第五章 夢から醒めた夢

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「伏せろ!」



 レシーバーから発せられた怒号が耳をキンと貫く。

 平素とは異なるシンの語調に朔夜は身を竦ませ、崩れかけた瓦礫の影に頭を隠した。頭上をレーザー銃の黄色の光線が通過していく。あと一歩遅ければ頭を打ち抜かれていたところだ。一気に全身の緊張が解け、朔夜は安堵の溜息とともにずるずると崩れ落ちた。



「ぼんやりするな、まだ残ってるんだぞ」



「分かってる!」



 いちいちうるさい。


 朔夜はレシーバーを投げ捨てたい衝動に駆られながら、ぎりぎりのところで耐えて、代わりに唇を噛み締めた。汗が滲んでいるせいか、すこし塩辛い。


 朔夜は汗が気化して曇った端末内蔵スクリーンバイザーを腕でこすり、銃の引き金にかける指に力を込めた。

 ごくりと息を呑み、風穴のように開いた瓦礫の合間から向こうの様子をうかがう。



 射撃演習場のホログラフィーは何パターンかあったが、今回はどこかの戦場のようだった。いつの時代かと思わせるような古臭いデザインの建物が倒壊し、いたるところから蛇のようにうねった細い煙が出ている。


 朔夜は銃口を動かしながらバイザーに映る映像を観察した。時折、建物の影から軟体動物のような形の物体が現れては消える。


 ナーサリーの生徒たちから最下級タコと呼ばれているそれが、射撃演習で使われる的である。

 建物の影でうねっているそれは今でこそ淡青みず色の通常形態を保っているので目立っているが、擬態が出来るために目を凝らしていないと、とんでもないところから現れて逆に撃たれたりする。

 的がタコ型なのは、かつて発見されたフラグメントに火星人と称したタコの絵があったかららしい。しかし火星にはタコがいた形跡はなく、真偽の程は明らかではない。


 朔夜は深く息を吸い込んでゆっくりと吐き、銃を構えた。

 エネルギー残量がわずかなので、これまでと同じようにむやみやたらと撃つわけにはいかない。バイザー上の画面を見ながら、透明になったり、色を変えたりする物体に照準を合わせ、朔夜はひたすらそのときを待った。

 高揚感と緊張感がい交ぜになったような不思議な感覚が体中に満ちていく。タコはその間にも動きを止めず、触手で建物を探るようにしながら砕けたコンクリートの上を這いずった。


 今だ。


 朔夜は照準とタコの体が重なった瞬間、ほとんど反射的に引き金を引いていた。

 両腕に負荷がかかるとともに銃口から鋭い光が飛び出し、タコの透明な体を貫く。周囲の瓦礫が吹っ飛び、噴煙があがった。


 やった!


 煙を見て、息をつこうとした朔夜の耳にシンの怒声が響く。



「後ろだ!」



 状況を把握する余裕もなく、朔夜はその場から飛びのいた。刹那瓦礫の山は粉塵とともに崩れ落ち、それまで朔夜がいた場所も煙にまかれて掻き消された。



「気を抜くなと云っただろ。そういうのも減点対象になるんだぞ」



 もくもくとあがる煙を見ながら唖然とする朔夜にシンはきつい声で告げた。云い返したいのは山々だったが今回は分が悪い。

 朔夜は黙ったまま、叱責に耐えた。



「――まあいい、あと一体だからな。今度は気を抜くなよ。見つけたら核に照準を合わせて引き金を引く、分かったな?」



 当たり前のことをわざわざ口にして確認してくるシンに朔夜は渋面した。


 タコの核は外套膜の裏側にある。通常形態である淡青みず色のときにはそこだけオレンジに染まっているためにわかりやすいが、一旦擬態を開始してしまうと核もろとも同系色になってしまうので、狙えるのは知覚出来るときと攻撃してくるときだけだ。タコは攻撃のときに触手にエネルギーを集めるので、その凝集のために擬態を解く。狙い目は攻撃が終わってエネルギーを拡散させている最中なのだが、それは現状では出来ない。

