
白坂百合さんははらはらと泣き出した。
「お兄様は私のお母様の姉……
…………まさか。
「…………まさか」
「まさかも何もないわ。お兄様の本名は白坂真白。撫子様は行方不明になる前にお母様によく洩らしていたの。子供が男の子だったら真白、女の子だったら白花と名付ける……と」
白坂百合さんが子供に白花と名付けたのは代償行為だと白花ちゃんは言う。
「それにしたって……なんでこのタイミングでそんなことを言い出すのさ。他に言い出すタイミングなんてそれこそ……!」
「お爺様がそれを許していなかったから」
「っ!」
「でももうお爺様はいない」
「…………」
「お爺様……白坂本丸が先日ようやく死んで、白坂家はお兄様を受け入れる態勢が整った。遺言にはお兄様の処遇については何も言われてはいなかったし」
「でも……そんな……」
「今更こんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど……真実なのよ、これは」
「でも……状況証拠しかないじゃないか。僕が真白という名前であって、顔が白坂撫子さんに似ているってだけじゃ……」
「証拠ならあるわ」
そう言ってパチンと指を鳴らす白花ちゃん。
すすすっと獅子堂さんがどこからか現れて、白花ちゃんに書類を渡す。
それを白花ちゃんは僕へと投げ渡す。
「DNA鑑定書?」
「そこにお兄様と父親との関係が記されているわ」
父親の名前は……、
「
……はい?
「お兄様のお母様……白坂撫子様が当時お付き合いしていたのは玄冬巌という殿方だったのよ」
「玄冬……巌って……はは、まさか……」
やばいやばいやばい。
それって……それって……。
「言ったでしょう? お兄様は“実の父親”からの虐待を受けていたって」
実の父親からの虐待……暴行……。
ドクンと心臓がはねる。
たまらず僕は叫んだ。
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ」
「だいたいどうやってDNA鑑定なんて……!」
「お兄様の通っている大学病院に手をまわして協力してもらったの。玄冬巌のDNAサンプルもあったから調べること自体は大した手間じゃなかったわ」
「じゃあ僕は……本当に……白坂撫子と玄冬巌の子供……」
「そうなるよ」
「でも……それだとやっぱりおかしいよ。僕は孤児院の出だよ? 玄冬巌には里親制度で引き取られただけだ。もしその話が本当なら僕は生まれた時から孤児院じゃなくて玄冬巌と白坂撫子の元で暮らしているはずじゃないか」
「その経緯も聞いてるけど、いくつか予想は建てられるよ。お兄様を捨てなければならなかった事情なんて、言っても聞いても楽しい予想じゃないけど……」
「っ!」
言葉を失う。
僕が捨てられた経緯。
そして孤児の僕を引き取った玄冬巌の真意。
わからない! わからないことだらけだけど!
それ自体はどうでもいいことだ。
その事実はどうでもいいことだ。
でも、
でも!
「じゃあ僕と華黒は……!」
――本当の兄妹……?
「本題はここから……。お兄様、これからお兄様はこの家で暮らして……って、お兄様?」
玄冬巌が僕の父。
白坂撫子が僕の母。
僕と華黒は、腹違いの兄妹……?
「お兄様? 聞いていますかお兄様?」
うるさい……!
時間をくれ……!
考えをまとめさせてくれ……!
「お兄様、お兄様?」
白花ちゃんの呼びかけにも答えず、僕はただ呆然としていた。
*
あまりの情報の氾濫に呆然と立ち尽くすしかなかった僕を見かねてか、白坂家族会議はお開きになった。
僕はリムジンでアパートまで送迎された。
白花ちゃんは片時も僕から離れず精神の安否を確かめ続ける。
「大丈夫ですかお兄様」
「ん……大丈夫じゃないっぽい」
思考が乱れる。
シナプスが音を立てて千切れる。
明瞭に理解している情報と、その同じ情報の理解を拒むアクションとがぶつかりあって僕は混乱をきたした。
そうこうしている間にもリムジンは走り、僕のアパートに着く。
僕は扉を開けて下車した。
リムジンの中から白花ちゃんが声をかけてきた。
「お兄様が白坂家の一員だということを覚えておいてください。今はまだそれ以上は望みませんから」
「うん……ありがとう……」
余計な情報は、今は邪魔なだけだ。
僕はアパートを目指す。
走り去っていくリムジンには目も向けず、僕の部屋の扉を開ける。
玄関で靴を脱いでキッチンを通り過ぎダイニングへ。
そこには華黒がいて、夕飯の準備をしていた。
「兄さん、やっと帰ってきたんですね」
「うん、ただいま……華黒」
「もう、いい年齢なんだから誘拐なんてされないでくださいな」
「ごめん。僕のヘマだった」
「せっかくのデートが台無しですよ」
「うん、ごめん」
「でもですね。デートできなかった時間を使ってケーキを作ってみたんです。夕食後に食べましょう?」
とびっきりの自信作なんですよ、と誇らしげな華黒には悪いけど、
「ごめん。ちょっと疲れてるんだ」
僕は遠慮した。
「夕食もいらない。僕はもう寝るよ。部屋に入ってこないでね」
「え? ちょ? 兄さん!?」
頭の中で騒音が渦を巻いていて、とても正気ではいられない。
今は華黒の顔は見たくない。
僕は今日白花ちゃんに買ってもらったロングティーシャツとジーパンとジャケットを脱ぐと、ベッドにどさりと倒れこむ。冷えたシーツが心地よい。
何も考えたくなかった。
だから、おやすみなさい。
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