第19話『ある日』1


「であるからして、このときa=-2、b=1、c=0となり描かれる二次関数のグラフは……」


「……わかんないよ」


 教師に聞こえない程度の小声でそうぼやく。


 僕は手に持ったシャーペンをプロペラのように回転させながら、黒板に書かれていく暗号文の解読を放棄した。


 パイプと木でできた簡素な背もたれへと体重いっぱいにもたれ掛かって小さく伸び。


 後で華黒に解説してもらおう、などと他力本願なかたちで目の前の勉学に決着をつける。


 なにせ完全無欠な妹と違って僕は凡夫そのままの人間だ。


 模試の偏差値は五十きっかり。


 ここ、瀬野第二高等学校では低い方だと自負できるほどに人並みの学力だったりする。


 ので、最初からこの学校のカリキュラムについていくなんて無理な相談なわけだ。


 そんな諦観は、先日の小さい台風のような女の子に振り回された疲れも手伝って、見つめる先の黒板に書かれた放物線のようにテンションを下へ下へと滑りおとす。


 一つ欠伸などしてみたり。


「お疲れのようだな」


「まぁね」


 大きく息をはいて眠気を追い出していると隣の席に座っている友人、統夜が人の悪い笑顔で話しかけてきた。しかも並行してノートも欠かさずとっているのだから器用と言うほかない。


「寝てないのか?」


「ちゃんと寝たよ。疲れが取れなかっただけで……」


 うんざりと昨夜の華黒を思い出す。


「ああ、そうだろうな。華黒ちゃんと添い寝なんかしてりゃあ」


「っ!」


 何故、という混乱した思考よりも手のほうが早く出た。


 押さえつけるようにして片手で統夜の口を封じると、慌てて周りを見渡す。


 誰かに聞かれなかっただろうか……。


「聞こえてねぇよ。心配性だな」


「勘弁してよ統夜。ただでさえ華黒の腰ぎんちゃくなんて悪評が出回ってるのに、これ以上のことが男子に聞かれたら……」


 想像して身震いする。


「ていうか何で統夜がその事実を知ってるのさ? まさかとは思うけど盗撮?」


「趣味じゃないから安心しろ。状況から推理した単なる憶測だよ。ただまぁ自分以外の目を持ってるのは事実だけどな」


「うむ?」


 わからないことを言う。


「例えば、だ。日曜日は小さな女の子に振り回されて御楽しみでしたね、とか」


「……だからなんで知ってるの」


「あの日は姉貴のデートのスケジュール管理で俺も駅の近くにいたのよ。そしたらお前が楽しそうなことに巻き込まれてるっぽかったから知り合いに頼んで一部始終を」


 ……ああ、自分以外の目ってそういうことね。


「でもそれってプライベートの侵害だよね?」


「あるかそんなもん。俺のプライベートだって姉貴に潰されたんだ。他人の不幸でも糧にしないとやってられなかったんだよ」


 どういう理屈。


「ちなみに先の情報は華黒ちゃんのファンがよく食いついてくれるエサだと思うんだがどうよ?」


「勘弁してください」


「問題は親兄派と反兄派のどっちに流すかなんだが……」


「人の話を聞いて!? そしてその親日、反日みたいな派閥は何!?」


「華黒ちゃんのファンクラブの間でな、兄である真白を味方につけるか反目するかで今論争が起きてるんだ」


「…………」


「なんだかんだいってお前さ、自分じゃ自覚してないかもしれんけど十分シスコンなんだよ。お前が一番華黒ちゃんの近くにいるんだよ。するとお前に取り入って華黒ちゃんに近づこうと思う奴やお前が華黒ちゃん攻略の最大の砦だと思う奴も出てくるわけ」


「……そんなことになってたの?」


「今のところ後者の方が多いんだがな」


「敵多数!?」


「だって真白、お前は華黒ちゃんが告白されるたびにそれを妨害してるんだろ? そりゃ邪魔だと思う奴のほうが多いわな」


「いやいや、それ誤解だから」


「知ってるよ。本当は華黒ちゃんの意思なんだろ? でもそんなことを察せるのは事情を知ってる俺くらいなもんで他の奴にはそうは見えんってことだ」


「……まぁね」


 認めたくないけど。


 たしかに他人の目には華黒が僕にまとわりつく理由なんて見つけきれるものじゃない。


「ま、当の華黒ちゃん自身はその辺のことどう思っているのやら……」


「(……一種の顕示欲)」


「ん? なんか言ったか?」


「特に何も」


 そうそっけなく返して、少し離れた席にいる当の華黒を覗き見る。


 我が妹殿は優等生らしく真面目に勉強しているのだろうかと当たりをつけた……のだけど、


「なんだか難しい顔してるな」


「統夜もそう思う?」


 勉強なぞどこ吹く風で、必死に一枚の紙を凝視していた。


 だいたいノートくらいの……正確に言うなら美濃判を二つ折りにした程度の大きさの紙を、彼女はなんともいえない表情で見つめていた。授業も聞かずに。


「ラブレターだな」


 統夜が断定する。


「なんでわかるのさ?」


「俺の第三の目がそう言ってる」


「見えてる、の間違いじゃない?」


「いや、“言う”であってる。とにかくあれはラブレターだな。俺の情報収集能力を信じろ」


「まぁ何でもいいんだけどさ……」


「とか言いつつ妹のことが気がかりで目を離せない真白であった」


「うるさい」


 軽く統夜の頭をこづいて、そのまま憂いげな華黒の横顔を見続ける。


 で、そのまま授業が終わったりしちゃってね。

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