 今の朔夜の力量で出来るのはタコが擬態を解いたその瞬間を狙って撃つことだけだった。


 次のレベルとなる通称下級タコの能力は飛躍的にあがっていて、今の倍くらいの速さで動き、内蔵されたサーモグラフィーでこちらの位置が知覚出来るのだという。

 最下級でも苦戦を強いられている朔夜にとってそんな化け物じみた的を倒せる自信はなかった。しかし今倒すべき相手は下級ではなく最下級である。


 朔夜は再び体を緊張させると、崩れやすい足場に注意しながらそろそろと移動した。


 銃のエネルギー残量を確認すると、何と一発分しか残っていない。威力を抑えれば二発は撃てるかもしれないが、あまり弱過ぎるとタコの外套膜を破れない。


 朔夜はしばらく考えたすえ、分散させず最後の一発で残りの一体をしとめることにした。

 タコの居場所を確認するためにわざと動き回り、タコの姿が見え始めた瞬間、手近な瓦礫の影へと滑り込む。そうしてタコが警戒を解いて姿を現したところを狙うのだ。


 朔夜はタコの姿があるだろう空間に狙いを定め、辛抱強くその時が来るのを待ち続けた。狙撃手にでもなったような気分だ。


 そのままの体勢でいくらか待っていると、それまで何もなかった空間に不透明な物体が現れた。途端に手が緊張し、バイザーの照準が合わなくなる。銃は一発分しかエネルギーが残っていない。これを外せば自動的にゲームオーバーだ。

 朔夜は震える手を押さえて、じょじょに現れつつあるコアに狙いを定めた。


 いける。


 瞬間、糸が極限まで細められたような感覚を味わった。

 銃口から目映い光が飛び出し、コアを貫く。先程は煙にまみれてちゃんと倒したかどうかも不明だったのだが、今回は確実に倒せたのがわかった。矢のように発射した光弾はコアのみを貫き、遅れてタコの体を消滅させたのだ。


 バイザーに達成の文字が現れ、かかった時間、消費したエネルギー量、被弾率、総合得点などが記される。



「朔夜!」



 ホログラフィールームから出てきた朔夜をシンは今にも抱きつかんばかりの笑顔で迎えた。



「凄いよかった。最後なんて特に。まだ二回しか練習に付き合ってないのに、お前習得早いよ」



 朔夜は渡された吸水タオルで顔を拭き、ドリンクピルを口に含んだ。

 渇き切った口内にスポーツ飲料の味が広がる。



「今みたいな感じで明日もやれよ。時間は減点対象にならないからどんなにかかっても平気だし、要は自分なりに作戦を立てて実行すればいいんだ。ぼんやりしなければ合格間違いなし」



 合格という一言で朔夜はなんとも云えない気分になった。

 返却してくるというシンに銃を渡し、無言のままシャワー室に向かう。


 演習室内部に設けられたそこはやたらと白が目立つ清潔そうな空間で、壁際にはびっちりと簡易ボックスが設置されている。シャワー室といっても汗を洗い流すのが目的なため、寮にあるような設備はなく、内部に置かれたチューブタイプのカプセルに入るだけで終わりだった。


 数分も経たないうちに制服に着替えた朔夜は、シンの待つ銃器管理室に向かって、のろのろ歩いていった。やるべきことがなくなってしまうといつものように試験のことが頭を満たし、それを思い出すと気が重くなった。



 試験結果が発表されたのは今からちょうど一週間前の休み明けのことだった。


 ヤーンスからナーサリーへと向かっていた朔夜とシンは端末を見て結果を知り、思わず目を見合わせた。八十六名中、五十二名が不合格。


 その事実は朔夜の度肝を抜いたが、何よりも不思議だったのが他でもない自分がどうして受かっているのかということだった。総合成績で第四位だったシンとは違い、朔夜は自信がなかったのと相応の成績が返ってきた。計十二教科もの追試。だがそれでも不合格ではなかった。不合格者には追試などの温情措置は全く与えられないのだ。


 朔夜は最初、自分は出来ていないと感じていたのだが、実は出来ていたのだとなかばば強制的に考えることにしていた。しかしそんなふうに考えていても、自分未満の成績の人間が五十二人もいるとは到底思えず、一体何を基準に選んでいるのかと思うと酷い不安感が胸のうちに込みあげてきた。その不安は自分でもよく理解出来なかったが、日を追うごとにその占有面積は着実に広くなってきている。今や考え事をしていないと自分が保てないほどに巨大になったそれに、朔夜はどう対処すればいいかわからなかった。



「早かったな」



 朔夜の姿を認めてシンは管理室の前から走ってやってきた。

 荷物を渡しながら、追試ですんでよかったなと微笑む。朔夜はその言葉に頷くことが出来なかった。

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