3

「なあ」



 ジェセルの母親なのだという女性――ティアラ・クラインのあとに続いて歩きながら、朔夜は小声でシンに呼びかけた。



「あんた、やっぱり女だったんじゃないか?」



「はあ?」



 迷惑そうに顔をそばめるシンに、朔夜がさっき、と云いかけたところ、話を聞いていたらしいティアラが口を挿んだ。



「シンさまがあまりにもお可愛らしくていらっしゃるから、そうお呼びしているんですよ」



「と、いうことだ」



 シンはさも当然とばかりにうなずいた。普通男はそこで同意しないだろうと思いながら、顔をしかめる。



「でも、姫なんて男には云わないだろ」



「男じゃないからいいんだ」



「あんた、ナーサリーで男子学生って云ってるだろ」



「戸籍がそうなっていたんだ。おれのせいじゃない」



「へえぇ。じゃ、戸籍が女になってたら、あんた女子学生になってたわけ?」



「そうだ」



 口の減らない奴。



 朔夜は深々と頷くシンにむかつきを抑えながら、すがめを送った。



「何だよ」



「別に」



 物云いたげな視線を送りつつ何も云い出さない朔夜をじっと見つめ、シンは無言で足を踏んだ。



「痛い! 突然何すんだよ!」



「目つきが気に食わない」



 あんたの目つきの方が余程凶悪だよ。



 心の中で思いながら、朔夜は前を行くシンを睨みつけた。


 長い廊下と中庭を堪能出来る回廊を経て、ティアラが案内したのはこぢんまりとした部屋だった。


 客室らしく使用している気配が全く感じられない作りはなかなかに好感が持てる。



「こちらがキサラギさまのお部屋としてご用意させていただいた客室でございます。よろしかったでしょうか」



「はい……」



 よろしいも何も他の部屋を知らないし、大体よろしくないと云う人間などいるのだろうかと思いつつ、朔夜はその場に荷物をおろした。


 ティアラはごゆっくりと頭を下げて出て行こうとしたが、その寸前でシンに目を止め、思い出したように付け加えた。



「姫さま、のちほど衣装室の方へいらしてください」



「……分かった」



 ティアラはもう一度二人に頭を下げると、静かな動作で去っていった。

 軽い音を立てて閉まる扉を一瞥し、朔夜は一度下に置いた荷物を持ちあげた。



「衣装? 何?」



 荷物をベッドの脇に置き、綺麗に設えられた寝台に腰をおろす。

 白い敷布に皺が寄り、重心で疲労感がどっと体にのしかかった。


 朔夜は身につけていたコートを脱ぎ捨てるとそのまま後ろに倒れ込んだ。酔いはいつの間にかおさまっていた。



「おばあさまに挨拶しにいくんだ」



「おばあさまってルカイヤ・ライザー? 何で衣装?」



「総帥に対面するのに適していない服装なんじゃないか。ティアラの価値観じゃ汚いらしいしな」



 シンはマントの端を摘んでくるりと回って見せると、かたわらに座るキラにそうでもないのにな、と同意を求めた。

 キラは耳をピンと立てたまま黙ってシンの顔を見ているだけだったが、それでもその意はきちんと伝わっているらしい。


 そうだろと満足そうに頷きながらシンは外衣を解き、隣接する寝台にそれを放った。

 バサリと音を立てて落ちたそのマントに朔夜は嫌な予感を覚えた。


 上半身を起こして、シンを見る。



「――凄い自然な動作で荷物を降ろしてるようだけど、何であんた、自分のところに行かないわけ?」



「ここで寝るからだ」



 シンは何てこともないようにあっさり云った。



「寝る? 何で? あんた自分の家なんだから自室あるだろ。そこで寝ろよ」



 思いもかけない言葉に朔夜は混乱した。



「お前は馬鹿か。友達が来ているのに自分の部屋で寝てどうする」



「はあ……」



「友達が来たら、一晩中語り合うのが泊まりの醍醐味なんだぞ」



 醍醐味。

 その台詞と似たようなフレーズをどこかで聞いた覚えがある。


 朔夜はシンがヤーンスの自宅に泊まりに来たときに云った言葉を思い出し、もしかしてと口を開いた。



