第三章 熒惑《けいこく》の証

1

 シン・ライザーは今から十四年前の三月二十七日に首都アスガードで生まれた。


 父は現在の星防長官ヨーウィス・ゼン、母は千年の奇跡とうたわれた容姿で人気を博したモデルのシャナ・ローランである。

 シャナはシンを産んだその日に死去。シンはヨーウィスの第四子としてアスガードにある本邸で育った。



「現総帥ルカイヤ・ゼンに溺愛され、未来の総帥として最も期待された少年……」



 端末には軽い紹介文とともにかなり遠くから撮られたものらしい写真が掲載されていた。

 あまりにも遠目過ぎてシンがどこにいるのかもわからないそれは、どこかの建物から撮られたものらしく、無断で撮影したことは明らかだった。


 他の写真も似たようなもので、物によっては明らかに別人だろうというものもある。その全てが撮れなかったというより撮らせてくれなかったという方が正しいようなそんな写真で、シンの姿を隠していることは明白だった。

 しかしライザー一族の情報が秘匿というわけではなく、シンの兄、三人についてはもっと詳細な写真も来歴も載っている。

 ルカイヤ・ライザーにいたっては伝記ものも出版されているくらいだったから、それからするとシンについての情報不足はかなりのものだった。



「やっぱり、あれかな……」



 朔夜は端末から視線を外し、あの日シンの部屋で見た怪光を想起した。


 真っ暗な空間を切り裂くかのように伸びた針のように細い光。冷たく光るその青い輝きは、どう考えても普通ではなかった。

 そしてシンが発したただならぬ怒声。


 不自然なまでの不足している情報といい、どの状況から見ても、ライザー一族があの怪しげな光の存在を隠匿しているという考えに直結した。


 秘密。


 朔夜は頭から寝具を被り、寝台に倒れ込んだ。きしりと音を発してベッドが沈む。

 熱気とともに上掛けの中に満ちた闇は、あの日の暗がりと似ていた。開け放した扉から入った光に照らされてきらめくガラスの破片と、指の間を染める青白い燐光。少量の光によって深められた闇が、覆いかぶさるように迫る。


 じわじわと心の中に沈殿していく不安感。それは朔夜の内部を速やかに侵食していき、皮膚を覆った。鳥肌が立つような気持ちの悪い感覚。


 朔夜は寝具の中で身を縮めながら、シンに関することを忘れようとするかのようにぎゅっと目をつむった。



 ◇



 朔夜が怪しげな光を目撃した次の日、シンは登校しなかった。


 ルオウ曰く、風邪を引いたということだったが、そうでないことは朔夜が一番よく知っている。


 朔夜はそれまで、首都では光る刺青が流行っていてシンもそれを試してみたのだが、軍では規制されていることだったので秘密にしなくてはならずあんなに怒ったのだ、というかなり無理がある仮定を考えていた。


 しかし、シンが欠席したことによってその仮定は崩壊した。


 刺青ごときで皆勤賞だったシンが休むわけがないし、第一学校が次の日にあると分かっているにもかかわらず、そんなものを入れるとは思えない。


 結果、やはりあれは刺青ではなく体に刻まれた別の発光体なのだという思いが強まり、シンに対して抱く不審はさらにつのった。



 翌日、朔夜は一日休んで復帰したシンを遠くから監視することにした。

 シンは一見いつも通りで、クラスメイトに明るく挨拶を交わし、講義も真面目に受けていた。


 筋肉質の教師が高らかに話す総合化学の講義では何度か質問をし、休む前よりも精力的に事を行っている。しかしそれは空元気に過ぎなかった。


 朔夜と目が合うとすぐに逸らし、露骨に気付かぬふりをする。それはいつもシンの隣にいる眼鏡の少年でさえも首をかしげるほどあからさまで、朔夜はその態度でまた不審を募らせた。



「キサラギ、ライザーと喧嘩した?」



 声と呼び方で相手が誰であるか分かったので、朔夜はいちいちふりむきはしなかった。


 ゆるくかぶりを振って学生証スティックを机の挿入口に差し入れる。机に内蔵された端末が低い機械音を発して蛍光緑のスクリーンを中空に出現させた。



「何か今日、変じゃない?」



 ようやく向き直った朔夜を一瞥し、オレンジ髪の少年はシンがいつも座る最前列の席を見遣った。


 朔夜もそれにならって前を向いたが、シンは幸か不幸かまだ来ていなかった。

 がらんとした教室内を眺めて溜息をつく少年を尻目に、朔夜は端末をいじっていた。


 ホログラフィーキーの上で指を滑らせ、この教室で行われる講義の資料を呼び出す。試験に備えてまとめておこうかとも思ったのだが、あの謎の光がどうも気になって手がつかない。


 しばらく画面を睨むように見てから、朔夜はおもむろに顔をあげた。



「あの」



 何をするでもなく後ろの机に腰かけていた少年は、朔夜の言葉にはっとしたように顔をあげた。



「光る刺青とかって体に入れること……その、出来るのか?」



「キサラギ、そんなのしたいの?」



 言下に切り返されて朔夜は迷った。

 何を訊いているのだという思いと、もしかするとヒントを得られるかもしれないという思いが交錯する。


 考え込むように黙っていると、背後から大仰に息を吐く音がした。



「……静脈の色とかも変えられるんだから出来るんじゃね?」



 云われて朔夜は、体の一部をいじって色を変えたりするのが首都で流行っているというのをニュースで見たことを思い出した。

 髪の色だけでなく、皮膚や骨の色まで変えたのだという男女がホログラフィースクリーンの光の中で笑っていたのを脳が記憶している。



 シンのものもその一環なのだろうか。



 朔夜は闇夜に光る獣の目のような青白い光を思い出して眉根を寄せた。

 しかしファッションなのだとしたらあそこまで必死に隠す意図が不明だし、大体無視をする必要がない。

 それにこれまでなかったものが突然皮膚の表面に現れるなんて、そんなことが本当に可能なのだろうか。


 朔夜は自分ひとりで考えてもわからなかったので、それとなく少年に訊いてみることにした。



「……そりゃあ温度とかと絡ませれば出来なくはないとは思うけどさ……。暗澹前に流行ってた技術か何かで、最近でもやってるやつがいたって前に姉貴に聞いたような聞かなかったような……。でもそれって後天だと許可が必要だったような」



「じゃあ先天なら許可はいらないの?」



「うーん、何とも云えないなあ。そもそも今云ったことだってホントかどうかも不明だし」



 オレンジ色の髪を掻く少年を尻目に、朔夜は再び考え込んだ。



 先天性手術。



 それはすなわち遺伝子改変のことである。遺伝子改変は、知能や身体の能力、人間としての基本的な形態、生理をいじることをしなければおおむね認められている手術だった。



 確かにそれだったらあの光る刺青も出来るかもしれない。



 朔夜はそう思ったが、やはりそうする理由がつかめなかった。


 ライザー一族は全員刺青を彫る義務があるのかとも考えたが、そうだったとすると、余計に隠す必要などない気がする。隠さなくてはならないことだとしても、命の危機と云わんばかりにうろたえるのはオーバーアクションにもほどがある。


 そこまで考えて、朔夜の中に一つの疑念が生まれた。


 まさか、弱みを握ったら即脅してくるような人間に思われたのではないだろうか。


 一瞬浮かんだその考えは、朔夜の苛立ちに火をつけた。



「あのさ、もしかしてスゲー悩んでる?」



 心の中でシンをなじっていた朔夜は、突然のその言葉に不愉快そうな顔を隠しもせずにあげてしまった。


 オレンジ髪の少年の表情が曇るのを見て、慌てて平静を装う。



「……違う」



「あー、えーとさ、届けを提出すれば、そういうことやっても良かった気がするけど、でもさ、変えるんだとしたら色には気をつけろよ」



「色?」



「そうそう。禁色きんじきって云ってさ、例えば目は赤、髪は白が駄目。別々なら良いんだろうけど、セットは絶対駄目。理由がまた阿呆らしいんだよ。火星人マーズレイスの見た目がそうだったからなんだってさ。確か土星人サタンレイスが自分たちと区別するために固定の色をつけたんだろ。しかも事件後大分あとまで火星由来の名前をつけるのも駄目だったらしいぜ? 何でそんな目の敵にするのかねぇ……ってオレが今云ったことは内緒だからな。軍施設でこんなこと云ったのがばれたら即刻退学だよ」



 少年は大げさな動作と表情で朔夜を脅すと、突然断りを入れ、教室の出入口へと走っていった。

 入ってきた生徒たちの集団の中に友人を発見したらしく、群れの中でもひときわ小柄な少年の元に駆け寄っていく。



「禁色……」



 その言葉に朔夜は何か引っかかるものを感じた。少年が去っていった方をぼんやりと見つめ、それから思い出したように机上のスクリーンに目を向ける。


 黄土色の机の上に広がった透明な緑のスクリーンは朔夜が開いたときのまま、次の指令が下されるのを待っていた。ホログラフィーキーにそっと手を置き、考えもせずに文字を打ち込んでみる。



 禁色、赤、火星。



 しかし検索はなかなか実行に移せなかった。

 中空に浮かぶ画面を見据えながらキーの上で指をさまよわせる。



 しばらくそうしていると突然、後ろの扉が開いて何人かの人間が入ってきた。

 慌てて文字を消去し、元の資料画面に戻す。見ている人間など誰もいないことくらい分かっていたが、それでも自分が地球の敵と云われる惑星について調べているとは思われたくなかった。


 光電子工学について書かれた宇宙工学の資料を前に、溜息混じりで伸びをする。

 何だか酷く疲れている。世界の全てが遠く、目の前にある机ですらその存在自体が虚像のように感じられる。


 己の感覚に疑念を抱いていると始業のチャイムが鳴った。


 どやどやと人が入ってくる。一時に騒がしくなった教室内を後ろから見ていると、不意に視界の端に金色の髪が映り込んできた。


 朔夜はびくりとして首をすくめた。

 机上にひじを立てて何気ないふりをしながら、目をすがめて観察する。


 シンは朔夜の側ではない別の扉から教室内に入ったようで、一列向こうの通路をいつもの眼鏡の少年とともに歩いていた。気が強そうなところが抜けない笑顔に、モデルのような颯爽とした歩き方。人目を引かずにはいられないその仕草はこれまでと何ら変わりなかった。


 朔夜がなおも窺っていると、シンは何かを探すように首を動かしたあと、唐突にこちらを見た。突然ぶつかった視線に驚いていると、一瞬のちにシンの方から目を逸らした。


 自分も遅かれ早かれするつもりだったとはいえ、何となく腹立たしい気分になる。むかむかしているとその感情を助長させるように先程の少年の言葉が脳裏に蘇った。



―――キサラギ、ライザーと喧嘩した?



 少年は何気なくそう云ったに違いないが、一度思い起こしてみるとそれは悪気以外の何ものでもなかった。冷水も一気に沸騰しそうなほどの熱い塊が体の内側に出現する。



 何であいつと喧嘩なんてしなければならない。あいつが勝手に人のことを無視しているんだ。



 心の中でそう思うと、その思ったことに対して更に腹が立った。


 何故無視なんてされなければいけないんだ。心配してきてやったにもかかわらず、不当に追い出されたこっちが本来なら無視すべきなのではないか。折角心配までしてやっているのにどうしてあんな非難がましいことを他人に云われなければならないんだ。


 人に聞かれたら何様のつもりかと云われそうなことを思いながら、朔夜は爪で机を叩いた。こつこつという軽い音が響く中、壇に教師が現れた。



 宇宙工学基礎論の教師は一拍置いたのちに講義を開始したが、朔夜はすでに清聴出来る状態ではなかった。体が裏返ってしまいそうなほどの憤りが内面から込みあげてくる。


 先程まではまだ言語として成り立っていて、それが朔夜の苛立ちを加速させていたのだが、時間が経つにつれ言葉は言葉ではなくなり、しまいには感情の塊となっていた。汚泥のような腐臭を伴った気持ちの悪い情動。憤怒はいまだ治まらず、そればかりか加速の一途を辿っている。


 黒い炎が蛇の舌のように閃いて内奥を侵食するたびに、目も背けたくなるような醜い感情が皮膚から染み出してきた。



 何でこんな思いをしなければならない。



 体を取り巻く異常な情動は泣きたくなるくらい歪んでいる。朔夜は頭を抱えて机に突っ伏すと、膨れあがって手がつけられなくなった感情から顔を背けた。


 宇宙工学基礎論について語る教師の声が高く低くうねりながら教室内に流れる。



 こんなふうに嫌な気分になったりするくらいなら記憶などいらない。



 朔夜はそう強く思った。

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