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三十四名に減った教室内は今まで以上に閑散とした空間だった。生徒たちもあまりの減りように居心地悪そうな顔をしている。私語も平時のようにうるさく飛び交ったりはせず、かさこそとひそめたようなくぐもり声が聞こえるのみである。彼らの多くは朔夜と同じような不安を抱き、今後どうなるのだろうと精一杯思案をめぐせているのだ。
朔夜は定位置である最後尾の席からぼんやりと教室内を眺めていた。
シンは普段のように隣席のジェセル・クラインと話をしている。時折金色の後頭部に手をやり、散髪を行って短くなった髪を撫でた。
彼らを含めた最前列の面子にはほとんど変化がない。
それ故、朔夜はやはり成績順なのだと思いかけたが、そうするとどうしても自分の存在がひっかかってしまう。悩んでも無駄なので、最近は考えないようにしているが、成績不良の自分を合格にさせた要素の存在が気になるところだった。
それとは別に朔夜にはもう一つ気になることがあった。それは女子の割合が増えたことだ。減った生徒の代わりにやってきたとかそういうことではない。男子が四十一名も落ちたために少数派だった女子が目立つようになったのだ。
よく分からないのが一名いるけど。
ぼんやりと考え、朔夜は暇潰しに数をかぞえてみた。
二十二人もいる。
そんなことを確認していると、直後にルオウが入ってきた。
それまでかすかに響いていた話し声が凍りついたように聞こえなくなった。全員でいっせいに起立し、敬礼する。
「最終合格おめでとう」
着席の合図のあとにルオウが口にしたその一言は教室内を騒然とさせた。
「静粛に」
いつもはそれで水を打ったように静まり返る教室内だったが、この日ばかりはそうはいかない。話し声は沈静化するどころかますます白熱化していった。皆、各自周りにいる人間に手当たり次第に話しかけている。幸い朔夜はその渦に巻き込まれることはなかったが、驚いているという点では同じだった。
ルオウは一向に静まらない教室内を呆れたような眼差しで見渡したのち、顔を強張らせ、すうっと息を吸い込んだ。
「静かにしろ!」
瞬間、感電したかのような衝撃が皮膚の上を走った。ビリッとしたその感覚に驚いて教卓を見ると、他の生徒たちも同じように硬直して前を向いている。
ルオウは静かになった空間を満足げに見回すとゴホンと息を整え、話の続きだと告げた。
「先程云った通り、ここにいるお前たちは今回の試験により全員正式なナーサリーの生徒と認められることになった。しかしこれまでのように浮かれてもらっては困る。軍人になるということは戦争も体験するかもしれないということだ。特に衛星連合との現状をお前たちも分かっているだろう。最早戦争は絵空事ではない。学歴のみで在籍希望している者には退学を勧める」
教室内は再びざわつきはじめた。教官自らが退校を奨励していのもその一つだが、一番の理由はルオウの変貌ぶりだった。
口調こそ変わらないもののこれまで我関せずといった態度を貫き通していた主任教官が今は他の軍人と変わりない雰囲気を醸し出している。そのことはそれまで彼女をなめきっていた生徒たちからすれば青天の
朔夜は大多数の生徒共々驚きはしたが、彼らのように慌てはしなかった。別にどうでもいいといったふうに机の上にうつぶせる。
朔夜が今求めているのは何故自分が試験に合格したかということであり、主任教官の態度が変化したことではなかった。
「お前たちはまだ若い。自分の力で未来を選択出来る。ここには学歴重視でやってきたものも多いだろう。平和な世であればそれもいいかもしれない。だが今、そういう中途半端な覚悟で軍に居座ることになれば後々後悔することは必至だ。軍が欲しているのはお前たちではなく、敵と戦うために必要な性能のいい手駒だ。これ以後の授業はもし戦争になっても辞めないと誓える者だけが受けろ。そうではない者は先に云った通り、退学を勧める。これは私の独断によるもので、軍からの要請ではない」
朔夜が目をつむっている間にもルオウの論告は続いた。
腕の間に出来た暗い空間の中で欠伸をしながら朔夜は話が終わるのを待っていた。
