第31話 王宮にて
私達は、オイゲン大公の居城を皮切りに、首都ケルサまでの道のりを三週間かけて戻った。道々、ぜひ立ち寄ってほしいという人達の歓迎を受けながら、街道を首都ケルサにむけて行進していった。黄金竜を倒した王子、異国の皇女、殿下を救った森の民の人々、類稀な歌声を持つ歌姫、そして竜に囚われていた人々。こんな珍しい行列、一生に一度しか見られないかもしれないと、街道沿いは大変な賑わいだった。
ケルサに着くと、王宮前の広場ではたくさんの人達が私達を出迎えてくれた。その中に侯爵夫人の姿があった。
「奥様!」
私は馬車から降りて走った。奥様の胸に飛び込む。奥様がぎゅうっと私を抱き締めて下さった。
「ギル! 心配したのよ。さ、顔をよく見せて頂戴。元気そうで良かったわ。ヤタカさんも来ているのよ」
奥様の後ろから魔女様が顔を出した。七つ森からわざわざ出て来て下さったのだ。魔女様も私を抱き締めて下さった。耳元で囁いた。
「ギル、ヴォルがね、生きてるんだよ」
「え! 本当に!」
黄金竜の炎に焼かれて、私はヴォルが死んだと思っていた。ヴォルは平原にたまたま開いていた穴に飛び込んで助かったのだという。後ろ足から尻尾に火傷を負ったけど、魔女様の手当で治ったのだという。
その時、大きな声が聞こえた。王宮の執事長だろうか、国王陛下が私達全員を王宮に招いて下さったと言っている。私は早く侯爵夫人のお屋敷に帰りたかったけれど、国王陛下のお招きを断るわけにはいかなかった。
王宮の一室に通され、私は窓から庭を眺めた。部屋には私一人だ。皆別々の部屋を与えられた。
庭には色とりどりの花が咲いている。私は花に誘われて王宮の庭を散歩した。王宮に招かれるなんて滅多にないのだ。ここはぜひ、見て回っておきたい。たくさんある庭園を抜け、帰り道がわからなくなった時、どこをどう間違えたのか、とんでもない場面に遭遇してしまった。名残のバラが咲く庭園で竜王バチスタ様が皇女ミレーヌ様に愛の告白をしていたのだ。
「ミレーヌ殿、私は湖の国を再興してそなたを妃に迎えたいと思っている。どうか、待っていて頂けないだろうか」
「まあ、バチスタ様から妃として求められるとは、これ以上ない幸せ! 女としてこれほど名誉な事はありませんわ」
ミレーヌ様は柔らかな声で応じられていたが、すぐに固い声を出された。
「ですが、私には立場があるのです。私はレオニード殿下と見合いの最中。そして、ここはあなた様の宮廷ではありませんわ。失礼致します」
「ミレーヌ殿!」
まさか、まさか、ミレーヌ様がバチスタ様を袖にするなんて!
「ギル、ここで何をしているのです?」
私はミレーヌ様と鉢合わせをしてしまった。向うに愕然としたバチスタ様が立ち尽くしている。
「あの、あの、た、たまたま、庭で道にまよって……」
私はしどろもどろに答えた。ミレーヌ様は私の手を取るやどんどん引っ張って行く。そして、あの麗しのミレーヌ様が、なんと愚痴をこぼされたのだ! よほど頭にきたらしい!
「本当に殿方というのは! 人をなんだと思っているのです! いいですか、私には皇位継承権があるのですよ。第三皇位継承権をもっているのです、帝国の。私は父上や兄上達に何かあったら、女帝として立つ身なのですよ。それなのに……。そもそも、最初から殿方に頼って生きるような生き方は選んでいないのです。今回のお見合いも、ブルムランドの宮廷を私の接待に釘付けにして、我が国への感心をそらすのが目的でした」
「ええ!」
「ですから見合いだったのです。見合いとなれば、私を丁寧に扱わないわけにはいかない。なんといっても私と殿下が結婚すれば、ブルムランドは今後、帝国からの侵略を恐れる必要はなくなるのですから」
ミレーヌ様は私の手を掴んだまま早口でしゃべりながら、王宮の庭をどんどん歩いて行く。
「目的は遂げられました。そもそも、私が来る必要もなかったのです。国王陛下はベルハの元王妃に夢中で、帝国への感心は全くなかったのですから! ですから私は気楽に竜退治に出かけられたのですよ。私はもうすぐ帰国します。バチスタ様は素晴らしい男性です。しかし、王族の結婚を甘く見ています。王族の結婚は好き嫌いで選べるような物ではないのですよ。そこがわかってない」
「ミレーヌ様、落ち着いて下さい!」
ミレーヌ様が立ち止まった。肩で息をしていらっしゃる。広い庭園に人影はない。
「ギル、悪かったですね。つまらない話を聞かせてしまいました」
「いいえ、姫様。あの、私で良ければいつでもお聞き致します」
ミレーヌ様は私を振り返ると、にっこりと笑った。
「そうね、ギル、あなたなら信用できますものね。……私の部屋へ行きましょう。喉がかわきました。一緒にお茶を頂きましょう」
