第4話 初舞台

 とうとう、初舞台の朝がやってきた。

 今日、初めて国立劇場に立つのだ。

 ポランさんの小さな劇場で、他の歌手と一緒に歌っていた時とは大違い。国王陛下が来る劇場で歌う。

 私は侯爵夫人の屋敷の窓から街並を見ながら大きく息をついた。

 街はケルサ祭で浮き立っている。街中に響く音がいつもと違う。物売りの声も、今日は稼げると思っているのかどこか明るい。

 ブルムランドの首都ケルサは、商業の盛んな街だ。商品の荷下ろしの為に現国王アーノルド一世は立派な港を作った。ケルサ祭はケルサの港が開港したのを記念して毎年行われる。衣装を凝らした人々が街を練り歩き、祭りの女王が山車に乗って大通りを進む。夜になると王宮前の広場で飲み物や食べ物が振る舞われ、花火が上がる。

 国立劇場では笑歌劇「騎士バインの恋」が上演される。その前座として、今年デビューする新人が歌を披露する。お祭りムードなので、新人が多少ドジを踏んでも、許される空気がある。祭りは要するに無礼講なのだ。「それでも」とナハイド先生は言う。

「他がドジを踏んでも、あなたはドジを踏んではいけません。上がってしまって歌えなくなったり、歌詞を忘れたり、音をはずしてはいけません。あなたには立派にやり遂げる実力があります。自信を持つのです。そして、集中力! 目の前にどんな人間が現れようと、あなたの歌を歌うのです。もし、自分の気が乱れそうだと思ったら、あなたが一番幸福だと思う風景を思い浮かべなさい。そうすれば落ち着くでしょう」

 ナハイド先生の注意を胸に私は国立劇場へ向った。控え室で舞台用のドレスに着替える。鏡を見ながらふとレオンを思い出した。

 奥様から来てはいけないって言われていたなんて。どうして、レオンが来たら奥様はお困りになるんだろう?

 あの時……。


「レオン、お見合いするの?」

「ギルベルタ・アップフェルト! 立ち聞きか? 貴婦人はそんな真似はせんぞ」

「ねえ、お見合いして結婚するの?」

「ギル、落ち着きなさい。さあ、座って。レオンを離しなさい」

 レオンの額にかかった緩く波打つ黒髪が揺れ、エメラルドの瞳が驚きに見開かれている。

 手に何か、感じた。

 え? 私、いつのまに?

 私はレオンのシャツを掴んで強くレオンを揺すぶっていた。

「あ、ごめんなさい」

「俺の見合い話が気になるのか?」

 レオンが信じられないという顔をして私を見てる。私は怒鳴った。頬が熱くなる。

「気になんか、ならないわよ! あ、あんたみたいな風来坊と結婚する女の人なんかいないわよ! 見合いしたって断られるに決まってるんだから!」

 レオンが突然笑い始めた。心底楽しそうだ。

「何がおかしいの?! いいなさいよ!」

 侯爵夫人のコホンという咳払いが聞こえた。

「ギル、それよりあなた、何かレオンに渡す物があったんじゃないの?」

「あ!」

 私は急いでチケットを取り出した。

「これ、ケルサ祭の舞台のチケットよ。レオンに上げる。私の歌、聞いてほしいの。きっと、来てね」

 レオンがものすごーく、困った顔をした。侯爵夫人もやはり困ったように言った。

「ギル、レオンはもう持っているわ。だからそれは、別の人に上げなさい」

「おまえの歌は必ず聞きにいく。客席にいなくても、必ず聞いているから。約束する。では、叔母上、私はこれで」

 客席にいなくて、どうやって聞くのと私は思ったけど、「どうやって」と私が聞く前にレオンはマントをひるがえして客間を出て行っていた。


 結局、見合いの話は聞けなかった。でも、奥様の甥だもの。きっと、良いとこの貴族のお嬢さんと結婚するんだろうな。

 私はため息をついた。

「アップフェルトさん、支度出来ましたか?」

 舞台の進行係の人だ。

「はーい、今行きます」

 レオンはきっと聞いてくれているわ。約束したもの。とにかく、ナハイド先生が言ったように、どんな舞台だろうと私は私の歌を歌うの。そうよ、私は竜の平原で飛んで来る黄金竜を見ながら歌ったのよ。人間なんて、ぜんぜんへっちゃらよ。

