第8話『デートしましょう』4
「だから華黒、歩きにくいって」
「愛の重さです」
「自重で潰れそうだよ」
「真白兄さんとなら歓迎ですよ」
ええい。何を言っても通じないものらしい。
「まったく我が家の妹は……」
とは言いつつ実は嫌じゃないなんて思ってしまうあたり僕もどうかしている。
「言っておくけど、大通りに出るまでだからね」
「はいな。だから大好きですよ兄さん」
結局こうなるんだ。
僕は眉間の皺をつまんでもう一度だけ盛大に溜息をつくのだけど、華黒は意に介した風もない。
また一つ自動車が僕らの横を通り過ぎる。白の軽。段々と車の行き来が多くなってきたような気がするけど、これも駅に近づいている影響だろうか。心なしか僕ら以外の歩行者も数を増やしているように思う。
「つまりこのままじゃ大通りに出る前でも華黒ファンに見つけられる可能性があると思うんだ」
「いいじゃないですか。見せつければ」
「兄妹仲良くしてるところを? なんて言い訳するのさ」
妹と腕組んで歩きながら牛乳買いに遠出してますなんて思春期の学生にどう通じるっていうのか。連中は自分達が恋に焦がれる盛りなだけに、他人に対してさえ男女の片鱗が見えれば猫も杓子も関係なく恋愛話に繋げたがるのだ。そしてそれが華黒ファンクラブの会員だった場合、先の情熱はまるごと僕に対する殺意ととってかわる。不条理だけどどうしようもない。それは今までの経験で散々骨身にしみている。
「とはいえ、じゃあ牛乳の代わりに何を買いに行けばこの状況に言い訳できるのかっていうと……」
「無駄な考え休むに似たり。何を買うためだろうと通じない気がしますけど」
「やっぱり?」
つまるところ見つからないように祈るしかないということか。
「ところで」
ふと思い立つ。
そういえば。
「結局、華黒は何を買うのさ?」
よく考えればまだ彼女の目標を聞いてなかった気がして、なんとなくながらに尋ねてみた。
僕は牛乳一パックにしても、華黒だってウィンドウショッピングというわけではないはず。飾り立てることを好まない華黒にあって服や小物ということはないのだろうけど、ではいったい何なのか。いくら兄とはいえ、ヒントもなしに妹の目的を絞り込めるほど僕らは通じていない。
……などと言いつつペナルティ三回までなら結構正解できる自信はあったりするのだけど。
そんな僕の内心知ってのものか。華黒は僕を見てとびきり意地悪そうに笑っていた。
「何さ?」
「いいえ。聞かれなかったので言っていませんでしたけど、本当に私が買うものを知りたいんですか? 本当に?」
腕を組んでいる必然、僕の肩辺りから見上げるようにして華黒が問いかけてきた。そんな彼女としばし目を合わせ、それから空を見上げてあからさまに「ふーむ」と唸ってみせる。
春の日差しと流れる雲。駅に近づくほどにだんだんと背の高いビルが主張し始め、空の面積を狭くする。
しかし、なんだね。
「聞きたいかと聞かれたら実はそうでもなかったりするから不思議だね」
「…………っ!」
選択を誤ったらしい。
妹の笑顔が一転、不機嫌に。圧迫。絡みつかれた右腕はまるでボアの如くギチギチと締め付けられる。
「痛い痛い痛い痛い。何だってのさ」
「減点です」
「何が!?」
「何でもが、です……」
どうやら聞いてほしかったようだ。天邪鬼な奴めい。
「あーはいはい。華黒が買おうとしているものを是非ともお兄ちゃんに教えてくれないかな?」
いかにもめんどくさそうに言ってやる。またしても妹が不満そうに顔をしかめるけど、いつも僕がされていることを省みれば、この程度の反撃大目に見ても罰は当たらないはずだ。
「だいたい何ゆえ僕が責められるのさ。華黒が買うものなんてそれこそ参考書かCDか、もしくは今日の夕飯の食材くらいでしょ。ああ、洗剤か調味料でも切れてたっけね?」
そんなもの。
その程度のものだ。
必要以上に高価な服。ブランド付属の小物。アクセサリー。香水。女性向け雑誌。どれもこれも華黒にしてみれば一笑に付す対象でしかない。
などと思っていたのだけど、華黒は呆れたような表情になっていた。組まれていた腕の一本をほどいて――それでももう一本は離すまいとさらに強く締められたが――まるでそれが教鞭でもあるかのように振りかざした。
「全て的外れです兄さん。時折真白兄さんは私を若年寄かなにかだと勘違いしている節がありますけど、私だって年頃の女の子なんですよ?」
ビシッと人差し指を突きつけられる。
どうやらことごとく不正解らしい。
“三回までのペナルティなら”も案外僕の自惚れのようであった。
「それほど通じ合えてるわけでもない、か」
「何のことです?」
自嘲のように言った言葉が華黒に拾われた。
けれど僕に説明する気はない。これで「然然というわけで僕と華黒はあまり通じ合えていないんだね」と言った瞬間、華黒の買い物リストに参考書かCDか夕飯の食材が追加されることだろう。それは面倒くさい。そしてそれ以上に、華黒に、僕との関係でムキになって欲しくない。
だから誤魔化す。
「いや、ないね。で、結局何を買うの?」
尋ねた僕に返ってきたのは、とびきりおかしそうな笑顔。声を上げて笑う一歩手前な笑顔だった。
「何さ?」
「いいえ、楽しみにしていてくださいな。それはとてもいいものですから」
そういって満足したのか、妹は両手を使ってさらに強く僕の腕につかまった。結局明らかにする気はないらしい。僕の右肩に頬を摺り寄せている猫のような妹を、僕はうさんくさげに見下ろす。
しかし、いいもの、ね。
年頃の女の子らしいものかつ華黒が買いそうなものかつとてもいいもの……。
すさまじく嫌な予感がするのは僕の気のせいかな。
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