6
真っ暗だった室内の奥が突如として明るくなった。
次々と点灯していく明かりを見て、朔夜はあわててライトを切った。
「シンが起動させたのか……?」
同時に大気組成の数値にも変化が現れる。どこからか空気が流入しているらしい。
じんわりと明るくなっていく周囲に、どこかほっとしながら顔を上げた朔夜は、目の前に女性が立っているのを目撃し、思わず銃を構えた。
女性は二人いた。朔夜には気がつかないようで話をしている。
いるはずがない人間を見て、朔夜は驚きと恐怖で思わず逃げ腰になった。
腕が小刻みに揺れ、銃身が大きくぶれる。
―――ルナをアイラの二の舞させるわけにはいかないわ。あの子はアルティオ最後の世代なのよ
声は耳ではなく頭の中で響いた。
幻覚かと思いながら目を擦るが、眼前の女性たちは消えない。
よく見ると、彼女たちのいる場所は先程までいた廃墟ではなかった。廃墟に重なるようにして同じ場所の、まだここが使用されていた時代の風景が見える。
―――二の舞って、まさかエラ、あの子をひとりにさせるっていうの?!
―――なら、テイア。あなたはあの子を殺せるの?
知らぬ間に気を失って夢でも見ているのだろうか。
ヘルメットの端末を操作すると、専用回線に軍とユニオンのものがある。シンへの連絡もとれそうだったので、どうやら夢ではないらしい。
建物に記録された映像のたぐいなのかもしれないと道を急ごうとすると、ひきとめるようにまた頭の中に声が響いた。
―――でも、ひとりで生きるのは辛いわ。発狂してしまうかもしれない。あなた、ルナをそんな目にあわせたいの?
―――クローンを作ればひとりではなくなるかも……。それにそんなことをする前に政府が助けに来てくれるかもしれないわ
―――まだそんなこと云っているの? 政府は私たちを殺そうとしているのよ?! あの異常な不妊だって男性が生まれなくなったのだって今回の病気だって全部政府の援助物資からだってわかったじゃない
―――……そんなの、まだわからないわ……
―――エラ、しっかりして。真実を見つめてちょうだい。現実逃避したいのはわかる。私だって出来れば信じたくない。でも今ここは夢でも何でもないの。私たちはコロニーにはめられたのよ。人口を減らしてクローン体ばかりの街にしたのは、私たちを一掃するためだったの。直接研究には携わってなくても発表を聞いたでしょ。必ず発癌するような代謝産物を出すカビ、政府が見落とすはずがないわ。明らかに私たちを全滅させようとしているのよ
―――でもそれが本当だとしたら、大量虐殺だわ。そんなこと……
―――大量虐殺、その通りよ。私たちはもうクローンだって作れない。政府から送られてくる物資が使えないからもう食料がないの。発症せずに死ぬ姉妹たちの体を使うしかないのよ。だからルナをひとり残すことに私は反対してるの
―――でもあの子を殺すなんてわたしにはとても無理よ……
―――もう時間がないの。あなただって知ってるでしょ。ハッキングを試みた『ユエ』はカウンター攻撃を受けて機能が損傷した。修復にはとても時間がかかるの。『ユエ』が復旧するまで私たちはこの状況を人の力のみで打開するほかない
―――……十二神の塔からは何もないの?
―――あれは私たちの守り神でも何でもない、ただの古代の遺物よ。『ユエ』がまだ解析装置だったときには守り神扱いしてたけど、あの遺物が応えてくれたことなんてないでしょ。守ってくれないばかりか今の私たちの技術じゃ解体することだって出来ない、無用の長物だわ。――そんなことよりルナについて、よく考えておくのね。本当に時間はないわ
脳内を怒りと絶望が席巻する。流れ込んでくる感情の嵐に翻弄されながら、朔夜はそれでも自我を保とうと、きつく目を閉じた。
体が異様に熱く、荒い息と激しい鼓動が耳についた。
―――第四区画は?!
―――あそこはもう駄目よ。第六まで感染者が出てる。ここももう時間の問題。今日か明日には隔離閉鎖されるわ
誰かがどこかで叫んでいる。脳裏に浮かぶ沢山の寝台、真っ白な作業着。
分厚い感情の塊が込み上げてきて、朔夜は崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだ。
酷い吐き気と自分が二重になったような眩暈、そして頭痛。
―――お願いよ、この子だけは助けて! わたしは死んでもいい。だけどこの子だけはっ
――死なないで、もうすぐ来るから。もうすぐ抗体が出来るわ。眠っちゃ駄目よ。絶対に駄目! 起きてて、お願いよ! 早く!!