「三日間のみ待つ。退学を希望する者は士官区へ来い。相談だけでも受けつける」
相談。
その言葉に反応を示し、朔夜は腕の中から顔をあげた。
教壇の上のルオウは先程までの語りを忘れたかのようなすまし顔で新しい資料を呼び出している。
目の前に現れたホログラフィースクリーンには写真入りで船外活動演習の内容が書かれており、ルオウは淡々とした口調でそれを読み出した。
「――そこに記載されているように三月中旬に見学旅行を行う。旅程は四泊五日。途中、船外活動演習を実施し、最終日には暗澹の五百年にまつわる軍事機関に宿泊する。場所はラグランジュⅡ、サテライトC、月面基地の三箇所だ。月面基地での演習終了後半日は月都市リュケイオンの見学を行う。だがリュケイオンについては十四年前にバイオハザード指定が解かれたばかりであり、現段階でも調査が進んでいるわけではない。危険がともなう確率が最も高いと予想されるのでそのことをあらかじめ肝に銘じて置くように。詳しい資料は端末上で発表する。詳細を確認の上、一月の末までに意志を固めておけ。分かっているとは思うが遅滞は厳禁だ。期日は必ず守るように――以上!」
生徒たちはそれで一斉に立ちあがり、入ってきたときと同じく彼女に敬礼した。
ルオウは靴音を響かせて、教壇の横にある扉から出て行く。自動扉が閉まると、突然教室内は怒涛の大騒ぎになった。
室内のあちこちで生徒たちが立ちあがり、親しい者同士意見交換を行っている。半分以下に減ってしまったために前ほどの喧騒にはならないが、うるさいことには変わりない。
朔夜はその
昼間の飲食店のような騒ぎに侵された教室にくるりと背を向け、出て行こうとした朔夜が呼び止められたのはそのときだった。
「朔夜」
振り向かなくてもすぐに誰が呼んでいるのか分かった。
「ライザー」
顔をしかめて振り返ると、シンはゆるい階段状になった通路をあがりかけていたところだった。
跳ねるようにして残りの段数を消費すると、わざわざ朔夜の前に並び、小首を傾げるふうにして訊く。
「急ぐのか?」
今日はもともと身体検査の日で、朔夜たちはすべてを終えたあとルオウのこの話を聞くためだけにここに集まっていた。だからあとは寮に帰るだけなのだが、朔夜にはルオウに話を訊くという用事があったのでこんなところでのんびりしているわけにはいかなかった。
どうせ追試合格おめでとうとかそういう類なんだろうと、先んじて面倒を見てくれたことへの礼を云う。しかし、応答を見て違うということが分かった。
浅く溜息をついて、早くこの会話を終わらせようと適当に言葉を紡ぐ。
「何? アルバムのこと?」
「……それもあるが、少し訊きたいことがあるんだ」
「今、用事があるんだけど」
「だったら別にいい。いつでも構わない。じゃあまたあとでな」
シンは両手を振って拘束するつもりがないことを示した。
朔夜とシンの仲は一週間もの間、ともに過ごした割に休み前と大して変わっていない。
変わったのは前よりはさほど苛つかなくなったということと、シンが友達面をして盛んに話しかけてくるようになったということだけだ。突発的に怒鳴るということはもうないが、自分が他人に興味を持ったということは今でもまだ信じたくない。
朔夜は苛つかなくなった己の心境の変化に苛立ちを覚えながら廊下に出た。ドーナツ型になっている廊下の向こうにルオウの姿が見える。あのくらいの距離なら追いつくだろう。
朔夜は夢の世界で毎日鍛錬を積んでいたことが吉と出たのか、移動に関してだけはかなりの自信があった。チューブ状の壁を蹴り、主任教官のあとを追う。
ナーサリーのあちらこちらを結ぶ通路は蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、様々な場所から近道出来る。しかしそれは相手の行く先を知っているという場合だけで、ルオウがどこへ向かおうとしているのか把握していない朔夜には地道にあとを追うしか方法がない。それ故、声の届く範囲にいたるまでも数分を要した。
「ル……」
「ルオウ教官!」
届かなかった声を出してしまった気恥ずかしさが心の内からマグマのように噴き出てくる。そのいたたまれなさにも似た感覚に、朔夜は慌てて廊下の影に隠れた。