 私は鏡に向ってにーっと笑い、頬を軽くぴしゃぴしゃと叩いて気合いをいれた。

「よし、頑張っていこう」

 私は控え室の扉を開けた。


 舞台袖に行くと、出演者が集まっていた。

 ファンファーレが鳴り響く。国王夫妻とご家族の入場だ。国王の愛妾達もきっといるのだろう。

 国王のご家族が二階の特別席に着席して、開演のベルがなった。

 司会者が大声で口上を言っている。隣に立っていたミルトが私の手を掴んだ。

「ギル、チケットをありがとう。おかげで弟も聞きにこれたわ。ねえ、貰ってよかったの?」

「うん、いいの。チケット上げたい人はみんな、もう持ってて」

「そう。ねぇ、どうしよう。私、上がって歌えない」

「大丈夫よ。いつもの練習通りに歌えばいいのよ」

「そうね、そうよね」

 ミルトが青ざめた顔をして頷く。私はミルトの頬に手をあてた。冷たい。私の腕を掴む手も冷たい。私はミルトの手を握り返した。

 ミルトがニコッと笑う。ダニエルも側に来た。

「きっと成功するさ。明日の新聞は僕の名前で持ち切りだね」

「まあ、しょってる」

 と笑い出した所で、司会者が呼んだ。私達は打ち合わせ通り、舞台へゆっくり歩み出した。

 

 舞台の真ん中に立ち客席に向って一礼した。

 真ん中がダニエル、ミルトが左、私が右だ。司会者がまず、ミルトを紹介した。ミルトはアルトだ。柔らかく深く沁み入るような声で恋歌を歌い上げる。歌い終わると客席から拍手が湧いた。次はダニエル。テノールだ。凄い声量だ。劇場の隅々まで鳴り響く。観客は拍手でダニエルの歌を讃えた。

 最後は私だ。

 私は歌った。

 ケルサ祭に相応しい、祝祭の歌。

 音が私を満たして、高みへと連れて行く。景色は溶け、透明で清澄な音色の中に自分がいる。輝く光のような私の音達。私自身もまた歌に酔っていた。


 最後の一音を歌って、私は夢の世界から現実に戻った。

 観客の顔が目に飛び込んで来る。

 えーっと、拍手は?

 何故、誰も拍手をしないの?

 私の歌、だめだったの?

 急に足が震え出した。怖いと思った瞬間。

 パンパンパン!

 誰かが拍手した。とたんに、われんばかりの拍手が起こった。客席が総立ちだ。

「素晴らしい!」

「素敵!」

「なんていう歌声!」

 賞讃の声! 声! 声!

 信じられない。

 全身に鳥肌が立つ。

 なんていう喝采。

 劇場が揺れている。

 怒濤の喝采。

 成功した、私は成功したんだ!

 私は忘れない。

 この一瞬を。

 初めての舞台。

 初めての成功。

 私は生涯覚えているだろう。


 私は視線を感じて目を上げた。舞台正面二階席。そこに国王が座っていた。私の国を滅ぼした男。その男が私の歌に拍手をしている。私はその男に向って、優雅に頭を下げた。少なくとも、今、この瞬間の勝利者は私だ。国王ではない。私の国を滅ぼし、父を、母を、幸せを奪われたけれど、私は歌声であなたを征服した。憎しみを忘れたわけではないけれど、今は許そう。


 顔を上げた時、王が後ろを振り返った。王の視線の先。

 レオン! うそ! レオンがいる。何故? 何故、そんな所に? あなたは一体?

