第七章 不滅の青

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 シンから云われて初めて、朔夜は自分が二週間近く眠っていたことを知った。


 目が覚めたのが、ちょうど週末の授業後だったので、今日はまたしても休みだ。


 シンから休んでいる間の授業の概要を聞いて明日登校するのがかなり嫌になったが、ルオウにどうしても訊きたいことがあったため、行かなくてはならない。


 朔夜は気が重くなるのを感じながら、机の上に投影したホログラフィースクリーンに視線を落とした。


 白い紙をイメージしたそのスクリーンには先程まで描いていた絵が未完のまま放置されていて、早く余白を埋めるように急かしている。


 絵のほぼ中央全てを埋め尽くす道路とその路肩に建ち並ぶドーム状の家々。遠近法で描かれたそれらの真ん中には巨塔と、支えるように周囲に立つ高い建物があった。

 全体から見てそれらが占有する面積は異常なほど広く、その絵に緊張感を与えている。



 我ながら上手く描けた。



 今は色の塗られていないモノトーンのそれを見下ろし、朔夜は頷いた。


 あとは建物の細かい分を埋めて色を塗ったらおしまいだ。

 しかし窓の形を覚えていない。

 どうだっただろうかと悩んでいると、それを嘲笑うかのように明るい声が頭上から降ってきた。



「お前、絵上手かったんだな」



 自らの絵に酔いしれるあまりシンの存在を失念していた朔夜は、身を竦ませるほど驚き、続いて叩くような勢いで手元のスクリーンを隠した。



「見るな!」



 顔に火が灯る。赤面しているのを自覚しつつ、中腰で上から覗き込むシンを睨んだ。



「何でだよ、どうせあとで見るんだからいいだろ」



「嫌だ」



 シンはあきれたような目を向けてきた。



「嫌な奴だな。減るもんじゃあるまいし、ちょっとくらいいいだろ。そういうの、けちっていうんだぞ」



「けちで結構」



 シンの文句を一刀両断し、朔夜はスクリーンを隠し続けた。


 その行為にシンは口を曲げながら抗議していたが、そのうちぷいっと顔を逸らすと、文句云いたげな面はそのままに座った。



「何だよ、もう見ないって。早く描けよ」



 朔夜のすがめに気付き、シンは怒ったようにまなじりを吊りあげた。



「こっち、向くな」



「お前が見たんだろ!」



 ベッドの上から乱暴に立ち退き、シンは朔夜のいる場所とちょうど斜めに離れた床に腰をおろした。



「早く描け」



 シンがすぐに見られない位置に移動したことを確認したのち、朔夜は再びスクリーンを出してペンを走らせた。けれどもすぐに手が止まる。シンに話しかけられたことで、すっかり集中力を欠いてしまったのか、頭の中の情景を上手く絵に乗せることが出来ないのだ。