「どうした、何か用か、ウェーバー」
細やかながらも声が聞こえてくる。朔夜はどうして隠れなくてはならないんだと思いながらも、緊迫した空気が満ちる空間に躍り出る勇気もなくて、その場に待機していた。
「教官……」
朔夜の声を遮った言葉の主は、彼が身をひそめたチューブとは別の管から現れた。ルオウがいる通路とはちょうど直線状になっていて、横道にあたる場所にいる朔夜の姿は双方からは見えない。道を引き返せばよかったのだが、朔夜の足は金縛りにあったかのように動かなかった。
朔夜は唇を噛み締め、顔をうつむけた。足の合間から見えるチューブの底には、最下層にある図書館の丸い屋根が見えた。
「どうして……」
突如として響いたその声は絞り出すような痛切な音をしていた。自分に向けられた言葉でもないのにビクリとして顔をあげる。
「どうして俺は落とされたんですか?!」
音の大部分はチューブに吸収されてしまったため響かなかったが、切羽詰った様子だけは感じ取れた。彼らがいる通路は公用のはずなのだが、何故か図ったように人が通らない。朔夜は唇を噛みながら誰か通らないかとそればかりを考えていた。
「俺は射撃演習でも筋力トレーニングでもいつも上位だった。学力テストだってそんなに悪い方じゃなかったっていう自信がある。専門訓練も教養科目もおしなべてやってきた。なのに…なのに……」
「ウェーバー……」
ルオウは諭すようなやんわりとした口調で少年を呼んだ。
朔夜はウェーバーなる少年のことは記憶になかった。分かっているのは彼が今回の試験で落とされたことと、その結果が納得いかないためにルオウに直談判にきている、それだけだった。
どんな人間なのだろうとチューブの影からそっと顔を出したが、制服に包まれた後姿しか見えなかった。
「ウェーバー、ナーサリーが欲しているのは学力や戦闘能力だけじゃない。無論それも必要ではある。けれど軍人として基本的なものを習得していればよいというならば、特待生の応募などという手段には出ないはずだろう。元々軍籍を所有している者を使えばいいだけだからな。それだけでは足りないからこそ我々は民間人から公募したんだ」
「足りないところ?」
ウェーバーの問いにルオウが答えるのが見えた。けれども肝心の内容についてはよく分からなかった。声が小さくなったせいだろうか。
朔夜は詳細を知ろうと二人の会話に耳を立てていたのだが、やはり聞こえなかった。
「じゃあ……」
次に声があがったとき、その声は震えていた。どきりとして目を見開くと、ウェーバーは吐き出さんばかりの勢いで叫んだ。
「サクヤ・キサラギはその才能があったってことですか?!」
刹那、ずんと何か重いものがのしかかってくるような感覚を覚えた。
「あいつは十二教科も追試を受けた人間ですよ? しかも学力だけならいざ知らず、演習もろくにこなせない、そんな奴が、才能があった? それだけで受かったんですか? それだったら最初から試験なんてやらさなきゃいいじゃないですか!!」
「ウェーバー!!」
じょじょにたかぶった声になっていく少年をルオウは一喝した。
ウェーバーはそれで一瞬黙ったが、腹立たしげに身じろぎすると、舌打ちして顔を逸らした。これまで横顔しか見えなかった彼の全貌が明らかになる。朔夜はそれでもその顔に見覚えはなかったが、今はもうそんなことはどうでもよかった。
酷い脱力感が朔夜を苛み、いつもは可能なはずの静止状態を保つことすら出来ない。チューブの壁に背が当たり、その反動で体が中空を浮遊した。向かいの手摺りをつかんで体を持たせるのが精一杯で、その場から立ち去る力も残っていない。その間にもウェーバーに理解を求めようとするルオウの声が響きわたっていたが、朔夜の脳はそれを聞き取ることが出来なかった。
唯一理解出来たのはルオウの静止を振り払って去ろうとするウェーバーが放った叫び声で、それは朔夜の心臓を鋭く貫いた。
「――俺は……俺は自分があいつより劣っていたとは思えません!」
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