「それもクラインに聞いたの?」



「ああ、そうだ。何か文句が?」



「いいえ……」



 ふわふわと微笑わらう少年の姿を脳裏に思い浮かべながら、朔夜は完全に遊ばれていると思った。

 あの表情の読めないクラスメイトのことだから、もしかするとからかわれているのは自分なのかもしれない。



「それに、まだ色々と調べなきゃいけないことがあるだろ」



「は? まだ何かあったっけ? 殺人未遂事件捜査はゆえが月にいるっていう仮定立証のために演習旅行まで延ばしておくことにしたんじゃないの?」



「お前、もうやる気がなくなっているな」



 シンは呆れたように肩をすくめると、まだあの謎の言葉が残っていると云った。



「謎?」



「そうだ」



 云いながらシンは朔夜の端末にそれを転送してきた。


 うながされるがままに端末を開くと、そこにはあの文字が記されていた。


 夢から醒めるときにいつも聞こえる音。音であるはずなのに、音声ではなく、文字で見える不思議な音だ。

 音が聞こえないという時点ですでに音ではないような気もするのだが、どうしてだか音だという印象がとても強い。



「調べても出てこなかっただろ。それであんたがフラグメント時代のものかもしれないって云ってたんだからそれで答えが出たんじゃないの」



「不明っていう結論だろ、それは。フラグメント時代の判明している言語や現存する言語と照らし合わせると十中八九数字なんだが、どうしてそれが聞こえるのか、大体何でつづりまでわかるのか、その謎が解けなかった」



「別に解かなくていいし。大体今だって体調がいいとはとても云えない状況なんだから、徹夜で語るとかまっぴらごめんなんですけど」



「だがおれはその謎が解けたような気がするんだ」



「人の話聞いてる?」



 シンは朔夜の問いには答えず、掌を出してきた。



「朔夜、手を」



「少しは聞くようなそぶり、見せようぜ」



 不承不承の体で手を出すと、シンは朔夜の手首をつかんだ。そしてすうっと息を吸い、目を閉じる。


 突然何をし始めたのだと眉根を寄せて見ていると、頭の隅で微かに光がはじけるようなイメージが見えた。

 うっすらと赤いその光は少しずつ拡大していき、視界の半分をふさいだ。

 よく見えると、光の中で何かが動いている。がさがさと耳の奥で音がした。


 もっとよく見ようと、片耳をふさいで目を閉じると、ぱきんぱきんと音を立てて光がはじけた。

 赤いようなまたたきを残していく光は砂が舞っているようなイメージを見せては消えていく。



「――朔夜」



 呼ばれて目を開けると、シンの顔がすぐ近くにあった。

 光はもう見えない。音も聞こえなかった。



「何か見えたか?」



「明るい光。それから埃っぽい砂漠と赤い……山脈かな」



 言下に、シンは成功だと笑った。



「それが火星の情景だ。おれの中にあるイメージがお前には見える。これがお前の見る数字の正体じゃないかっておれは思ってる」



「どういうこと?」



「おれは受信も発信も得意じゃない。それでもお前は見えるんだ。よりはっきりした思念ならばもっとクリアに見えるはず」



「よくわかんないけど、誰かが作り出してるイメージをおれがそのまま見てるってこと?」



「確証はないが、超常現象的な視点の方が説明がつく」



「いや、つかないだろ」



 即座に否定したが、シンは聞く耳を持たなかった。



「見ている映像自体は今見た火星のものと似てるだろ。映像だから文字が見えるんだと思う」



「まあ、確かに……」



 シンの仮説をそのまま鵜呑みにすることは出来なかったが、反証も浮かばないのでとりあえずうなずいておいた。

それにいくら否定したところでシンの脳内が超能力現象原因説で染まっている以上、何を話してもそこに着地するような気がしたからだ。



「以前話していたルナレア・アルトのイメージだとは思うが、彼女だけじゃないイメージも見ているんだよな。そこだけがよくわからない。ルナレアもテレパシストだとすると話はまだわかるが」



