第12話『刑法百七十七条』4


 そして、


「戯れもいいかげんにしなさい」


 僕のすぐ隣で不機嫌を音と示すかのようにテーブルが叩き鳴らされる。


 当然、華黒だ。


「兄さんの運命の人は私をおいて他にはいません!」


 …………うん。


 妹よ。


 多分そう言うとは思っていたけどここは公衆の面前だ。


「何よー。別にグロちゃんはシロちゃんの恋人じゃないんだから話に入ってこないでよー」


 ナギちゃんも噛み付かないで!?


「誰がグロですか!?」


真白ましろちゃんがシロちゃんなんだから華黒かぐろちゃんはグロちゃんでしょー!?」


「許容できるはずないでしょうに!?」


 怒りもあらわ。


 二人そろって机に身を乗り出すようにして立ち上がると、接吻できそうなほどの近距離でにらみ合う。視線で人を殺そうかといわんばかりだ。ナギちゃんはともかく華黒のほうはこうなってしまうともう止まらない。僕は諦めてさじを投げた。


「(ああもう好き勝手にやってくれ。何だか他の客の迷惑になってるような気もするけどこの際だから両方とも店員に怒られてしまえ)」


 聞こえないように呟いてから、僕は残り少ないシェイカードリンクを殲滅にかかる。


「はいはいクロちゃんクロちゃん。わかったら私とシロちゃんの邪魔、しないでよねー」


「邪魔をしているのはどちらです。まだ干支が一周してもいない子供が恋愛ごっこで一人前のつもりですか。見苦しい背伸びにしか見えませんよ」


「子供っていうならクロちゃんも未成年でしょー。だいたい恋愛に年齢なんて関係ないじゃない!」


 ……それでも小学生は無理だと思うな。


「ええ、愛さえあれば全ての障害は水に濡れた薄紙も同然です。たといその愛が倫理に反していようとも!」


 ……一応反社会的という自覚はあったんだね。


「だったら私とシロちゃんでも問題ないでしょー!?」


「生憎と兄さんは私の人生の伴侶となる人です! 横からの攫いはやめてもらいましょうか!?」


「むー、どうなのシロちゃん!」


「どうなんですか兄さん!?」


「ふぇ!? 何?」


 唐突に話をふられる。


 我関せずとシェイカードリンクをドリンクしていたため、いきなりな質問に戸惑うしかなかった。けれども二人はそんなことなど一切気にせず問い詰めるようにズイと迫ってきた。


「クロちゃんのこと好きなの!?」


「私のことどう思ってるんですか!?」


 顔近いよ二人とも。


「ええと……突然何を言い出すのさ。喧嘩なら二人だけで――」


 などという話題逸らしは、


「「むーっ」」


 どうも二人には通じないみたいだ。僕は諦めて嘆息をつく。


「そりゃあ華黒のことが好きかどうかっていうなら……」


 もちろんのこと、


「大好きだよ。当たり前じゃないか」


「は、はわ……!」


 プシューッと音をたてて華黒が湯だった。


「ちょっと何さ、その反応。いつも僕に好きだなんだと言ってるくせに」


「いえ、まさか躊躇なく言われるとは思ってもみなかったので」


「別に躊躇うところじゃないしね」


「(そういうところ、本当にズルいです……)」


「何か言った?」


「いえ、何も」


 華黒は不満そうにそっぽ向いた。


「うー、なによぉ……」


 そして不満そうな声がもう一つ。


「クロちゃんは妹なんでしょー。シロちゃんはお兄ちゃんなんでしょー」


 見ればナギちゃんが可愛らしく口を尖らせていた。


 納得いかないらしい。


 当然といえば当然、というのは自惚れだろうけども。


「……シロちゃん恋人いないってゆったじゃん」


「確かに」


「恋人不在暦=人生だってゆったじゃん」


「確かに。……ナギちゃんに教えた覚えはないけど」


「私を恋人にしてくれるってゆったじゃん」


「確か…………」


 ん?


「それは言ってないような……」


 危うく頷きかけ、ふいの違和感に我に返る。何の冗談かとナギちゃんに目で問うも、


「…………」


 彼女は無言でくさるような表情を保った。むくれている顔がお饅頭みたいで可愛らしくもあったが、女の子に対する褒め言葉ではないので黙っておく。


「…………」


 そのまま僕は少女の言葉を待った。


 無言。


 しばし静寂の後、


「……ちっ」


「舌打ち!?」


 かすかにはぜるような音には濃厚な忌々しさが聞いて取れた。もしかしてあのまま相槌をうっていれば、そのまま既成事実にされていたのだろうか。


「……あのね。そういう悪質な真似はしちゃ駄目だって習わなかった?」


「愛されてる証拠だよー」


 自分で言えば世話はない。


「(華黒と同じく人の手首切り落として手形に印するタイプか)」


「失礼なことを言わないでください」


 蜂の羽音ほどに小さい声だったはずなのだけど、どうやら華黒には丸聞こえだったらしい。


「いたた、痛い痛い。耳引っ張らないでよ華黒」


「知りませんし聞きませんし自業自得です。だいたいにしてデートの途中だということを兄さんは忘れていませんか? この子の世話ももう十分でしょうし、早く本来の目的に戻りましょう?」


「本来の目的?」


「私と兄さんの愛を確かめ合うことに決まってるではありませんか」


「ああ、兄妹愛のね」


「その辺りの見解の相違はこれから埋めていくつもりですので。では行きましょう」


「待ってよ華黒。さすがにナギちゃんを一人置いていくなんて……」


「いえ、お二方はそのまま立ち去られて結構でございます」


「そういうわけにも……って、誰?」


 思わず返してしまった後に、それが華黒の言葉でないと気付く。


 いくらが華黒の口調が馬鹿丁寧とはいえ「ございます」なんて使わない。何よりその声は野太く、静謐で、落ち着きがあった。


 会話の流れにさらりと介入してきた第三者。


 その声主を探して首を振れば、


「誰です?」


 華黒の誰何の先、僕たちが座っているテーブルのすぐ横に見知らぬ青年を見つけることができた。


 いやに背の高い男だ。一目でそれわかるほどの長躯で、座ったままの今の僕では意識的に顔を上げないと視線が合わないほどである。とはいえ大男というわけでもなく、声の太さに比べればヒョロリと細長い印象を受けた。


 しかしそれ以上に、


「獅子堂と申します。見ての通り、しがない使用人でございますね」


 完璧にセットされたオールバックと漆黒のスーツこそが圧倒的第一印象と言ってよかった。


 使用人とのことだけど、まさに執事然とした出で立ち。若者がたむろす店内の中で完全にういている。まるでカラフルなカンバスに間違って墨をこぼしたかのような不自然さだ。店内の誰もが思っていることだろう。


 場違い、と。


 けれども当の本人は集まる視線など何するものぞと気にした様子もなく、ただ困ったような視線を目的の一人へと注いだ。


 ナギちゃんだ。


「お嬢様、こんなところにおられたのですね。そのような庶民の服にまで召し変えられて」


「……ったく。早い対応ね、獅子堂」


「それが務めですので」


 慇懃に一礼する獅子堂さん。


 ええと、どうやら二人はお知り合い?


 そしてナギちゃん、さっきまでの子供っぽい口調はいずこへ?


 ……っていうか、え?





 

 “お嬢様”?

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