 王がレオンと何か話してる。

 きっと、王様を警護しているんだわ。きっとそうよ。客席にいないってそういう意味だったんだわ。

 だけど、私が見たのはそこまでだった。司会者が何か言って、もう一度、拍手が沸き起こって、私達三人は、丁寧にお辞儀をして舞台袖に引き上げた。

 混乱した私に興奮したミルトが抱きついてきた。

「あなた素晴らしかったわ!」

 私は何がなんだかわからないまま、ミルトを抱き返した。ダニエルも興奮している。その場にいるみんながおめでとうと言ってくれた。私もミルトに成功おめでとうといい、ダニエルの声を讃た。

 やがて、笑歌劇が始まった。私は舞台袖からそっと二階席を見た。豪華に着飾った王と王妃が見える。だが、王の後ろの席はカーテンが邪魔になって見えない。私はレオンの事が気になって気になって、せっかく舞台袖から劇を見ているのにまったく頭に入らなかった。


 舞台がはねた後、私たちは皆で王宮前の祝賀会場に行った。夜になると花火が上がるのだ、これは見逃せない。

 祝賀会場はたくさんの提灯で飾られていた。料理が並べられ、ビールとワインが振る舞われている。音楽が鳴り響く。大勢の人達が、飲んで踊って騒いでいる。皆、楽しそうだ。

「踊ろう!」

 ミルトとダニエルが笑いながら走って行く。私も遅れてついていった。ケルハ祭のダンスは、皆で輪になって踊る。二重の輪の、内側は女性、外側は男性。前へ三歩、右に回って、拍手。左に回って拍手。後ろへ下がって、もう一度。男と女がちょっとづつずれて、次々に相手が変わって行く。私たちは踊った。輪になって踊った。踊り疲れると、テーブルに戻ってエールやビールを飲みながら、おしゃべりを楽しんだ。おしゃべりが途切れるとまたダンスだ。ダンスはカップルで踊るダンスに変わっていた。ダニエルがミルトを誘う。私は手を振って二人を見送った。


 一人になってミルト達が踊るのを手拍子を打ちながら見ていると男に声をかけられた。

「姉ちゃん、仲良くしようぜ!」

 酔っぱらいだ。ヒゲぼうぼうの染みだらけの服を来た人相の悪い男が二人、私をはさんで座った。一人が私の腕を掴む。もう一人が私に抱きついてきた。

「いやー! 離して!」

「なんだ、まだ、子供かあ」

 男達があからさまに落胆の声をあげる。

「離して! 離してったら!」

「お、ちっこいくせに生きがいいじゃねえか。このさいだ、女なら誰でもいいぞ。ほれ、飲もうぜ、ちっこいの」

「いやよ」

 男達の腕を逃れようと暴れれば暴れるほど男達は面白がる。

 私は必死に探した。何かこいつらを追っ払える物を。

 私は男の腕を振りほどいて、エールの入ったコップを抱きついていた男にぶちまけた。

「な、何するんだ」

 男がエールでビショビショになる。もう一人の男も、エールをかけられたら困ると思ったのだろうか、慌てて私を離した。

「このあま、何しやがる!」

 エールで濡れた男が手を振り上げた。

 打たれる!

 咄嗟に顔を庇った。

「いててて!」

 男が悲鳴を上げた。

「女子供には優しくするものだ」

 見ると、黒いマント、黒い仮面、全身黒装束の男が酔っぱらいを締め上げていた。私は大急ぎで黒マントの男の後ろに隠れた。

 もう一人の男が、黒マントの男に飛びかかる。黒マントの男は、締め上げていた男を飛びかかって来た男に向って突き飛ばした。二人は共に地面に転がった。二人は恐ろしい形相で黒マントの男に飛びかかった。だけど、黒マントの男が、あっというまに、一人を投げ飛ばし、一人を地面に叩き伏せていた。二人は一遍に酔いが冷めたらしい。

