第四章 永遠の愛

第30話 オイゲン大公

 私達はブルムランドが見渡せる山の上空にやってきた。

 広大な平野、森、丘陵地帯。遠くに広がる海。

 月明かりにすべてが黒い影絵となって浮かび上がる。隣を飛んでいるレオンの声が聞こえた。

「素晴らしい! これが我が国、我が国土か!」

 レオンが高揚している。月明かりに浮かぶレオンの晴れ晴れとした顔。

 レオンはこの国をいずれ治めるのだわ。

 その時、レオンの隣に立つのは王妃。私ではない。

 慣れ親しんだ失望が人の国に帰って来たのだと私に教える。

 竜王様はイシュリーズ湖が見える岩山に私達を降ろしてくれた。左手にファニの洞窟の空き地が見える。人の気配はない。

 イシュリーズ湖が月明かりにきらめいている。

 人の姿になった竜王様が言った。

「レオン、そなた達は、これから湖の右側の森の中に降りて貰う。私の部下達がそこで支度をして待っているので、今夜はそこで野営をする。明日の朝、湖を船で渡ってそなた達を迎えに来た人達と合流しよう」

 私達は使役の竜に乗って森の空き地に降りた。そこには、竜王様が先に送り出していた竜人達が、数頭の馬と一緒に待っていた。ガリタヤも一緒だ。使役の竜達は役目が終わると竜の国へと帰って行った。

 私達は森の空き地でテントを張って休んだ。私は横になるとあっというまに眠ってしまった。朝から、物凄く忙しかったのだから当たり前だ。だけど、真夜中に目が覚めた。風に乗ってかすかに人の話し声がする。

 私はテントを出て、その声の方へ歩いて行った。木立の中に人影が見える。竜王様とレオンだ。何か話している。

「……ここに湖の国を再興されるのですか?」

 レオンが驚いたように言っている。

「そうだ。ファニは私の妹だったのだから、私が妹の財産を受け継いで問題はあるまい。私は人としてここに国を作りたいのだ、魔力は使わずに」

「しかし、竜の国はどうするのです?」

「私がいなくても家臣共がうまく治めるだろう。私が人の世で暮すとしても高々五十年。長命な竜にとっては瞬きする長さだ」

「しかし、何故?」

「ギルの歌が聞きたいと申し出る竜達がこれから増えるだろう。竜が人の国に行くなら、人の世界での身分がないとまずかろう。それなら、我々の国があった方が何かと便利だからな。それに、私はミレーヌ殿に求婚するつもりだ。彼女の身分を考えたら一国の王である必要がある」

 レオンが息を飲むのがわかった。

「バチスタ殿、私は父にあなたの国を承認するよう働きかけましょう。父は私を救ってくれたあなたに感謝して、湖の国の復活を認めるでしょう。私の国が承認すれば、ここに湖の国ラメイヤは復活するでしょう」

 私達は、国に帰って何があったか聞かれたら「竜の洞窟からずっと先の森の中に不時着。竜の気球は底なし沼に沈んでしまい、私達はバチスタ様率いる森の民に助けられた」と話す事になっていた。レオンは恐らく、バチスタ様を森の民の王として、国王陛下に紹介するつもりなのだろう。

 竜王様がミレーヌ様に求婚!

 凄い!

 竜王様、ミレーヌ様に一杯贈り物してたもの。

 きっと一目惚れだったんだわ。

 そっとテントに戻った私は、竜王様とミレーヌ様の恋を思い描きながら眠りについた。



 翌朝、私達は湖を小舟で渡った。

 対岸に着くと、バーゼル騎士団長とたくさんの迎えの人々が待っていた。それからはてんやわんやで、私達の無事の帰還を喜ぶ人達でもみくちゃにされた。

 レオンが、竜王バチスタ様を森の民の王として人々に紹介した。

「こちらは我々を助けて下さった森の民の王バチスタ殿だ。私の命の恩人だ」

「バチスタ・フォン・ロイエンタールと申す。見知り置かれよ。我が国の民は、この湖の国の遠い子孫にあたる。今までは、黄金竜がいたため戻れなかったが、レオニード殿下が黄金竜を倒してくれたので、帰還が適った。王子には感謝している」

 騎士達から歓声があがる。

 私は、えっと思ったけれど、竜人ではなく、人として、森の民の王としては、当然の謝辞だった。

 バチスタ様、凄い。すっかり、森の民の王を演じている。

「バチスタ殿、その謝辞はそのままお返しする。底なし沼にはまり、命を落としそうになっていた我ら三人を救い出し、何よりギルの喉を治してくれた。どれほど感謝してもしきれない。

 皆の者、ロイエンタール公はここに、湖の国ラメイヤを復活させるつもりだ。私は命の恩人であるバチスタ殿に全面的に協力するつもりでいる。皆もそのつもりでいてくれ」

「レオニード殿下を救って下さった方は、我らにとっても恩人。もちろん、我々も協力致しますぞ」

 レオンを迎えに来た大貴族達の間から賛同の声があがった。

 