 色付けに移ろうかとも思ったが、まだ全体も完成していないのに、次の段階に入るなんて想像しただけでも気持ちが悪くなる。



 窓の形は丸だったか四角だったか、塔の扉は、街の特徴は。



 ペンをくるくると回しながら考えるが、浮かんでもいざ描こうとすると手が止まってしまう。


 頭の中にはこんなにも鮮明に残っているというのにどうして描くことが出来ないのだろう。


 いくら考えても絵が完成するわけではないので、取り敢えず、消したり、描き込んだりと、何度も同じ所作をくりかえしながら少しずつ描き足していく。


 何十度目かの修正を加えたときに遂にその努力も放棄してしまった。


 机をバンと叩き、溜息をつきながら上体をあげる。



「なあ」



 シンは朔夜の吐いた大袈裟な溜息で、やる気が失せたことを悟ったようだった。


 それまで聴いていた立体音楽から耳を離し、特に驚いた様子もなく、何だ、と返してくる。


 その行為に何だか自分の行動が見抜かれているような気がして、朔夜は不快な気分を味わった。


 アメーバ状のホログラムをまといつかせる少年に苛立ちを覚えながら口を開く。



「あんたさあ、何でわざわざ図書館で調べるなんて云い出したわけ?」



 すでに描く気がなくなったことを悟られないよう再び下を向き、朔夜はおざなりに手を動かした。



「どんなにリアルでも、あれ夢だよ」



 いくら調べたってわかるはずなんてない。



 朔夜はそう続けようとしたのだが、視線の先にあるホログラフィースクリーンを見て口をつぐんだ。



―――朔夜



 全てが青に侵された世界の中で、唯一その色に染まることのない少女が微笑む。


 花のべんのごときワンピースは、吹いているのかもわからないほど細やかな風に煽られてふわりと広がり、彼女の周りを包む靄が白い雫を零す。



「ゆえ……」



 呟くように呼ぶと、脳裏でその少女は自分と同じような年のころに変わった。


 真珠沢のきらめきを放つ白のもや、それに覆われて色のよくわからない髪、ほんのりと色づいた双眸やはだえ、唇さえも何も変わらないのに、姿だけが違っている。


 嵐のように激しい風が吹くあおぐろい空間で、悲しげに顔を曇らせ、消えた少女。



―――見つけて……



 それがゆえの残した最後の言葉だった。


 何を伝えたかったのか、どうして現実世界に来ることが出来たのか、姿が変わっているのは何故か、訊きたいことは沢山あった。


 だから面と向かい合って訊いてみたかったのに、彼女は屋上での事件以降、夢の世界からも姿を消してしまった。



 あれからもう三週間近くも経っているのか。



 朔夜は適当に動かしていた手を止めて吹嘘すいきょした。


 夢だと云いながらもそれを一番信じていないのは他でもない自分だ。

 夢であることはもうずっと前からわかっているのに、どうしてもそれを信じることが出来ない。そればかりかこの世界に出てきたゆえを見て、彼女の存在がリアルであると信じようとしている。そして同時に現実世界と思っているこちらこそが夢で、夢だと思っている向こうが現実なのではないかとも。



 どちらにしろ証明する手立てはない。



 ふっと自嘲するように口の端をあげると、直後名前を呼ばれた。


 その凛とした声に、朔夜の心臓はバウンドするかのように激しく跳ねた。


 顔を上げると、胡坐あぐらを解いて膝を立てるシンの姿が目に入った。



「朔夜は」



 口ごもったように一度切ってから、シンはゆっくりとした動作で膝を前に進め、やや乱暴とも取れる所作で朔夜の目の前で座り込んだ。



「――朔夜は夢だと思っているのか?」



 その問いに朔夜は顔を曇らせ、さりげない動作で絵の上に腕を重ねた。


 上から覗き込もうとしていたシンはその行為にムッとしたような顔をした。長い足をもてあまし気味に組み、朔夜をじっと見る。



「おれはあんたみたいにロマンチストじゃない。いくらリアルでも夢は夢だ」



 シンの視線から逃れるようにして腕の間のホログラフィースクリーンを移動させた。



「本当に?」



 やや不満の混じるその声に朔夜は苛ついたように、そうだよ、と返した。



「でもゆえのことは今も探してるんだろ?」



 矛盾点を指摘され、朔夜は言葉に詰まった。



「夢の中では探してる。でもここは現実だろ」



「おれはその夢の人間に襲われたぞ」



「幻覚だろ」



「二人同時に?」



 へえ、と揶揄(やゆ)するように云われ、朔夜は口ごもった。


 こんなときに見せるシンの表情はこの上なく意地悪い。



 嫌な奴。



 ここのところ疎遠だった苛立ちがふつふつと体の奥から込み上げてくる。今となっては懐かしくもある情動。けれどもその感情はナーサリーに入学した当初、シンに抱いていたものとはまた別なものだった。


