第9話『刑法百七十七条』1


「ショッピングモール百貨繚乱……ね」


 特にすることもなく暇を持て余していた僕は、壁に貼り付けてある自社広告の見出しをポツリと読み上げた。


 組んでいた足をほぐすと簡素のベンチの上で姿勢を整えるように深く座りなおす。


「…………」


 それ以上言葉が見つからない。何となく馬鹿らしくなる。


 だいたい広告とは自らの情報を知らしめるために存在するのに、それを内部に設置してどうしようというのだろう。矛盾などと小綺麗な言葉は使いたくないけど、開錠の暗証番号をしたためた記録を当金庫内に入れておくような、現在進行形で見ているドラマのコマーシャル区間に当CMを挟むような、そんな情報をリークされている時点で既に目的が満たされているという滑稽さが目の前の広告にも感じ取れた。


 けど、それだけだ。


 それ以上の感慨がわくこともなく、僕は首を振って視界を広げる。今いるこの場所を惰性だけで見回した。


 陽光を取り入れるための天井ガラス。どれほどの効果が期待できるのか判らない屋内園芸。いやでも目に付く大多数の人の波。それにともなって聞こえてくる喧騒。一階から天井までを吹きぬける構造と、それをオーバル(角丸長方形)の形で取り囲む店々が、この『お買い物コーナー』を奇妙な空間として作り出していた。


 ここは駅から少し離れた場所にあるショッピングモール。名を百貨繚乱。


 このへんで若者が遊ぶとしたら駅か此処かの二択になるようなスポットで、実際服に金をあかしたのであろう若者が男女問わず人波の中を泳ぐように歩き回っている。モールの一角には遊戯コーナーと称したアミューズメント施設も設置されていて、映画、空演奏、十柱戯、撞球、その他諸々何でもござれといった具合だ。遊びに来る若者の大半はその遊戯コーナーか、または今僕がいる此処……専門店が立ち並ぶお買い物コーナーを目的としているはずだ。牛乳目的の僕としては他者ほど恵まれていない体力を費やしてまでここへ出向く必要もないのだけど、そこはそれ。たとえ用がなくても自己を着飾って他者と馴れ合いながら街へ繰り出すことが、現代の若者らしい日曜日の使い方であるとかないとか。


「…………は」


 嘘。


 そんなことのために来たわけじゃ全然ない。


 僕が駅周りまで散策するときは意識的に人の少ない場所を選ぶ。こんな右も左も人だらけという場所はあまり好むところではないし、また僕はそういった大衆意識に重きをおかないので必然自分に求めることもしない。


 当然出で立ちも他者の目を意識したものとは言いがたく、シャツにジーパン、薄手のジャケット。そのどれもこれもが無柄だ。簡素ここに極まれり。今僕の目の前を横切っていく推定同年齢プラスマイナス三年な若者達のようにブランド物を買ったりアクセサリーを付けたり香水を使ったり髪を染めたりピアスを開けたりなどは一切。


 むしろ彼らに対して、


 ――よくやるよ。


 そう思う。心から。


 だからといって別に軽薄な人間を嫌悪しているわけでもない。


 孔雀にしろマイコドリにしろエリマキトカゲにしろ引き合いに出せばキリがないけれど、自らを異性にアピールすること、ひいては自分を良く見てもらおうとすることは生命として実に自然で正当な努力といえる。ので、現代風にいう“チャラチャラした奴”とて僕は拒絶したりはしない。


 ……積極的な賛同もしないけど。


 ことはもっと単純で、単に僕が自分を着飾ることに興味がないだけ。こんな人間、ここでは少数派だろう。事実、僕の目の前を通り過ぎるヒト科ヒト属の群を観察すれば、飾り立てた種類の方が群の圧倒的大多数を占めていることがわかる。


 だから、というわけではないのだけど僕は妙な注目を集めていた。彼ら皆一様に、僕を覗く瞳に物珍しさ一色を映している。右に左にと人波に流されていく過程で、気だるげに座りこんでいる僕を一つ注視しては興味を失くしていった。


 正直、止めてほしい。


 楊枝でつつかれるようにチマチマと視線を送られていたら別に後ろめたくないはずなのに背中がかゆくなる。


 困ったものだ。


「ほんと、華黒の奴には」


 名前を出すと余計に疲れた。


 そう。僕が困っているのは大衆の視線とは別に、今ここにいない義妹に概ねの原因がある。


 既に理解しているとおり彼らは僕の地味な服装に注目しているわけでは全然ない。問題はそんなところにはない。あるとすればむず痒い背中の、その更に後方。悪魔的な妹に連れられて立ち止まったとあるお店。怪しげな雰囲気を出そうという趣向見え見えの深い紫色につつまれた店内。ガラス窓の向こうを覗き込むと男なら誰でも罪悪感を持ちそうな品揃え。


 つまり……、その……、ランジェリーショップ……。


「僕だって騙されたんだ」


 誰に向けたわけでもなく言い訳してしまう自分が悲しい。


 そりゃあいい年した男の子が下着専門店の前に陣取っていたら下世話な注目の一つも浴びようというものだ。


「まったく! 何が“いいもの”なのさ。大概にしてほしいよ」


 年頃の女の子らしいものかつ華黒が買いそうなものかつとてもいいもの、の答案がこれなのかと思うと我が妹ながらに頭痛がする。


「こうやっていつまでも僕をからかえると思っていたら大間違いだ」


 ……多分。自信はないけど。


「本当に一度怒ったほうがいいのかもね」


「見たところお兄ちゃんヘタレっぽいから無理じゃない?」


「ええい、人が気にしてることを……」


 言いかけてはたと気付く。


「ん?」


 誰かが僕の独り言に介入してきたらしい。声のする方へ、いまだ座っているベンチの右側へと顔を向ける。


 小さな女の子が座っていた。


「やっほー」


「誰?」


 本当に誰だ。


 思わず首を傾げてしげしげと見入る。


 小さな女の子と先ほど表現したのだけれど、まさにその通りの少女だった。まず間違いなく小学生。親御さんの趣味なのか、短く整えられた黒髪はおでこを強調するように前髪がピンでとめられており必要以上にキッズっぽい。さらにはイチゴ柄のTシャツにピンクのスカート、赤と白のストライプ模様のサンダル、とどめとばかりにクマさんポーチというこれまた子供にしか出来ない服装がよく似合っていた。小柄な身長のためベンチに深く座り込むことが出来ず、また座ったら足が地面に届かないため彼女は清楚な両足を振り子のようにプラプラと揺らしている。落ち着きのない、元気の有り余っている子供によく見受けられる習性だ。


 まさに子供。どこまでも子供。違えようもなく子供だ。


 ……で、どこの子ざます?


「僕と君は知り合いだっけ?」


「ううん。会ったことないよ?」


「ほう」


 記憶違いではないらしい。


 ということは人見知りしない子なのだろう。


 が、生憎と僕は人見知りなので言葉は返さない。最近では小学生に話しかけたというだけで警察に通報される世の中だ。余計な人と関わり合いになりたくない。

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