8
夕食会に参加すると聞いたときのティアラの顔は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
シンの超能力まがいの力で傷つけられたテーブルを見て、微笑みながら小言を云っていた彼女は、シンがその言葉を口にした途端、驚愕に目を見開き、口調も落ち着きをなくしていたのだ。
余裕たっぷりに微笑みを浮かべ、あまり感情が読み取れない彼女のその変貌具合に、朔夜はどうしてそんなに動揺するのかわからずティアラ以上に驚いていた。
本当ですか、と連呼されるたびに億劫げに首肯しているシンを捕まえて訊いてみたところ、またしても驚くべき理由が返ってきた。
それによると、シンは今まで食事会と名のつくものには出席を禁じられていたらしい。
それも九歳のころに実の兄に毒を盛られた、という事件があったためだという。
ティアラはその事件以降親族、特に長兄ルーカスが出席している場にはシンを出さないよう、彼の父親であるヨーウィス・ライザーに直談したのだという。
それをヨーウィスが了承し、今に至るという話だった。
そんな話などこれまでに聞いたことがなかった朔夜はただ戸惑うばかりだった。
追及したところ、シンは不幸自慢みたいで嫌だろ、と肩をすくめただけだった。
朔夜はその後、シンとティアラの二人によって着せ替え人形状態にさせられ、夕食会に出席するための服を選ばされたのだが、その間もずっと先程のことが脳裏に宿っていた。
「お前、随分と不満そうだな」
次は姫さまですよと、衣装室に来るように云いながらティアラが辞去するなり、シンは口を開いた。
「別に」
二人が選んだごく薄い色のスーツを見下ろし、手に取りながら朔夜は呟いた。
白に近いライトピンクのスーツは丈といいデザインといい、明らかにシンのものではなかった。
いつもだったら、本人以外の服がどうしてこんなに出てくるのだろうと疑問に思ったに違いないが、今は脳内が別なものに占拠されてしまっているので、特に何も感じなかった。
ぼんやりとスーツを見下ろしながら、着替えるから出て行けと云おうとして顔を上げた朔夜に、シンは云った。
「やっぱり嫌なのか?」
シンはソファの背の上で片膝を立てて座っていた。膝頭に腕を置き、肘に顔を埋めるようにして朔夜を見ている。
「そうじゃないけど……」
「嫌だったらやめてもいいぞ」
「今からキャンセル出来んの?」
嘲笑するように
「今からは難しいな」
「じゃあ、訊くなよ」
「だがそれで無理に連れて行ってお前が倒れでもしたら困るだろ」
「あんた、おれを貧血持ちか何かだと勘違いしてない?」
「してない、多分な」
「多分ってなんだよ」
「さあ」
シンは肩をすくめると、立ちあがって朔夜のところまでやってきた。
「――それで、結局どうするんだ」
「……行くよ……」
「それはよかった」
にこりと笑い、シンは朔夜の腕のスーツを一瞥した。
「あとで文句云っても受けつけないからな。ちゃんと着替えておけよ」
しっかりと釘を刺してシンが出て行くと、朔夜は一気に脱力した。
◇
朔夜が着替えている最中にシンから連絡が入り、夕食会がなくなったとの旨を知らされた。
ほっとしたのもつかの間、続いて入ったティアラからの連絡に朔夜は目を剥いた。
それはシンの父ヨーウィス・ライザーから、単身で会いたいとの打診があったという内容だった。
「……お…お待たせいたしました」
ティアラに案内された先の部屋には痩身の男性がいた。
統合政府ユニオンの上級議会メンバーの一人にして星防の任を負うライザー財閥総帥の嫡子。
目の前にいる若作りの男が、そんなきらびやかな肩書きを持つヨーウィス・ライザーだとはにわかには信じられなくて、朔夜は目をしばたたかせた。
「君がサクヤ君か?」
「は……はい」
緊張のあまり眼瞼痙攣が起き始めた。
顔に手をやるわけにはいかず、そのまま深々と辞儀する。
「サクヤ・キサラギです。ご子息とは同室のよしみから、仲良くさせて頂いています」
「まだ十四だというのに、随分と立派な挨拶が出来るものだ」
驚いた様子のヨーウィスを見て、朔夜の緊張は一気にゆるんだ。
