第20話『ある日』2
午前最後の授業だった数学もめでたく終わり、昼にととられた一時間弱の休み時間。
クラスメイトからの昼食の誘いをことごとく断った華黒と誰にも誘われなかった僕は共に学生食堂、略して学食にいた。
聞こえてくるのは喧騒と雑音。
時間が時間のため堂内はほぼ満席。同じ制服の人間という人間がいったいどこから湧いてくるのか疑問なほどに詰め込まれたその場所の、奇跡的にすいていた席の一角に向かい合う形で僕らは座っている。
そんな中、
「その……ラブレターというものをもらってしまいました」
日替わり定食を前に合掌しながら、華黒は何気なくその一言を言い放った。
さらに付け足すように小声で「いただきます」が聞こえてくる。
「合掌、いただきます」
僕もつられて昼食の犠牲に感謝の意を表明する。
華黒の表情がしぶくなった。
「……無視ですか?」
「何が?」
「私の先ほどの発言ですよ」
「ああ、いただきますのこと? あれって実は仏教用語なんだってね。つまりこうやって食物になってしまった幾多の命たちに感謝するための一つ宗教活動と言えないこともないよね」
「その前の発言です」
「…………」
うーん、誤魔化せないか。
「どう思います?」
「どう思うって言われてもね……」
あいかわらず統夜の自称情報収集能力とやらのすごさに感服した……とか。
「自慢ではありませんけど私、男子に人気なのですよ?」
「その発言、自慢じゃないなら嫌味だね」
「論点はそこではありません」
異性にとんと縁の無い僕としては十分論ずるに値するのだけどな。
「それで? 僕にどうしろと?」
「嫉妬してください」
「……はい?」
思わず聞き返す。
「聞いて驚き取り乱し問いただし否定し確認し再度否定し抱き寄せ略奪し主張し見せつけ……」
「待った。それは何。僕が? 華黒に?」
「冗談ですよ」
華黒は真顔で言い切った。
「言ってみただけです。本当にしてくれたら御の字ですけれど……兄さんを困らせたいわけじゃないですから」
どの口がいけしゃあしゃあと。
「たまに不安になるんです。どうやったら兄さんを振り向かせることができるのか、と」
「その考察の結論として僕を華黒の恋路に関わらせるのはどうかと思うけどね」
「だって大勢の男が妹を狙っているのですよ? 世界中の兄の危機ですよ」
「理論が破綻してるよ華黒」
「だって……」
「あのね華黒、当然承知しているだろうけど世界に僕だけが男じゃないからね?」
「生物学的にはそうですね」
「染色体の話をしているわけじゃないのだけど」
「兄さんを狙うなら男だって私の敵ですよ?」
「……嫌な想像させないでよ」
ただでさえトラウマなのに。
「華黒はなぁ、僕しか見えてないっていうのは大局的に見て損してると言わざるをえないね」
「視界が壊れているのはお互い様です。兄さんの欠陥だって十分悲惨ですよ」
まぁね。
兄妹そろって“普通”に擬態しなきゃならないのは確かにアレだけど。
「僕もたまに考えるんだ。どうやったら華黒が正常に戻るのかって」
「ありえない未来ですね。欠損したものは代替することでしか直すことはできません」
「それでも華黒の思考は幻想だよ。世界は華黒の敵じゃないんだから」
「敵ですよ。一瞬の油断も一寸の譲歩も許されない敵です」
「…………」
「だから兄さん。兄さんだけが私を愛してくれるなら私は他に何もいらないのです」
「結局その結論に辿り着く、か」
僕は箸を咥えたまま肘をついた。どうしたって溜息が出る。
「それで、ラブレターの君はどうするのさ」
「どうもこうも……」
残念無念、と。
「これで撃墜数がまた更新されるわけだ。入学してそんなに経ってないのに既に十三人が撃沈っていうのもちょっと見ないよね」
「誰彼節操なく付き合う人間に比べればマシです」
「あの人はいろんな意味で規格外だからなぁ……」
どこからあの自信が溢れてくるのか不思議なくらいだ。
「まぁ、そんなことはいいではないですか。それよりもそろそろ食事に手をつけましょう? 昼休みが終わってしまいます」
「それもそうだ」
少し話し込みすぎた。僕は自分の皿からしょうが焼きをつまむと口に運ぶ。やけに塩のきいた豚肉が刺激的。
「兄さん兄さん」
「なんでがしょ?」
「はい、あーん」
「…………」
華黒は日替わり定食の焼き鯖をほぐすと、何を考えたか僕の口元まで持ってくる。
「ナンノジョウダンデスカ?」
「いいえぇ、冗談なんかではありません。はい、あーん」
ぐいと更に箸を押し付けられる。
「ちょっと華黒、他の生徒達が見てるよ」
しかも彼らの視線には殺気を感じるようなそうでないような。
「兄妹仲睦まじくていいではないですか」
「…………」
「それとも兄さん。酷い、私とは遊びだったのね、などとここで泣いてもいいのですか?」
「脅迫!?」
タチの悪い……。
「どうせいつものように兄さんが譲るのですから早々に諦めてください。はい、あーん」
「あ……あーん」
弱いな、僕は。
刃物のような視線につつまれた中で、嬉しそうな華黒だけが妙に浮いて見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます