4
部屋に帰った朔夜はそのまま、崩れ落ちるようにして寝台に倒れた。
冷え切ったシーツが頬や首筋に突き刺さり、体が冷えていく。
朔夜はぶるりと全身を震わせ、シーツを抱き込むように足を折り曲げた。皺だらけになったシーツに包まりながら、視線を虚空にさまよわせる。
霞がかったようにぼんやりとした脳裏に先程のルオウの言葉が挿入された。
―――お前は選ばれたんだ。それを忘れるな
選ばれた? 何に? 何が原因で?
問いかけてみても答えは出ない。
代わって脳裏に現れたのはかつて特別クラスにいたアルノルト・ウェーバーだった。薄笑いを浮かべながら見下したようにこちらを見る。
―――お前さ、気分いいだろう
―――当り散らしてる? そうだよ、当り散らしてるさ。俺は今回の試験で自分が通る自信があった。演習はいつもトップクラスだったし、専門も一般科目も努力してきた。なのに……なのに、駄目だったんだ!
―――俺は自分があいつより劣っていたとは思えません!
ウェーバーの言葉が次々と脳裏をかすめる。
努力をしてきたのに認められず落とされてしまった少年のその言葉は、今の朔夜に重くのしかかった。
―――お前が憎いよ
憎悪をみなぎらせるウェーバーの顔が脳内に溢れ、朔夜は感極まったように枕に顔を埋めて、目をつむった。
真っ黒な塊が体の奥深くに根付いていて、蜘蛛の肢のような触手がざらざらと内面を這う。今にも口から出てきそうなその感覚に、朔夜は嘔吐したいような気分に駆られながらぐっと耐えた。
ヤーンスの実家に帰る前までのことが嘘のようだ。
何も考えずにただ黙々と与えられる勉強に勤しみ、朝練をこなし、ちっとも上達が見られない演習だって嫌々ながらも受けていた。今みたいに何もかも嫌になったりなんてしなかった。
どうして、こんなことになったんだろう。
全てはゆえが消えてから始まった。目の前で消えてしまった大切な人。
夢の中からも消えた少女を捜して、朔夜はナーサリーを二週間も欠席した。
今演習や授業についていけていないのはそのつけだ。けれど今現在朔夜の気をわずらわせているのはそのことではなかった。機嫌を損ねたシンに云われたテレパシストという言葉。それが元凶だった。
朔夜は思い出すたびに吐きそうなくらいの衝撃を覚えた。
体を二つに折り曲げ、額を床につけながら咳の余韻が消え去るのを待つ。気分は最悪だった。
感情のままに頭をかきむしっていると、ふいに脳裏に明るい声が響いた。
―――受かったんだからくよくよすんなよ。何か光るものがあったから選ばれたんだからさ
「サイ…ト……」
―――負けんなよ、サクヤ!
明るく笑う少年の姿は、思い出しただけでいくらか朔夜の心を軽くした。シンに対して感じるような苛立ちも追ってはこない。
そうだ、あいつに相談してみよう。
そう考えた途端、少しだけ気分が軽くなるのを感じた。安堵したように息を吐き、おもむろに上半身を起こした朔夜は、そこで奇妙な感覚を覚えた。
昔の自分の行動をなぞっているかのような、そんな感覚。
どこで同じようなことをしたのだろうかと、最近の記憶を並べてみるが、該当するようなものはなかった。
考えても仕方ないと、寝台から降り、服の皺をちょっとだけ気にしながら外に出る。
けれど朔夜はすぐに自分の行動を後悔することとなった。
「シ…ン……」
シンは今まさに帰ってきたところだった。
扉の前で立ち尽くしている朔夜に無表情な面を向け、人など見なかったかのように視線を逸らす。
何事もなかったかのような静かな動作で自室に戻っていくシンの後姿を見ながら、朔夜は叫びだしたくなるような凶悪な感情が込みあげてくるのを感じた。
―――朔夜はテレパシストだと思う
あの日の声とあの日の姿がホログラフィーのように目の前に現れる。朔夜は映像から逃れるように乱暴にかぶりを振ると、逃げるように駆け出した。
◇
サイトがまだ校舎にいるということを他の生徒から聞き、朔夜は一般クラスの棟に向かった。けれどもナーサリーの校舎は広い。
どこに行けばいるのかときょろきょろ辺りを見回し、徘徊すること一時間。
諦めて寮に戻ろうとした朔夜の耳に音が飛び込んできた。
後ろの方から聞こえるその騒がしい音は多分サイトだろう。
朔夜は骨折り損にならずにすんでよかったと、ほっと胸をなでおろした。
「サクヤ! どうしたんだよ! そっちから来るなんて」
サイトはいまだ抱きつかんばかりの勢いで騒ぎ立てながら、ふやけた顔で朔夜を見た。
「迷、惑……?」
「全然! すっげー嬉しい」
相変わらずのオーバーアクションで否定し、サイトは今更気付いたようにきょろきょろと辺りを見回した。
「こんなとこじゃなんだから食堂行こうぜ」
サイトの誘いでついて行った学食は時間の関係でひどく混んでいた。
それだけで入る気を失った朔夜だったが、サイトは意に介した様子もなくさっさと進んでいくと、手招きをして朔夜を誘った。
「何にする?」
サイトは手慣れた様子で中空にメニュー表を出した。
物を食べたいような気分ではなかった。
呼び出されてやってきたマシンに飲み物だけを頼む。サイトにそれだけでいいのかと目を丸くされた。
「いつも、食べてる時間じゃないし」
「そっか」
サイトは独り言のように混んでるもんな、と云いながらうなずき、テーブルに片肘を立てた。
「で、どうしたんだよ?」
突然、云われて朔夜は一瞬何のことだか分からなかった。
頭の中が空っぽになったような感覚を覚え、それから当初の目的を思い出した。
テーブルの上に置いた手をこね回し、咽喉(のど)に詰まった唾を何度も飲み込んだ。
何と云ったら良いのか、よく分からなかった。
相談事は漠然としすぎていて、言葉には当てはまりそうにない。
それでも折角呼び出したのだからと、焦る気持ちを抑えながら、朔夜は言葉を捜した。
「――自信がないんだ」
「自信?」
眉根を寄せたサイトの元に食事が運ばれてきた。食堂の料理は、圧縮パックを解凍して皿に盛るだけなので、出てくるのがとても速いのだ。
朔夜の前にもクリームたっぷりのアイスココアが置かれた。
「どうしてここにいられるのか」
クリームをココアの中に押し込むようにして掻き回しながら、朔夜は呟いた。
口に出すと微妙に云いたいこととは違うことが分かったが、話していくうちに何とかなるだろうと、必死に言葉を紡いだ。
「おれは生活費払わなくていい上に給料ももらえるからいいなって、それだけでナーサリーに入ろうと思ったんだ」
「サクヤの悩みってそれ? ものすごい顔してやってくるからとんでもないこと云われるのかと思ってひやひやした」
サイトは運ばれてきた大盛りスパゲティに手をつけながら、目をしばたたかせた。フォークに巻きつけた麺をぱくりと食べて何を悩んでいるのだろうという顔をする。
「……サイトにとってはそうだけど……おれにとっては――」
うつむいて答えると、サイトは焦って謝ってきた。
「ああ、悪ぃ。嫌な気分にさせたいとかそういうんじゃなくて、サクヤはマジメだなって思ったからさ」
「真面目?」
「マジメじゃん。オレそんなので悩んだりしねーよ。別に動機不純だっていいじゃんって思うし。不純だからって自信なくすことはないっしょ。大体動機不純が自信なくすことにつながるなら、オレはもっとヤベーよ。入学初日に登校拒否になるレベル」
「え?」
想像していた答えのどれとも重ならない回答に、朔夜はきょとんとした顔をした。
サイトはナプキンで口の周りを拭い、水を飲んだ。
グラスの中に入っていた氷がカランと音を立てて沈んだ。
「オレ、別にナーサリー受けたいなんて微塵も思ってなかったんだよね」
「じゃあ……」
そのときまたマシンがやってきて、サイトの前に大盛りカレーライスを置いていった。
カレーとスパゲティ。あまり合いそうにない組み合わせに朔夜は気持ち悪くなってきた。
出来るだけ見ないように努めながら、先を促す。
サイトはスパゲティを口に入れたあとに、香辛料のにおいがきついカレーを食べた。
「家族がさ、うるさかったんだ。ナーサリーに入ったら頭一人分減って生活費が安くなるとか、卒業出来たら将来は決まったようなものだとかさ。それで勝手に出願されて無理やり受けさせられたんだよ。ひでー家族だろ? 姉貴なんてさ……あ、オレん家、六人姉弟でさ、オレ上から三番目なの。姉貴二人に妹三人。女ばっかでマジうるさい。女って何でいつもあんなにやかましいんだろうな」
サイトはしゃべりながらカレーを掻き込み、水を流し込んだ。
「――そうそうそれで姉貴がさ、何て云ったと思う? ナーサリーには金持ちの子息が多いから、友達になって私たちを玉の輿に導いてよとかぬかすんだぜ? オレの学歴とか何とか云ってたけどさ結局本音は自分たちの相手探しだからね。オレは抵抗したけどさ、家族全員一致団結してんの。受けるのはタダなんだからって、受けさせられたわけよ。そうしたら何の因果か受かっちまったじゃん? もう即行けだ。オレの意見なんて誰一人聞いてなかったね。あの試験受けた中でオレほどひどい志望動機はなかったって自信を持って云える。サクヤはさ、何か後ろめたそうに云ってるけど未来を見据えて受けたんだろ。オレからすればよっぽど立派だと思うけどね」
サイトは留まることを知らぬ勢いで話し続けた。
女はやかましいと本人は云っているが、彼自身負けてはいないと思う。
食べて話して、話して食べて。よく口が動くものだとなかば感心しながら見ていると、サイトは口の周りについたルーを指の腹で拭い、次にスパゲティを掻き込んだ。
思わず口内で二つの味が混ぜ合わさっている事を想像し、気持ち悪くなる。
ココアを飲むとそれはさらに激化し、朔夜は逃げ場を求めるように水を飲んだ。
その間にもサイトは話し続け、食べ続け、気がついたころにはスパゲティの皿はすっかり綺麗になっていた。周回しているマシンが目ざとくそれを見つけて、回収していく。
朔夜はマシンの腹の中に収められた皿を見ながら、でも、と呟いた。
サイトはカレーをすくったスプーンを口に入れたまま、顔を上げた。
「でもサイトにはやりたいことがあるだろ。おれには……」
ない。その言葉は最後まで云えなかった。
サイトがまだカレーが残ったスプーンを離して、朔夜の言葉を遮ったからだ。
「そんなの、これから考えていけばいーじゃん」
水の上に出た氷をいじりながら、サイトは朔夜をじっと見た。
「オレだってやりたいこと、見つけたばっかだぜ? それだって生涯の仕事になるなんてわかんないし、今の一般クラスだって落とされるかもしれない。そんなことがあったら、そりゃあショックで多分半年くらい動けないかもしんないけど、それでもいつか絶対に立ち直るし、そのときには違うことに興味が移ってるかもしれないし、えーと、何云いたかったんだっけ。――そう! 今やりたいこと見つからないからって、今後もずっとなんてわかんないんだからさ、うじうじ悩む必要なんてないってことだよ」
自分で云いながら納得していないように首をひねるサイトを見て、朔夜は強張っていた表情が解けていくのを感じた。
「サイトは……」
「ん?」
「サイトはどうしておれと友達になりたいって思った?」
「えーと、それはまあ、色々あって…、何つーの、うーん……」
「サイ?」
言葉を濁すサイトに、朔夜は首をかしげた。
「その何だ……ああ! 面倒くさい! なあサクヤ、本当のこと、云っていいか?」
「は?」
まさかとんでもないことを云われるのではないか。
朔夜の脳裏に様々な憶測が飛び交ったが、躊躇いがちに頷いた。
サイトはぎこちない表情でよかったと呟き、それから緊張感を失ったのかへらりと笑った。
「ライザーがさ、お前といるとすげー嬉しそうなんだ。でもサクヤ、ずっとライザーのこと避けてただろ? だから友達になって、サクヤがライザーのこと嫌いなわけ聞き出して、改善してやろうと思ったんだよね」
今思うと凄い考えだけど、と付け加えてサイトは笑った。
「でも、それは……」
「ライザー、誰にでも愛想いいけどサクヤの前じゃ顔違うよ。今度よく見てみろよ。マジで楽しそう」
「そう…か……な?」
サイトは大きく頷いた。
「クラインの前でもまたちょっと違うってライカは云ってたけどね。オレはそこまでは分かんないけど、ライザーが一緒にいて楽しそうなのは間違いなくサクヤだ」
語るサイトの顔はこれまで以上に輝いている。その迫力にちょっとだけしりごみしながらも、朔夜はほんの少しだけ口元をゆるめて笑みを浮かべた。
「――本当に好きなんだな」
「そりゃあ、もう!」
サイトは自慢げに胸を叩いた。
「家柄含めてわりとパーフェクトなのに全然偉ぶってないどころか、親しみやすいしいいやつだし、嫌いになんてなれないでしょ。あーあ、サクヤもうちの同好会入れたらよかったのになあ」
「同好会?」
「そう、ライザー不可侵条約連盟。コネ目的などよこしまな感情を抱いてライザーに接触するやつを陰ながら排除する同好会。会員はむやみにライザーに接触しない、みだりに話さないが基本原則。今はゲランがその原則を一切守らないからメンバーの苛立ちがすごいけど。ちなみにサクヤとクラインは連盟の特性上入れない」
不思議なことにサイトと話していても朔夜は嫌な気分にはならなかった。そればかりか、楽しいような感覚すら覚える。
「連盟って何だそれ。接触会話禁止とか、半分いじめだろ」
「はは、ライカにもそれ云われた」
朔夜は追加注文で食事を頼んだ。
やってきた食事を口に運びながら、会話に花を咲かせる。
心のうちの鬱屈としたものはいつの間にかなくなっていた。
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