ありがとうございます、と張りついた笑みを浮かべながら、練習していた甲斐があったと心の中で大きく息を吐いた。
夕食会とシンから聞いた朔夜は、華麗なる肩書きを持つ政府関係者の前で口ごもらないよう、あわてて小スピーチを用意したのだ。
シンはそんなことしなくてもいいと云っていたが、息子と他人は違う。
しかし頑張って覚えたはずのそのフレーズも、緊張のあまり最初のワンセンテンス以外全てを忘れてしまった。
けれども印象は良かったようなので終わり良ければ全て良しだ。
内々喜び勇んでいた朔夜だったが、落とし穴は忘れたころにやってきた。
「君の話はシンから聞いている。時間がないので単刀直入に訊いてしまうが、君はシンが
シン以外の口から発せられる
朔夜は何と返していいかわからず、体を硬直させた。
頭の中では
まだ脅されてもいないのに心臓が忙しなく上下している。
朔夜は皮膚を突き破らんばかりの勢いで鳴るそこをぎゅっと押さえた。
視界の真ん中に構える男はシンに似た少し高めのまなじりを張り、睨みつけるようにこちらを見ている。
側にいるだけで縮みあがりそうなほどの威圧感が伝わってきて、朔夜はこの場にいることが嫌になってきた。
今更ながらどうしてこんなところにきてしまったのだろうと後悔の念が脳内に渦巻く。
「君に頼みたいことがあってここに来てもらったんだ」
「頼み……?」
朔夜はヨーウィスの真剣な眼差しを見て、さらに体を後ろにひいた。
この状況で頼みごとをされて、それで嫌と云える人間がいたら見てみたい。
ここはライザー本邸のシンの部屋の一角で、目の前で要求を突きつけようとしている男はその父親で政府高官でもあるヨーウィス・ライザーなのだ。
こんな不利な状況で云われることなんてきっとろくでもないことに違いない。
「ああ、君にはシンを守ってほしいと考えている」
「は…え? え…と……?」
想像していた内容のどれとも異なり、朔夜はおかしな声を出してしまった。
あわてて口を閉じ、よくわからないままうなずく。
「君に受ける義理はないとは思うが、無理を承知でどうかお願いしたい。ナーサリーにいる間だけでもあの子を守ってやってくれないだろうか」
お宅の息子さんはひとりでも立派に自分の身を守れますよ。そればかりか守ってもらったことすらあります。
脳内にそんな文章が浮かんだが、もちろんそんな台詞は云えなかった。
「私の責であることは先刻承知だが、この世に生を受けた以上、この子にも人並みに生活をさせたい。だが君も知っての通り、この子の血の半分は
放置していたのはそのためか。
朔夜は理由を知ってようやく腑に落ちたような気分になった。
「別に…構いません。乗りかかった船…ですから……」
「ありがとう」
ヨーウィスは厳しい感の強い面を和らげ手を差し出した。
思わず瞠目してヨーウィスの顔を見、おずおずと手を伸ばす。
ヨーウィスはふっと笑みをこぼし、朔夜の手を取った。シンの手と違ってその手は随分と熱かった。
「シンが
もう迷惑はかなりかけられていると思ったが、口には出さなかった。
云わなくていいことと悪いことの境くらいは承知しているつもりだ。
「結果的にシンには信頼出来る友人が出来たようだ。それだけでも、私はナーサリーにやってよかったと思っている」
「……」
「どれだけ君に負荷がかかるか、私も少しは想像出来る。だから、苦しみから逃れられなくなったら私に連絡を寄こしなさい。アースグループの総力をもって、君の記憶からあの子を排除しよう」
「――大丈夫です。それほど嫌だったら、もう受けていますから」
精一杯のジョークを交えると、ヨーウィスは大仰に笑って、朔夜の肩を叩いた。
そして姿勢を正し、深々をこうべを垂れる。
「シンの無知が引き起こしたことで、部外者の君にこんなにも迷惑をかけてすまない」
「や…やめてください……」
「君には本当に迷惑をかける」
ヨーウィスは再度頭を下げると、きびすを返して部屋の一角にあった扉の向こうへと消えた。
シンが迎えにやってくるまで、朔夜はしばらく部屋の中に取り残されていた。
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