そして、ミレーヌ様とお茶を頂いていると、侍女がやってきてミレーヌ様に耳打ちをした。ミレーヌ様が怪訝そうなお顔をして「お通しして」と言う。誰がミレーヌ様を突然尋ねてきたのだろうと思ったらレオンだった。美々しくはないが、きちんとした王子様の格好をしている。
「ギル! ここで何をしている!」
どうしてみんな私に同じ事を言うのだろうと思っていると、ミレーヌ様がかわりに返事をして下さった。
「私がお茶にお招きしたのです。殿下、そのように慌てて、どうなさったのです」
「ミレーヌ殿、お人払いを」
私が席を立とうとすると「ギル、君はいい。いてくれ」とレオンが言った。ミレーヌ様の侍女達が密やかな衣ずれの音を残していなくなった。人がいなくなったのを確かめると、殿下が小声で言った。
「ミレーヌ殿、バチスタ殿の申し出を断ったとか」
ミレーヌ様は優雅にお茶をすすられた。
「殿下、どうぞ、御掛けになって。そのように単刀直入に用件を切り出すなど、無作法ですわ」
「これは失礼」とレオンが椅子に腰掛けた。ミレーヌ様が言う。
「私はあなた様とお見合いの最中でございます」
レオンが不思議そうな顔をした。
「しかし……」
「しかしも何も、私がここに滞在しているのはその為です」
「私はあなたと冒険の旅をした。バチスタ殿への貴女の態度から、てっきりバチスタ殿を好きになられたと思っていました。私の勘違いでした」
ミレーヌ様はちらりとレオンを見ると、ため息をついた。
「殿下、私がバチスタ様に好意的な態度を取ったのは命がかかっていたからですわ。生きて帰還するのが一番の目的でした。生き延びる為なら、私、何だってやりましたわ」
「つまり、あなたは生きて帰還できたので、バチスタ殿にこれ以上愛嬌を振りまく必要はないと」
ミレーヌ様がレオンのいいように軽く眉をしかめられた。
「殿下、私は帝国国民の為に生きております。私の感情など、帝国の国益の前にどれほどの価値がありましょう。私はお国と違って、皇位継承権を持っています。殿下の国では女性に王位継承権はありませんが、我が国では女性にも認められているのです。つまり、私が産んだ子供は自動的に帝国の第何位かの継承権を持つのですわ。もちろん、殿下はご存知ですよね。そのような重大な出来事を私の一存で決められるとお思いですか? それも恋愛等という一時的な感情のままに」
レオンはさらに声を低めた。
「しかし、バチスタ殿は恐ろしい程の魔力の持ち主なのですよ。機嫌をそこねたら、我が国ぐらい吹き飛ばしてしまうかもしれない」
「だからなんです。バチスタ様は約束されました。魔力は使わないと。私、心配しておりません。それに、それほどの魔力をお持ちなら、私に術をかけたら良いのです。それこそ、簡単でございましょう。それよりも殿下、殿下は私が出発する時、私に申込んで下さいますよね。まさか、お立場をお忘れではありませんよね」
レオンが私をちらりと見た。
「その話は……」
と言葉を濁す。
「ギルの前では出来ませんか? ですが、ギルこそ知っておくべきです」
何? 何の話?
私は嫌な予感がした。
「ギル、殿下は私に結婚の申し込みをするのです」
ミレーヌ様が容赦なく言った。私は頬から血の気が引いて行くのがわかった。
「ギル、聞きなさい。いい機会です。殿下は私にプロポーズされるのです。それが、わざわざ表敬訪問にやって来た帝国皇女に対する礼儀なのです。いいですか、一国の王子として国の平和と安定の為に殿下は私に結婚を申込むのです。そして、私は殿下にこう申すのです。『国に帰ってからお返事します』と。これは、あくまで国同士の駆け引きです。ギル、わかりますか?」
私はどうしたらいいかわからなかった。好きな人が目の前で、他の女の人に結婚を申込む話をしている。私はどうしたらいいのだろう。心はぐちゃぐちゃだった。だけど、体は素直に反応していた。涙が、ぽたぽたと手に落ちる。
「ギル、聞いてくれ」
「殿下、私、席を外しますね」
ミレーヌ様がしずしずと部屋を出て行かれた。
「ギル、頼む。俺は王子として結婚しなきゃならない。だけど、君を愛している。君だけを愛しているんだ。ギル、生涯、俺のカナリアになって貰えないだろうか? 君に後宮に入ってほしい」
いつのまにか、レオンが私の側に跪いて、私の手をとっている。
「……レオン、どうして、どうしてあなたは王子なの。風来坊のレオンならいいのに、どうして、どうして、最初から王子だって名乗らなかったの? そしたら、私、あなたに恋をしたりしなかったのに……。レオンの馬鹿!」
私は、嗚咽を上げて泣いていた。もう、止らない。レオンが抱き締めてくれるのがわかる。額にレオンの唇が……。応えたい。レオンの気持ちに応えたい。でも、でも、ああ、もう、ぐちゃぐちゃだ。
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