「きさま、何しやがる!」

 立ち上がるや、二人組の酔っぱらいはナイフを抜いた。

「おまえ達は飲み過ぎだ。頭を冷やせ」

 二人組は、黒マントの男の言葉など聞く耳をもたなかった。二人は同時に黒マントの男に飛びかかった。

 黒マントの男は「酔っぱらい相手に剣は抜けんな」といいつつ、テーブルをひっくり返して、ナイフを封じ、転がっていたワインのビンをとりあげた。すばやく二人を殴りつけ気絶させる。その動きは物凄い早業で、まさにあっという間の出来事だった。

 騒ぎを聞きつけた会場警備の兵がこちらに走って来るのが見えた。

「行こう。警備兵にいろいろ聞かれたら面倒だ」

「あの、助けていただいてありがとうございました」

 私は黒マントの男に引っ張られるまま、ついて行った。少し離れた所で、黒マントの男が振り返ると私の耳元で囁いた。

「ギル、俺だ」

「レオン!」

「しっ! お忍びなんだ」

「ええっ?!」

「さ、早く! あまり目立ちたくないんだ」

 レオンは私をダンスフロアの反対側に連れて行き、唐突に言った。

「踊っていただけますか? フロイライン・ギル」

 レオンが帽子をとり、優雅に正式な挨拶をした。

 私は驚きのあまり、口がきけないままこくこくと頷いた。

 レオンが私の手を取って踊り出した。

「今日の舞台、聞いてくれた?」

「ああ、聞いた。素晴らしかった。それに、ドレスもよく似合っていた」

 私は顔が熱くなるのがわかった。レオンが珍しくまともに私を褒めてくれている。嘘みたい。というか、レオンらしくない。

「あの、ありがとう」

 私もしおらしく、レオンに礼を言った。

「だが、俺としては、竜の平原で聞いた歌の方が好きだな」

「ふーん、そんなに好きなら歌ってあげてもよくってよ!」

 私はくすくすと笑った。

「そうだな、いつか、もう一度聞かせてくれ」

 レオンがまじめに答えた。なんだか変だ。私をからかわないレオンなんて、レオンじゃない。

「ねえ、一体どうしたの? レオンが私をからかわないなんて変!」

 レオンは何も言わずに、私をくるくると回した。

「私、あなたが王様と話しているのを見たわ。王様の警護をしていたの?」

「話していると舌を噛むぞ。ほら」

 レオンがさらに私をくるくると回す。ドレスの裾がひらひらとひるがえる。

 曲は続く。レオンは答えない。

 仮面に隠れたレオンの顔。表情が読み取れない。

 レオン、一体、あなたは誰? さっきの早業、ちゃんとした格闘技よね。ただ、喧嘩が強いだけじゃない。それに今日の服。黒づくめだけど、いつもの祖末な服じゃないわ。


「ギル、あなたも相手を見つけたのね」

 ミルトだ。ダニエルと踊りながら私に声をかけてきた。

「あなたはギルの知り合い?」

 ダニエルが、レオンに声をかける。

「ああ、俺はギルの友人だ。ギルは俺が送っていくから、君たちは好きに楽しんでくれ」

 私はダニエルとミルトに手を振った。

「レオン、送ってくれるの?」

「ああ、こんな夜は危ないからな」

 ドーン!

 花火だ。

「きゃあ、きれい!」

 夜空を背景に色とりどりの光が炸裂する。踊っていた人達も皆、踊るのをやめて花火を見上げている。

 やがてケルサ祭はお開きになった。レオンが私を馬車で送ってくれた。

 屋敷の門の前でレオンは先に馬車から降りた。私の手を取って、馬車から降りるのを助けてくれる。レオンが私を淑女として扱ってくれている。嘘みたい。

「レオン、今日はありがとう。あのね……」

 私は声を低めた。

「なんだ?」

 レオンが顔を寄せて来る。私は素早くレオンの頬に口付けをした。

「今夜はとても楽しかったわ。これは御礼よ」

 レオンのびっくりした顔。

「じゃあ、またね」

 私は笑いながら、屋敷に向って走った。

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