19.恋だとか愛だとかー3

「どうして人間は恋愛から逃げられないのだろうか?」

 私は食卓で伊月に尋ねる。


「……どういうことなのです?」

 伊月は首をかしげる。

 食いつきは悪くないし、とりあえず、この話は続けてみるか……。



「例えば、物語の鉄板ってあるじゃん。セックスしたキャラは死ぬとか、回想を始めたキャラは死ぬとか、『この戦いが終わったら結婚するんだ……』って言ってるやつは死ぬとか」


「はあ……」

 列挙される『死亡フラグ』を前にして、伊月はなんのこっちゃ、という顔をしている。


「要は物語を形作る構造上のお約束ってやつ。そういったお約束ってヤツは、いろんな作品で使いまわされていくうちに、表現に手垢が付いて、飽きられていくの」


 例として、アニメやラノベなどの萌えコンテンツにおける『ツンデレ娘』が挙げられる。

 もはや親の顔より見たであろう、ツインテ娘が「もうっ、別にあんたのためにしてやったわけじゃないんだからねっっ///」というシーンは、十余年も前は革命的な『新しい』萌えの表現だったはずなのである。


 この例は別に萌えコンテンツにもとどまらず、文学だとかもっと広い領域でも説得力を持ちうる。

 『テーマ』とかもそう。『管理社会ディストピア』なんてのは今でこそ小説を読みながら「ああ、『あれ』ね」と予想を立てれるほどにありふれたテーマに違いないが、一昔前は、それはそれは革新性とメッセージ性に優れったテーマだったろう。



「まあ、文学は新奇で革新的なテーマや表現が生まれると、それをボロボロになるまで使い倒し、そしてまた別の新しい題材や技法が生まれてくると、これまた可能な限り使い倒し……を繰り返してここまできたわけ」


 ここまで言って伊月を見る。

 伊月は──


「?????????」

 という顔をしていた。


「伊月、この話は面白くなかったかな?」

「いえいえ、どうぞ続けてくださいのです!」

 伊月は気合を入れるようにして答えた。

「でも、ずっとこんな感じでつまらないよ」

「ですが、見たことないほど楽しそうな顔をしているのです」


 伊月はにっこりとして微笑んだ。

「……そうかな?」

「ええ。話が分かんなくなったらあなたの楽しそうな顔を見ることにしますから、どうかそのまま喋ってください」



 ……では。

 

「そんな文学的テーマの中で、唯一、どんなに使用されても古びないもの。それどころか、決して使い倒されない普遍性と永遠性を備えてしまったもの。誰もが共感しうる最強のテーマ……」


 それが、「恋愛」。

 竹取物語から、現在インターネット上に転がっている無数のネット小説まで、歴史上数多の物語群は、「恋愛」というテーマを呪われたように扱ってきた。

 時さえ超える「恋愛」の普遍性により、私たちは何世紀も昔の悲恋に共感する。もしかしたら、何世紀も昔の人たちが、私たちの紡ぐ恋愛小説に感動することがあるかもしれない。


「文学は『恋愛』から逃げきれなかった。私はね、伊月、文学が逃げ切ることができなかったものに人間が逃げられるはずもないと思うんだ」


 ああ、私はヒートアップしている。


「人間は恋から逃げられなかった。今に残る古人たちのラブレターの数々。『恋バナ』なんて他愛もない話に興じる他愛もない人々。それに……」

 私は続ける。後先も考えずに。



 瞬間。軽率な発言を私は後悔した。




[疑義]

「私=愛の結晶」

 この構図を嘘だと叫ぶ。

 叫ぶに値する証拠を記憶たちが提供する。


 見せるな。知ってる。私が軽率だった。

 家庭の話を、するのはやめだ。




 私は苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。

 実際、苦かった。まさか自分自身の言葉でダメージを受けるとは。

 まったく、下宿生の生活をつづけたせいで、たった数年前の家族で生活していたころの記憶が薄れていたらしい。

 唐突に思い出してびっくりしてしまった。


「伊月?」

 私は、なぜだかわからないけど、彼女のことが気にかかった。


「…っ!はい!大丈夫なのです!」

 本当に彼女は大丈夫なのだろうか。私が記憶の苦虫を噛んでいた間、彼女も何か噛み潰していた気がしたのだが……。



「ええ、大丈夫なのです。続けてください」

「……本当にいいの?」

「はい。いい顔しているのです」


 私は、伊月の言葉に甘えて、気の済むまで話すことにした。



「ともかく、人間は病気のように恋をして、呪われたように誰かを愛さなければならない。そして誰もそのことを気持ち悪いとは思わない」


 ダメだなあ、と思う。

 カッコつけてそれっぽいことを話そうと思っていたのに、口から出てくる言葉は、複雑な家庭環境と嫌な記憶から紡ぎだされた愚痴ばっかだ。

 見てみろ、伊月が困っているじゃないか。


 伊月はこまったような笑顔で、ほっぺを引っかきながら言った。


「それって、あたしが『愛しています』って言ったら、嫌なのですか……?」


 頭をがんと、殴られたような気がした。

 さすがに私でも、伊月が何を言おうとしているのか理解することができた。


 だから。


「うん、わかんないや……」


 などと、曖昧な返事をして、自己嫌悪に沈むことになるのである……。

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