 私達はケルサに戻る前に、イシュリーズ湖から一番近いオイゲン大公の屋敷へ行く事になった。大公はレオンの大叔父にあたる人で、第何位かの王位継承権を持っているそうだ。ロジーナ姫達もオイゲン大公の元に向っているのだという。今日、明日にも大公の元に到着するだろうとバーゼル様が言っていた。私はロジーナ姫やセイラさんにまた会えるかと思うとすごく嬉しかった。

 私達はロジーナ姫達と合流して、ファニの黄金と共に首都ケルサに戻るのだ。人々が熱狂する様が今から目に浮かぶ。


 夕方、オイゲン大公の居城近くまでやってきた。

 大公の居城は、小麦畑の真ん中にある小高い丘の上に立っていた。丘の麓には大きな川が流れ、石橋がかかっている。

 大公は橋のたもとまでレオンを迎えに来ていた。一緒にロジーナ姫の姿が見える。一足先に大公の居城に着いていたらしい。

 大公はレオンを恭しく出迎えた。大公というのでどんなに厳めしい人かと思ったら、可愛らしいお祖父ちゃんだった。つるっつるに禿げた頭。長く伸びた真っ白な髭。髭と同じ色の白馬に股がっていた。

 ロジーナ姫達は殿下が派遣した赤獅子騎士団の分隊に助け出され、苦労の末、山を降りて来ていた。馬で大公の居城に向いながらロジーナ姫が殿下に言った。

「殿下、ご無事で何よりでした。気球が飛んでいった時はどうなるかと思っていました。私達に出来る事は何もなかったので、迎えに来た赤獅子騎士団の方達と一緒に山を降りましたの」

 さらに、ロジーナ姫は声をひそめて、殿下に言った。

「ファニの財宝をすべて持って来ました。殿下、四分の一はあなた様の物です」

「ロジーナ殿、助かります」

「いいえ、こちらこそ、私共を救って下さってどれほど感謝しているか!」

「ロジーナ殿、紹介しよう。こちらは、ロイエンタール公。森の民の王にして、湖の国の遠い子孫にあたられる。底なし沼に不時着した私達を助けて下さった。私の命の恩人だ。この度、湖の国再興の為、我が国を訪問された」

「バチスタ・フォン・ロイエンタールと申す。お噂はかねがね」

「まあ、湖の国の子孫の方なら、ファニの日記に興味がおありかしら? 読まれます?」

「それは、ぜひ」

 ロジーナ姫とバチスタ様は気があったみたいだ。ロジーナ姫は私を見るなり一言。

「あなたも無事で良かったわね。喉が治ったんですって。随分ひどく裂けていたと思ったけど……、あなた、思ったよりずっと悪運が強いのね。ほほほほほ」

 毒舌ロジーナ姫は健在だった。私はファニの洞窟から逃げて来た人々の中にセイラさんを探した。

「あの、ロジーナ様、セイラさんは?」

 ロジーナ姫が悲痛な顔をした。この人でもこんな顔をするんだ。

「セイラはね、セイラは……、身を投げて自殺したのよ。あの子は自分がファニに操られていたとわかって、責任を感じたの。あなた達が飛ばされた時、セイラは気絶してね、あの時、初めてファニの支配から解放されたのよ。セイラは気が付くと激しく泣き出して、自分が今までどれだけ操られていたか、話してくれた。例えば、山にあった割れ目の話もそう。越えられない割れ目があると言って、みんなの逃げる気持ちをくじいていた。洞窟にいたら外の世界より安全だと思わせていた」

「そんな! なんて狡猾な!」

「あの子は洞窟で生まれて育ったの。外の世界に行くのが怖いと言っていた。それもあったのね、発作的に崖から飛び降りたの。もし、あの湖に行く事があったら、お墓を立ててあげたいわ」

「その願いは適うだろう。あなたに出来なくても、私が墓を建てよう」と、バチスタ様が言った。

「あなたが?」

「そうだ。私は、湖の国を再興する。まず、ファニの犠牲者を追悼する墓所の建設から始めよう。それから、湖畔に街を作る。最初は村程度だが、将来に備え最初から都市計画に基づいた街作りをする。道を整備し、産業を育てようと思っている」

「まあ、素晴らしい。もし……、いいえ、無理ね。仮定の話はしないわ」

「私の仕事を手伝いたいなら、いつでも」

「まあ、素敵!」

 ロジーナ姫とバチスタ様はお二人で新しい国作りの話を始めた。すごく楽しそうだ。

 懐かしい話、これからの話をしている内に大公の居城に着いた。


 その夜、オイゲン大公が開いた歓迎の宴の最中、私が歌を披露すると大公が笑いながら言った。

「殿下もスミにおけませんのお。このようなカナリアを捕まえられるとは。ぜひ、儂にゆずってくださらんかの」

「いえいえ、大叔父上でも譲れませんよ。彼女は『私のカナリア』です」

 一体、誰が誰の持ち物なのよと私は言いたい。周りにいた騎士様達が一斉に、にやにやとする。

「ほう、これはこれは。そのように執着されているとは思いませんでした。では、今宵殿下の相手はこの者がするのですな」

 私が「失礼な」と叫ぼうとした矢先、レオンが椅子をけって立ち上がった。

「大公! 『私のカナリア』を侮辱しないでいただこう。もし、侮辱するなら私がお相手する。大叔父上でも容赦しませんぞ!」

 物凄い剣幕でレオンが怒っている。初めて見た!

