第2話『民法七百三十四条』2
とはいえ、なんとかしなきゃと悩んでみても、それは授業を聞き流す口実にしかならないわけで。完璧超人の妹とは違って僕はそこまで真面目ではなく、ぼけーっと午前中の授業を右から左にベルトコンベアーだった。
ついでに、授業を惜しみ悩んだところで簡単に答えなど出るはずもなく、なんとかしなきゃの“なんとか”は明確な回答をえないまま空中分解していく有様だ。
当たり前といえば当たり前。もう数十回、数百回と検討してきた題目だ。そう都合よく解決するわけもなく、糸口を探しては見失うばかり。
「対策その一」
兄としての人望を失墜させる。
つまりは華黒の異常なまでの家族愛(家族愛ったら家族愛なのである)の矛先を潰してみる。
「……一番難しいかも」
たとえ僕がニートになったところでだめんず・うぉ~か~よろしく養ってくれるだろうし、ムショに入っても毎日面会に来るだろう。これは自信なんて高尚なものではなく、彼女を分析した結果として、だ。
「……兄……その…………」
「対策その二」
僕が彼女を作る。
「無理」
いまだもって女子とお付き合いしたことない僕に何が出来るというのか。
「……兄さ…………少し……。……ぃさん……」
なんだか雑音がちらつくんだけど、考え事をしてるので無視。
「対策その三」
華黒が恋人を作る。
「これが一番堅実なはずなんだけどなぁ」
引く手数多な自慢の妹だ。
やる気さえ見せればカップラーメンより早くできあがる。
どこかに華黒のハートを奪えるような猛者はいないものか。
「なんだってあんな偏食になったのやら――」
「…………ふっ」
「ひぇあっ!?」
耳に息を吹きかけられた。
背中にゾクリと悪寒がはしり、僕は思わず起立してしまう。
「ふふ、感じちゃいました?」
「何を……って華黒!? 顔近いよ!?」
焦点を合わせた目の前で、妹が僕を見つめ返していた。
「もうとっくに昼休みですよ。しっかりしてくださいな」
「あれ?」
言われて辺りを見回してみると、たしかに皆々が昼食をとっていた。
とっくに四限目など終わっていたようだ。
教室の人数が三分の二ていどまで減っているのは、おそらく購買と学食のせいだろう。
「了解。ちょっと待って。ついでに離れて。財布を取り出さなきゃ」
「あんっ」
左手でグイと華黒の顔をおしのけて、余った右手でカバンの中の教科書をかき分け底の方にある財布を掴む。
「じゃ、学食行こっか」
「その前に少し寄るところが……」
けれど用事はそれだけじゃなかったらしい。
言いにくそうに目を泳がせながら、華黒はきりだした。
「私、屋上に呼ばれているんです」
「なるほど。対策その三……か」
一人納得する。
「何のことです?」
「いや、何でもないよ。それで?」
「兄さんにもついてきてほしいなぁって思って……駄目ですか?」
「…………」
僕の沈黙は消極的な否定の明示だ。
それを察せない華黒ではないけど、逆に撤回もしないだろう。なにせこれは“いつものこと”なのだから。
「あの、どうしても駄目なら。でも、兄さんにいてもらわないと、私……」
「…………わかったよ。行こう」
つくづく僕もあまい。
歩き出さない妹を先導するために、僕は先行して屋上を目指した。
「待ってください兄さん」
慌ててついてくる気配が後ろに。
それと、
「あ~あ、またしゃしゃりでる気だよあのシスコン」
「メンヘラに何言ってもしょうがないわよ。相手の男子が可哀想だけど」
そんな非難がましい呟きが教室のあちこちから。
「はぁ」
溜息一つ。
僕だってそんなことわかってるけど、でも仮に華黒があいつらの妹だったら彼女の頼みを放っておけるのかなって、そうも思う。
……全く、救いがたい。
*
さっきの陰口もしかり、校内での僕の噂というものは聞いていて気持ちのいいものではない。
『百墨真白は重度のシスコン。華黒ちゃんも可哀想に』