気配を感じて顔をあげると、一人の女性が立っていた。一度だけ見たことのあるその女性はネアイラの母、テイアだった。
―――感染したわ
静かな声が広いその部屋の中に染み入るように広がる。空洞のような絶望感が、穴から吹き抜ける風のように小さく聞こえてきた。
―――多分、あともって二日よ。エラ、あなたは?
―――わたしはまだよ。アイラの抗体が効いたんだと思う
―――私が死んだらこの体から抗体を作って。ルナは私のクローンだもの。効果はあるはずよ
映像がモノクロームに変化し、霞むようにして消える。
その霞の向こうから現れたのは画面いっぱいの老女だった。
朔夜は最初その老女が誰なのかわからなかったが、何故かすぐにルナレアの母エラだと理解した。
―――ごめんね、ルナ。ママを許して
腕に軽い衝撃が走った。
悲しげな笑顔のエラの姿が浮かび、きつく抱きすくめられるような感覚が体に残る。
―――生きて。そうすればきっといつか迎えが来てくれる
言下に目の前の風景が変わった。
先程まで上がりかけていた階段は掻き消え、見知らぬ部屋に立っている。
暗いその部屋は戻してしまいそうなほどの激しい腐臭に満ちあふれていた。
恐怖に駆られながら辺りを見回すと、そこには死体の山が累々と築かれていた。
声にならない悲鳴をあげて、朔夜は後退(あとしざ)った。
足の下でぴちゃんと水音がする。
恐る恐る下を見ると、靴に気味悪い何かがこびりついている。
それは微かに泡立った黄色の粘液に包まれていて、床の上に流れていた。
部屋に充満する耐え難いほどの臭気の源は主にそこだった。
腐っている。
朔夜は口元を押さえた。
ねちょねちょとした液体は死体の山から続いている。
込みあげる嫌悪感をとめることが出来ず、しかも汁の中に長い髪の毛がいくつも入っているのを認めて、朔夜は思わず嘔吐しそうになった。
手で口元を覆ったまま、一刻も早くこの共振映像から逃れようと、朔夜は乱れる意識を集中させた。
リアルな空気と鋼鉄の壁のように立ちふさがる強固な映像のせいで、逃れるのに時間がかかったが、それでも頭の中に流れ込んでくる映像はぶれ始めた。
水の中から揺らぐ水面を見上げているような、そんな不安定な映像はまたたく間にモザイクになり、それから新たな画像を再び構築し始めた。
無数の色がちかちかと光るそれは、脳の奥の方を刺激し、頭痛にも似た感覚を引き出す。
頭の中を掻き回すような気持ちの悪い感覚がまとわりついてきたが、それにも耐え、更に意識を集中させていると、唐突に目の前が開けた。
白くて強い光が目の前で弾け、眼球に強い痛みが走る。
元の場所に戻ったのだろうか。
瞼を押さえながら、淡い期待を寄せて目を開けると、そこには横たわる老婆の姿があった。
真っ白なカプセルの中で固く目を閉じ、作り物のような硬質な面をこちらに向けている。
顔は青白く、生きている気配はない。
―――ママ……
心の中は絶望感でいっぱいだった。全身に力が入らず、蜘蛛の糸のように細くなった意識が、いつ崩れ落ちても不思議ではない不安定な状態をかろうじて支えていた。
けれどじきに強烈な悲しみも孤独も絶望も何もかも全て、心の中に開いた巨大な穴に吸い込まれてしまったようで、何も感じなくなった。
辺りには母親の柩の他にも数え切れないくらいのカプセルが並んでいる。
縦も横も寸分の乱れなく整列するカプセル群に、口元が痙攣する。
誰もいない。もうわたし、ひとり……
脳裏で柩の数が無限に膨れ上がっていく。真っ暗な空間に鎮座する無数のカプセルとその中心にたった一人立つ自分、そのイメージが更に孤独感を助長する。どこかでカウントダウンをする音が聞こえた。
―――十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……
その音を感じた瞬間、体の奥がはじけたような気がした。叫びだしたくなるような恐怖が、見えない重圧となって襲いかかる。
もう聞きたくない。数えなくたって知ってる。ひとりずついなくなってるんだからわかってる。今の総人口なんて知りたくなんてない。もう話しかけないで。話すならわたしの知らない言葉で喋って。
―――dasha、nava、ashtau、sapta、shat、panca、catvari、trini、dve、eka……
呼応するように音が変わったものの、その意味は明白だった。
助けて、誰か助けてよ。
沈黙が鋭い刃となって、肌に突き刺さる。
留まること知らない針の雨は体の奥深くまで突き刺さり、全身がぼろきれのようになった。
登録された全ての通信チャンネルで助けを呼んでも誰も応答しない。叫んでも、騒いでも誰一人としてこない。
誰かわたしを迎えに来て。
わたしを見つけて。
ひとりに……しないで……
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