第3話 午後のお茶

 私は客間でナハイド先生から歌の指導を受けていた。歌い終わった時、拍手がした。はっとして、振り向くとレオンがいた。いつもの祖末な服を着て、でも、緑の瞳を煌めかせて、鷹のように立っていた。

「レオン!」

 私は走り寄った。

「聞いてたの? 何時からそこに?」

「久しぶりだな、おまえが試験に合格したときいてな。祝いだ」

 レオンが箱をくれた。フタを開けると、焼き菓子が入っていた。色とりどりの花が乗っている。真ん中に「おめでとう」とあった。

「これを私に! ありがとう!」

 後ろにいたナハイド先生が、ゴホンと咳をした。

「あ、すいません、先生。練習中に」

「仕方ありませんね。今日の練習はここまでにしましょう。さっき注意した所を忘れないように」

「はい、先生。あの、先生。レオンからお菓子を頂いたんです。先生も一緒にお茶をいかがですか?」

「いや、遠慮しよう。読みたい本がありますのでね」

 先生はレオンに軽く会釈をして出て行った。

 ナハイド先生はレオンとは決して同席されない。何故だろうと思ったけど、きっと、レオンと馬が合わないのだろう、先生は芸術家だし、レオンは騎士だものと思って納得した。

 晴れた日の午後、五月の涼しい風が開けた窓から流れ込んでくる。庭に咲いたバラの香り、濃い緑の香りにお茶の香りが混じった。

 私はレオンと二人でテーブルを囲んだ。

「素敵! このお花、飾り? 食べられるのかしら?」

「花は砂糖に色をつけて作るらしい」

「へえ、こんな珍しいお菓子、どこで売ってるの?」

 一瞬、レオンが固まった。

「それはその。あれだ。知り合いに、菓子作りのうまいのがいてな、作って貰ったんだ」

「へえー、凄い!」

 私はしばらく見とれた。

「どうした? 食べないのか?」

「だって、食べるのがもったいなくて!」

「気に入ったなら、また、作って貰うさ。さ、食べろ」

 私はナイフでお菓子を切り分けた。レオンの皿に乗せようとすると、レオンが手を振る。

「俺はいいから。君の祝いだ」

「……でも、一人で食べてもつまらないわ。一緒に食べてよ」

 レオンは「じゃあ、少しだけ」と言って切り分けたお菓子を受け取ってくれた。私は砂糖で出来た花をつまんで口の中にほうりこんだ。口いっぱいに甘い味が広がる。

「うーん、おいしい!」

 レオンが呆れた顔をした。

「君は、本当に幸せそうな顔をするな。悩みはないのか?」

「失礼ね。私だって、悩みくらいあるわよ」

「ほう、どんな悩みだ? どうせ、初舞台で失敗したらどうしようとか、そんな悩みだろう」

 う、図星だ! でも、ここで認めるのは癪にさわる!

「ち、違うわよ!」

「じゃあ、なんだ?」

「えーっと、失礼な男の人からどうやったら、からかわれずに済むかって悩んでるの!」

 レオンが笑いだした。楽しそうだ!

「それなら簡単だ。淑女になるんだな。貴婦人をからかったりしない」

「どうせ、私は子供ですよ、ええ、子供ですとも! でも、子供は育つんだから! その内、見違えるような淑女になって見返してやる!」

「そのいきだ。がんばりたまえ!」

「まあ、ここは楽しそうね!」

 奥様だ。用事が早く済まれたのだろう。

「おかえりなさいませ。奥様」

「ただいま、ギル」

「叔母上、お邪魔しております」

「ようこそ、レオン。まあ、美味しそうな焼き菓子ね」

 召使いが奥様のお茶を用意した。奥様はすっかり元気になられた。頬をピンク色に上気させて、とてもお元気そうだ。白髪をふわりとまとめて、グレーのドレスを着ていらっしゃる。

「そういえば、ギル、あなた、ベルハの出身だったわね」

「はい」

「ベルハの王妃様が、我が国の後宮に入られたのよ。これでベルハも落ち着くでしょう」

 後宮? 後宮って、まさか、まさか、王様のお妾さん?

 あのお優しくて、気高い「ベルハ王宮随一の華」と言われたジェラルディス王妃が、ブルムランド国王アーノルドⅠ世のお妾さん?

「どうしたの? ギル、あなた、顔が真っ青よ」

 私は下を向いた。

「いえ、大丈夫です。それで、お子様方は?」

「亡くなられたんですって。王妃様の逃亡先の修道院で病になって……」

 私は涙があふれた。

「ギル、あなた、どうしたの? さあ、これで、涙をふきなさい。あなたには辛い話だったかしらね。私はまた、国が落ち着いたら故郷に帰れるから喜ぶと思ったのだけれど」

「ギル、君は王家の人々を知っているのか?」

 私はレオンの鋭い視線を感じた。声に獲物を狙う鷹のような気迫がある。

「あの、私、父が王宮の兵士だったんです。それで、父の元へお弁当を届けに行ったりしてて。それで、その、お子様方やお優しい王妃様ともお目通りした事があって」

「まあ、そうだったの。それは辛い話をしたわね。でも、これで名実共にベルハはブルムランドに併合されたの。これでやっと半島が統一されたわ。あなたが故郷に帰れる日も近いわよ」

 故郷? ベルハに? 帰っても誰もいない故郷に?