「いやわからないだろ。人類皆超能力者じゃないんだよ。そんなにごろごろいてたまるか」



 文句を云う朔夜をシンは無視した。



「朔夜、今度はこれに触ってみてくれ」



 シンが差し出してきたのは機械の部品に見えた。



「……何これ」



「いいから早く」



 シンにせかされて、朔夜は部品を手に取った。


 目をつむると、脳の奥深くで微かにきらめく光のようなものが見えた。炭酸の泡のようなものがいくつもあって、はじけて消える。



「何か光が見えたけどそれだけ。で、何なのこれ」



「それはここに来る前に念じておいたものだ。じゃあ過去のものにも思念が強ければアクセス出来るかもしれないということだな。思念は物体にも宿るのか? 昔の文献でいうサイコメトリーとかいうやつかな。ただそれだとするとガイナス空間では説明出来ないな。違うものなのか?」



 シンはぶつぶつと独り言を云い始めた。



「あの、ちゃんと説明して欲しいんだけど……」



 朔夜の問いかけに、シンは思考を中断され、明らかに不愉快そうな表情をした。



「いやいや、不機嫌になりたいのはこっちなんですけど。人を実験体に使ったあげく説明もしないとか、あんたの道徳観念どうなってるの?」



 朔夜の抗議にシンは長嘆した。困ったものだとでも云いたげな態度に、朔夜の目尻は自然と痙攣する。



「ゆえが月にいると仮定した場合、あそこには今人がいないんだから、ゆえは過去の人間ってことになる。だから思念が過去のものでも見えるかどうか実験したんだ」



「光しか見えなかったんだけど、それでも見える判定なの?」



「何も照らしてない状態で突然光が見えたんだから、見えるとみなすだろ」



 シンはもっともらしく語っていたが、朔夜はまるで腑に落ちなかった。



「仮説だから何云ってもいいけどおかしいところがある。おれは今まであんたとルナレア関連のイメージしか受け取ったことない。望とは入れ替えが出来るくらいだったらしいけど覚えてないし。それに入れ替えとか正直意味不明だし……。とにかくそんな簡単にイメージが見えるんじゃ生きていくにもつらそうだけど、おれは今までそんな経験したことない」



「そうだな、おれにもわからないが……チャネルのようなものがあるんじゃないか?」



「チャネル? 相手のIDみたいのを知ってるからそれが見えるってこと?」



「それが何なのかは全くわからない。ただイメージを見るときにきらきらした光のようなものが映ることはないか?」



「あんたにも見えるの?」



 幻覚ではない。


 それを聞けただけでもこの無意味な会話をした意味があったような気がした。



「ああ、キラたちと意思疎通をはかるときにも見える。あれが例えばガイナス空間みたいな思念の集合体みたいなものだとすると、その部分にアクセスするときに無意識に相手のことを考えることによってそれを抽出しているとか……。自分で云っていても空論だとは思うが」



「あんたの云ってることが仮に正しいとしても分かんないことがある。ゆえはおれのチャネルをどこで知ったのかってこと。あんたはまあ目の前にいたから自然と認識ってことでいいと思うけど、ゆえはある日いきなり夢の中に現れたんだぞ。それまでに会ったこともない相手がどうやっておれと交信できるんだよ。しかも背景はついこの間までバイオハザード指定がされてた場所で人なんて住んでるはずがない。現実の会話がリアルタイムで出来たこと、屋上でゆえを見たことからして、少なくとも同じ時間を共有しているんじゃないかって思う。あんたがさっきやった過去のイメージが見えるっていうのは意味ないと思う。だってあれは録画とか録音みたいなもんだろ。悩み相談出来るくらいこっちの言葉を的確に認識して返せるなんて、どんだけのデータが入ってる設定なんだよ。おれには肌身離さず持ってるものなんて何もないし、大体あんたみたいなお坊ちゃんならともかく、一般人の子どもに何をして欲しいかも明確に伝えてこないイメージ映像見せてくる意味がわかんないし。考えたって無駄。おれの妄想ってことでいいだろ、もう」



