第13話『刑法二百二十四条』1


「本当に申し訳ありませんでした……」


 黒ベタで塗りつぶしたような漆黒のスーツを身に纏っているナギちゃんの使用人こと獅子堂さんが、ペコペコとそれはもう申し訳なさそうに僕らに謝ってきた。


 第一印象で固い人なのかと勝手に想像していたのだけど、どうも僕の偏見だったらしい。


「ええ、早く連れて帰ってください」


 対する華黒もニコリと人のいい笑顔で答える。


「どうにもお嬢様が迷惑をかけましたようで……」


「ええ、早く連れて帰ってください」


「お二方にはなんとお詫びしますれば……」


「ええ、早く連れて帰ってください」


「いえ、ですから……」


「ええ、早く連れて帰ってください」


「あの……」


「ええ、早く連れて帰ってください」


「…………」


「どうかしましたか?」


 いやいやいや。


 人のいい笑顔じゃなくて怒りの笑みだったのね……。


「……華黒。そこまで言っておいて、その聞き方は酷じゃないかな」


 もはや言葉も見つからず沈黙してしまった獅子堂さんに代わって、僕は華黒につっこんだ。


 僕らが今いるのはスパイクナルドバーガーから少し離れたターミナルガーデンなるコーナー。名前の通りショッピングモールの端っこに位置する休憩所だ。


 さすがに店内でスーツびっちりの獅子堂さんと話し込むわけにもいかず、場所を移動した次第なのだけど……彼の服装が服装なだけに人の視線が集まるのはどこだろうと変わらなかったりして。


 ともあれ、


「獅子堂さんもちゃんと探してたみたいだし、今こうやってナギちゃんを保護できたんだから万々歳……じゃない?」


 そう取り繕うような僕のフォローは、


「結果、私と兄さんのデートを邪魔されました」


 あえなくけんもほろろと相成った。


「(僕は牛乳買いにきただけなんだけどな……)」


 不満満々の華黒にボソリとそれだけ。


 真正面から言ってやる勇気はないので、口の中だけにとどめておく。


「それよりもナギちゃんがお嬢様だったことに僕は驚きなんだけど。獅子堂さんはその……ナギちゃんの執事っていうやつなのかな」


「いいえ。私は一介の使用人にすぎませんよ。その執事の命を受けてここまでお嬢様の探索に来た次第であります。何せお嬢様は家出の癖が悪く庶民のふりをなされては百墨様、あなたのように寛容な人につけこんで振り回すことを習慣とされていまして……」


「いやぁ」


 寛容だなんてそんな……。


「何を照れているのですか。言っておきますけれど褒められているわけではありませんからね?」


「え? そうなの?」


 呆れかえったような目で獅子堂さんから僕へと向き直る華黒の言葉に、僕は照れ隠しに頬を掻いていた人差し指を止めた。それから二、三度まばたきしつつ華黒を見つめると、今度は深い溜息が返ってきた。


「さきほどの言葉には“何て騙されやすい人間だ馬鹿め”という意味があってですね……」


「いえ、それほどまでに悪意を込めて言ったつもりはないのですが……」


 いったい誰に対しての悪意なのかよくわからない華黒の言い分に、獅子堂さんが冷や汗をたらしながら反論した。


 まぁいいや。


 僕が騙されやすいのは自分でも認めるところだ。


 それより、


「そろそろ離してくれないかな、ナギちゃん……」


 僕は、僕にしがみついて離れないお嬢様に困ったように声をかけた。


 とてもお嬢様には見えない苺々した服装――彼女なりの変装らしい――のナギちゃんはいったい何を恐れているのか、僕のお腹に両腕をまわして離すものかと張り付いている。まさに子供が親に抱きつくときのシチュエーションそのままなのだけど、僕はこんなに大きな子供をもった覚えもない。


「もうお迎えもきたし、さ?」


「いやよ」


 一蹴されてしまった。


 さらに強く抱きつかれる。


 ……しかしこの子の喋り方には慣れない。


 こっちが本来のものらしいけど、ちょっとませ過ぎやしないかな。


「いやって言ってもさ。ほら、わがままもあんまり良くないんじゃないかなって」


「じゃあ何よぉ? シロちゃんに都合のいい態度をとれば私いい子なの?」


「うぇ、そういう意味じゃ……」


 非難がましい視線に心持ち後ずさりしてしまう。


「お嬢様、それくらいになさった方がよろしいかと」


 そんな僕に助け舟が一艘。


 無表情に礼儀正しい顔をした獅子堂さんだ。


「百墨様が困っておられます」


「うるさい。あなたは黙って退きなさい」


「申し訳ありませんがそうもいきません」


「獅子堂、使用人の分を超えるつもり?」


「滅相もございません。むしろ……だからこそ、でございます。これはお館様からのお使いでもあるのですから」


「……仕事熱心なこと」


「恐れ入ります」


「褒めてないわよ」


「心得ております」


「…………」


 嫌味にさえ慇懃に答える獅子堂さん。


 さすがのナギちゃんも片目をゆがめて押し黙ってしまった。


 ていうか何だろうこの近親感。


 困った女の子を扱うことに慣れきってしまったかのような獅子堂さんの雰囲気はいたく僕の共感をよんでいる。


 いや、むしろそれは当然か。なにせ僕の妹も……、


「兄さん、何か言いたいことでも?」


「いや別に」


 チラリと華黒を見ただけのはずが、その視線さえ感づかれる。僕は思わず大勢の人の波へと目を逸らした。


 やっぱり鋭いね、華黒は。


 そして弱いね、僕は。

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