「ねえ、ギル、親しい人をなくして辛いかもしれない。でも、あなたの歌声はきっと、戦争で傷ついた人々を癒せるわ。いつか、あなたの故郷であなたの歌声を響かせなさい。ね、だから、今は、一流の歌姫目指して精進しなさい。あなたならきっとなれるわ」

「そんな奥様、買いかぶり過ぎです」

「叔母上、ギルはまだまだ子供ですよ。一流の歌姫になるのは先の話だ」

「何を言ってるの、レオン。この子の礼儀正しさ、物腰、知識、何より類稀な歌声。十分、なれますよ。

 我が国では歌姫や歌い手の地位が高いの。ケルサの街は商業が盛んでしょ。外国からたくさんの人が物を買いにくるわ。その人達の間で、我が国の歌劇が評判になったの。歌劇を聞きに遠くから人が来るようになったのよ。おかげで国がとても潤ったの。ところが、優秀な歌い手を買収する人達が現れてね。だから国は国立劇場を作って、歌い手達の収入と地位を保証するようにしたのよ。国立劇場の試験に通ったんですもの。あなたは必ず一流の歌姫になれるわ。もともと、素質があったのね。あなたの親御さんはどんな人だったの」

「父は、今申し上げたように、王宮の兵士でした。母は鍛冶屋の娘で剣を研ぎにきた父と知り合って結婚したそうです。父と母はとても仲の良い夫婦でした。父は、王女様方を警護するのがお役目だったんです。それで、教育係の博士達と話す機会があったそうです。父の知り合った博士が言うには、『生まれながらの貴族はいない。教育によって徳を積むのだ』と。それで、父は私に教育を施してくれました」

「そう、素晴らしいお父様ね」

「あの、でも。その父も、ブルムランドとの戦で亡くなりました。戦を逃れて逃げるうちに、母も流れ矢にあたって死んで。ブルムランドの国王がベルハに戦争を仕掛けなければ、こんな辛い思いをしなくてすんだのかと思うと。その上、いくら平和の為とはいえ、あのお優しい王妃様を愛妾にするなんて! ひどい!」

 私は泣き出していた。侯爵夫人が私の背中をさすり、抱き締めて下さる。

「君はひどいというが、もし、半島が統一されなければ、北からの脅威に対抗できないんだぞ」

「レオン、やめなさい。そんな話をしても、戦で犠牲になった人の心は納得しませんよ」

「しかし……」

 私は涙を拭きながら言った。

「北からの脅威って?」

「ブルムランドの北には、サルワナ帝国がある。もし、ブルムランドが小国のままだったら、例えば、帝国がベルハと結んで、我が国を挟撃するかもしれない。そういう事態を避ける為にも、半島を統一する必要があったんだ。

 それに、君の言うお優しい王妃様だが、ベルハの国王の先妻を毒殺して後添いになった女で、先妻の息子、世継ぎの王子を負け戦に送りだした毒婦と専らの評判だぞ。今回の後宮入りも王妃たっての希望だと聞いている」

「違うわ。ジェラルディス様はベルハの王様が先の王妃様を失って嘆いているのをお慰めした修道女見習いの女性だったんです。ベルハの王様がジェラルディス様に恋をして、それで、還俗させて王妃にしたの。世継ぎの王子様とだってうまくいってたわ。私が粗相をして王妃様のお召し物にミルクをかけてしまった時だって、笑って許して下さったもの。鞭打ちになっても良かったのに。

 何よ、レオンなんて会った事もないのに、ジェラルディス様の悪口を言わないで!」

 私は思わず大声を出していた。

 レオンが黙った。何かいいたそうだ。侯爵夫人がびっくりした顔をして私を見ている。

「あ! ごめんなさい!」

 レオンがため息をついて立ち上がった。

「カナリアを怒らせてしまったらしい。早々に退散しよう」

「ごめんなさい。大声を出して、私、あの。あ、待って、レオン! あの、渡したい物があるの。ちょっと待ってて!」

 私は客間を飛び出して、二階の部屋に行った。先日、劇場の総支配人からデビューする日のチケットを貰った。親しい人に渡すようにと。ケルサ祭の舞台のチケットは完売している。これはデビューが決まった新人への配慮なのだそうだ。侯爵夫人は貴族なので、ご自分の桟敷席をお持ちだ。でも、レオンはあの身なりだもの。高価なチケットは買えなかっただろう。私はレオンに会えたら渡そうと思って取っていたのだ。

 チケットを持って客間に戻り扉をノックしようとして私は固まった。

「レオン、うちにはもう来ては行けないといいませんでしたか?」

「しかし、叔母上。私にも息抜きが必要なのです」

 レオンと奥様の話し声が扉越しに聞こえる。

 レオンが奥様から来てはいけないと言われていたなんて……。

「そうね、息抜きは必要よ。でも、あなたがうちにお忍びで来てるって噂になって、私がどんなに困ったか、話したわよね。大貴族の親御さんから、ぜひ、娘とお見舞いに来たいって、これまでお付き合いのなかった人達から、正式な申し込みがたくさん来て断るのに大変だったのよ。ああ、もう、そんな顔をしないの。いいでしょう、たまに来るのは構わないわ。たまによ。それよりあなたには、もうじき大事なお見合いが」

「お見合い! ウソ!」

 私は扉を大きく開けて叫んでいた!

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