「現実の人間が送っているイメージなら確かに意味がないな。だが人ではなかったらどうだ」



「どういうこと?」



「例えば端末の可能性だ。さっき云った夢がルナレア視点だけじゃないというのもそれで説明がつく。思い立った理由はそれだけじゃない。お前が見る夢があまりにも鮮明すぎることだ。さっきの火星の映像は送信者の問題もあるとは思うが、鮮明ではなかっただろ」



 朔夜は先程見た火星とおぼしき映像を思い起こして、うなずいた。



「人の記憶力などたかが知れている。お前の見るものが人が感じるそれではなく、相手の神経細胞ネットワーク全体から抽出したものだとしてもだ。朔夜の見る夢が発信者の脳内画像そのままだとしても、空間全てが一部の隙もなく成立していることがおかしい。狭い部屋くらいならわかるが、狭くもなさそうな街全体だぞ。発信者が見ていない場所くらい普通なら存在しているはずだ」



 確かに云われればそうだ。

 あの広大な街を探索して、不明瞭な箇所や見えない壁のようなものを感じたことなど一度たりともない。

 入れなかったのは鍵がかけてある家くらいだろうか。

 恐怖を感じるという理由から寄りつかなかった塔でさえも、実際には近付いて触ることが出来た。



「――ゆえの正体が人かそうじゃないかはともかく、おれはとりあえずゆえイコールルナレアはありえないと思ってる。さっきも云ったけど、バイオハザード領域にまだ人が住んでんのかって話だし、もし住んでいたとしても、何で解除されるときに見つからなかったのか、よりにもよっておれを選んだのかって話になるし。見知らぬ他人に介入するほどの発信者が飛ばした情報をおれしか受け取れなかったんだとしたら、地球上にいる能力者はおれ未満の受信能力しかないってことになる。レギオンはそんな無能者の集団を囲ってるの?」



「そうなんじゃないか。異能力開発機関とかいう呼称自体胡散臭すぎだろ」



「あれだけ超能力とか云っておきながら、自分で云う? それ」



 朔夜は話し疲れてベッドに寝そべった。


 人が三人は横になれそうな巨大ベッドは味わったことのない極上の質感だった。


 朔夜はこのまま眠りたいと思いながらごろごろしていたが、シンは一向に出て行く気配を見せなかった。

 ティアラに云われたことを忘れてしまったのか、すっかりくつろいだ様子を見せている。



「つーかさ、あんたいつまでここにいんの? 着替えに行くんじゃなかったの?」



 シンは云われて初めて気がついたというような顔をした。本当に失念していたらしい。枕元の端末を捜査して時間を確認し、大きく溜息を吐く。



「仕方がない、行ってくるか。まあ挨拶をしにいくだけだからすぐに帰ってくる。寂しいとは思うがわずかな時間だ。耐えてくれ」



「寂しいわけないだろ」



 枕の頬を押しつけて目をつむると、シンがにやにやした表情をしながらやってきた。



「照れなくてもいいんだぞ。自らの感情に素直になれ」



「照れるわけないだろっ」



 思わず起き上がって叫ぶと、シンはおかしそうに笑った。またしてもからかわれたらしい。朔夜は苦虫を噛み潰したような顔をした。



「――じゃあ、行ってくるな」



 再びベッドに寝転がると、微かに笑いを含んだような声が聞こえた。


 目の端に、手を振ってきびすを返すシンの後姿が映った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る