 馴れ合いのような感覚を含んだそれに嫌悪感を覚えながら、苛立ちを抑えるように唇を噛み締める。



「あんた火星人マーズレイスなんだから、他人と同じ幻覚を見ることぐらいわけないんじゃない?」



 一瞬火星人マーズレイスという言葉を出すのに躊躇したが、禁忌の単語だろうとなんだろうと感情的になっているときは抑制も利かない。相手の感情を逆立てるようにわざといやらしく云ってみせると、シンはそれにたやすく引っかかった。



「遺伝子改変しただけで超能力者になれるわけないだろ。映画か小説の読みすぎだ」



「でも実際変な力、持ってるように見えるんですけど」



 言下にシンは眉間に皺を寄せた。



「……まあ、そうだけど……」



 云いにくそうなシンの様子を見て、朔夜は内心ほくそ笑んだ。



「だがあれは超能力じゃない、共振だ。振動を作り出す器官もある。大体どっちかって云うと、お前の方が超能力者だぞ」



「はあ?」



 何云ってんの、と朔夜は笑い飛ばそうとしたが、シンの表情はそれが出来るほど砕けたものではなかった。

 至極真面目な顔をして、超能力者という単語をもう一度口にする。その表情には一切のよどみはなく、シンにからかう意図がないことが分かった。



「……おれは、超能力者じゃない」



 シンの表情に気圧されたのか、その声は笑い飛ばそうとした先刻とは違い、頼りないものだった。一般人を強調する朔夜に、シンは顔に浮かべたかげりを濃くした。



「ふうん。――じゃあ、どうしておれが屋上にいたこと、分かったんだ?」



「……勘だよ」



「勘……ね」



 意外なことにシンはあの意地悪い笑みを見せなかった。困惑しつつも、何と云っていいかわからず、かといってシンの横顔を見続けるのもどうかと思い、結局黙り込む。



「おれは、朔夜はテレパシストだと思う」



 重い衝撃が心臓を貫いた。


 目の前が暗くなり、一瞬のちに元の視界に戻る。



「おれは……」



「朔夜はおれの声が聞こえる。――そうだろ?」



 畳みかけるように云われ、朔夜は唇を噛んだ。


 違う、違う、と頭の中では怒鳴るように激しい否定が行われていたが、シンの云うように彼の声が聞こえていたのは事実だし、朔夜はその音を何の証拠もなくシンのものだと断定していた。


 云われてみればおかしいことだらけだったが、かといってそれがイコールテレパシストに繋がるかといえばそうではない。



「おれは違う」



 朔夜はかぶりを振った。云ってはいけないとは思ったが歯止めが利かなかった。



「あんたみたいに異常じゃない」



 言下に部屋の中が凍りつくのを朔夜は感じた。


 罪悪感の塊が汚泥のように身内に流れ込んでくる。いちいちそんな感情を抱く自分が嫌になりながら、それでも黙って唇を噛んでいると、シンが立ち上がった気配を感じた。



「……そうだな」



 その声は妙に弱々しかった。


 ぎくりとして顔を上げた朔夜は、シンの表情を見て、さらに狼狽した。



「シン?」



 その顔は見たこともないくらいに強張っていた。必死に表情に出すまいとしているところがかえって痛々しい。


 シンは視線をさまよわせたのち、おもむろに口角を上げた。

 それは無理やりといった感が強くて、朔夜はまたもや嫌な気分になった。


 シンは何も云わずに唐突に立ち上がると、背を向けたまま朔夜に云った。



「……おれは火星人マーズレイスだ。…たとえ半分しかそうでなくても……。異常な存在だなんて端からわかりきっている」



「シ――」



「お前はそれを知っているんだと思っていた」



 言下にシンは小走りで扉に向かうと、朔夜に一瞥もくれず、部屋から出て行った。


 呆然とする朔夜の前で、軽い音を立てて扉が閉まる。


 朔夜はいまだシンの気配が残る部屋の中に、たった一人残された。

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