学校でまことしやかに流れる僕の風評を平均してみれば、だいたいこういう言葉に収束される。
実態がまるで真逆なことを知っているのは統夜をはじめ限られた人間だけで、多くの生徒は先の評価を鵜呑みにして吐き出すことはない。
鵜飼に出来ない連中だが、理由がないわけでもないのだ。これが。
僕が妹にまとわりついている、なんて噂される直接的な原因の一つに、
「お待たせしました」
「華黒さん! ……って、メンヘラ兄貴も一緒かよ」
「どうも」
コレがある。
しかしメンヘラ兄貴とはこれまた初めて会うのに失礼な人だ。こちらはお辞儀までしたのに。
屋上で待っていた男は、僕の姿を確認するなりあからさまに機嫌を崩していた。
教師に怒られない程度に脱色した茶髪が目につく。体育会系か、はたまたプレイボーイか。少なくとも「趣味は読書です」なんて言い出すことはないだろう、多分。
その茶髪さんがこちらを睨む。
「たしか真白っていったっけ? あのさ、これから俺たちが何するか知ってるわけ?」
「概ね」
屋上の風に目を細めながら僕は答えた。
「わかっててここにきたわけ? なに考えてんのお前?」
「何も」
「てめっ!」
あくまで背景に徹しようとする僕の心遣いに何か不満でもあったのか。茶髪さんは今にも殴りかからんとして、
「止めてください」
華黒の言葉にピタリと止まった。
ちょっと面白い。
「兄さんを連れてきたのは私です。不満があるなら私にどうぞ」
強い意志を宿した両眼で、僕を庇いながら睨みつける華黒。美人というだけでなく生き生きとした瞳も華黒の人気の一因なのだが、ひるがえって彼女の視線に刺された場合の凄みもまた大層なものだろう。相手の男が一歩引く。
「あ、いや、別に華黒さんに不満なんて……」
妹にはさん付けで、しかも素直なのね。
「でもさ、一応書いてたよね? 兄貴は連れてこないでって」
「ええ、拝見しました」
「何で連れてきたわけ? 兄貴空気読めてないじゃん?」
耳が痛い。
「あの文面に強制力を感じませんでしたので順守することもないと判断しただけです。第一、私が兄さんをこの場に連れてくるのはいつものことですし、そうするなとの要求をした時点でこうなる可能性を覚悟されているものと解釈しましたが?」
「そうだけど……」
「不満ですか?」
「だから別に不満なんて……」
こっち睨みながら言われても説得力はないんだけどね。
「背景や空気のように思って気にしないのが一番だよ」
その視線にひらひらと手を振りながら、親切なアドバイスをあげる。
男は小さく舌打ちをして、無視を決め込んだ。諦めたらしい。
いいこといいこと。
近頃は実力行使で僕を排除しようとする人が多かったから、こういう理解のある人はとても助かる。
「それで話したいこととは何でしょうか?」
「あ、いや、そのよ……」
「私も兄さんもまだ昼食を終えてないんです。できれば早めにお願いしますね」
催促する華黒に、うろたえる男。彼にしてみれば耳を疑う内容だろう。何せいつも真面目で誰にでも優しい百墨華黒。我が瀬野第二高等学校が誇るカリスマ少女。彼女の口から出てくる言葉にしては、少しばかり辛すぎる。
そして華黒も華黒でいい性格をしている。異性を手紙で屋上に呼び出す必然性なんてある程度限られてくるのだから、中々言い出せなくて当然だろうに。
期待どころか動揺さえもしていない妹を見ていると、勇気を振り絞って言葉を紡ごうとする彼に少しばかり同情してしまおうというものだ。
「あ、あの……! 華黒さん!」
覚悟完了したのだろう。
心も体もガチガチのままで、それでも言葉だけはスラリと言い切った。
お見事。
さて、昼御飯だ。
……そうだな。今日は肉うどんでも食べようかな。
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