「おお、殿下! これは失礼した」

 大公様が目を白黒させて謝罪する。皇女様が助け舟を出してくれた。

「ほほほ、殿下、どうかおかけになって」

 レオンが蹴った椅子を侍従達が整える。レオンがもう一度座った。ミレーヌ様が優雅に話される。

「大公様はお酔いになられたのですわ。大公様、彼女は素晴らしい芸術家ですの。この世に二つとない歌声だとは思いませんか?」

 大公はバツが悪そうに白いヒゲをひねった。

「ま、確かに、素晴らしい歌声でしたな。聞いた事がない歌声じゃった」

「我が帝国は、文化的にはまだまだお国に適いません。もし、ギルが我が国に来てくれるなら、私は父上に劇場を建てさせますわ。ギルの歌声にはそれだけの価値がありますもの」

「ふむ、時代は変わりましたな……」

 大公はワインを飲み直した。

「儂の若い時分は、歌い手はみな、流れの民でした。彼女達は、祭りがあるとやってきて、踊りと歌を披露しますのじゃ。命じれば、もちろん、夜伽をします。朝までには、幾ばくかの金を貰って去って行きましての。それはそれで、一夜の夢でしたな。祭りの夜の夢じゃった。提灯の灯りの下では、みな、美女に見えましての。

 歌い手が芸術家とは!

 ま、なんといっても、現国王が半島を統一したのですからな、時代が変わって当たり前ですな。しかし、殿下、間違えてはいけませんぞ。この者の歌声に執着する気持ちはわかります。が、所詮、歌姫は歌姫。殿下はまだお若い。恋など『はしか』と同じ。手に入れてしまえば冷めるもの。永遠の愛などないのです」

 それまで黙って聞いていたバチスタ様が言った。

「しかし、人は永遠に生きられない。短い命の人が、何故、永遠の愛などないと断言出来るのです? 確かめようがないのに」

「それは詭弁ですな。森のお方。男ならおわかりになろう。我が輩は若い頃たくさんの恋をした。しかし、そのほとんどの女達を覚えていない。もちろん、妻は別です。あれは、我が子供達の母ですからな。殿下、若い内はいろいろ経験してみても良いでしょう。しかし、決してお立場をお忘れになってはいけませんぞ。

 ところで、殿下には儂がアジャ平原で敵兵百人を相手に戦った話をしましたかな?」

「いいえ、まだ、伺っておりません」

 レオンはいつもの穏やかな王子様に戻っていた。

「それはぜひ、お話しませんとな。あれは、儂が、、」

 周りの様子から、この話が大公様の十八番で、大公様が何度も繰り返し話しているのがわかる。おそらく、レオンも聞いた事があるのだろう。それでも、レオンは初めて聞く話のように、相槌を打ちながら聞いている。さっき見せた劇烈さはすでに影をひそめている。


 私は大公の話が気になった。考えてみれば、レオンは私に夜伽を命じようと思えば出来る立場なのだ。でも、レオンはそんな事はしない。私に敬意を払ってくれている。レオンは私を対等な立場の人間として扱い、そして、竜を倒し私を助け出してくれた。今も私を侮辱する人間を激しく叱責する。レオンは何も言わないけれど、私を愛してくれているのはその態度からよくわかる。好きな人から愛されて、一体、何故、私はこんなにも憂鬱なのだろう。

 バチスタ様は言う。人の命は短く永遠に生きられない。なのに、何故、永遠の愛が無いとわかるのかと。何故、無いと決めつけるのかと……。

 そう、私が案じているのはそこなのだ。レオンは今は私を愛してくれている。だけど、いづれ、レオンはどこかの王女と結婚する。私への愛は、恐らくその時冷めるのだ。レオンは国の為に結婚するとしても愛してもいない女と結婚するような人ではない。相手を愛するように務めるだろう。

 そう、そうなのだ。結局、レオンの愛は永遠の愛ではないのだ。今、私を愛していても……。

(これからはずっと一緒だ)

 レオンの言葉が頭の中でリフレインする。甘い喜びの言葉は、やがて苦く悲しい言葉へと変化するだろう。そうなった時、私はそれでも、レオンを愛し続けられるだろうか? 結局、私の想いもいつか冷め、レオンへの恋は思い出になるのだろうか?

 それとも、心変わりしたレオンを憎むようになるのだろうか?

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