第2話 戦国時代の快楽主義者・楊朱とエピクロス

 百家争鳴の戦国時代に、楊朱という快楽主義者がいました。


「楊子(楊先生)」とも呼ばれています。


 楊子は、おのれの身をなによりも大切にすることを説き、快楽を肯定し、心のままに生きることを善としました。


 他者のために尽くすのを良しとせず、


「髪を一本抜くだけで天下が救えるとしても、けっして抜くべきではない。


たとえ髪一本であろうと、天下のためにわが身を傷つけるのは愚というものだ」


 という徹底ぶりです。


 欲望を肯定し、個人主義と自愛を唱えたことにより、儒家や墨家から害悪とされていました。


 とくに墨家は人のために尽くすことを善としたため、相容れる存在ではありません(春秋戦国時代の思想家の概略については「第一話 3分でわかる、春秋戦国の中国思想の流れ」を)。


 ただ自分を大切にするということは、ともすれば人のために自分を傷つけてしまう現代社会にも通じる思想だと思います。


 ところで同時代、古代ギリシャの哲学者にエピクロスという人物がいました。


 エピクロスは、


「どうすれば幸せに生きられるか」


 を考えつづけ、


「幸せとは苦痛がなく、快楽であること」


 としました。


 エピクロスは快楽を二種類にわけました。


 一つは動的快楽。

 食う・寝る・遊ぶなどです。


 ただエピクロスは、動的快楽は要求がどんどんエスカレートしていくので避けるべきだとしています。


 いいものを買いはじめたら、もっといいものを手に入れたくなる心理です。


「快楽主義者」を意味する「エピキュリアン(epicurean)」という言葉も、このエピクロスから来ていますが、じっさいのところはこの手の動的快楽を否定していました。


 もう一つは静的快楽。

 哲学の議論など、精神向上にともなう快楽です。


 エピクロスのいう快楽主義は、このような精神的な快楽を意味します。


 ちょうどおなじ時代に、東西に快楽主義の哲学者がいたのは面白いですね。

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