9.あそこで殺されかけているウシガエルを助けるのです!
というわけで、どんどん思い付きで『善行』をやろう。
「何から始めればいいのです?」
何気なく、一歩後ろを歩くあのひとに聞いてみた。
あのひとはちょっと考える顔をした後、「良心に従え!」という至極ありきたりで簡潔かつ抽象的な助言をくれた。
良心か……。
良心の赴くままに……。
こういう抽象的なことはなるたけ考えずに、感覚的に処理しよう。
良心の赴くままにあたしは歩き、良心の赴くままあたしは落ちていた空き缶を拾い上げ、ごみ箱まで持ち運び、捨てた。
「どうなのです!?」
あのひとに向かって振り向いた。
「かわいかったよ」
満面の笑顔。
あたしはあのひとを蹴ることにした──。
あたしたちは、30分ほどゴミ拾いを続けた。
けど、これは、なんというか……。
「地味すぎる!ボランティアスタッフかよ!」
あのひとは癇癪を起こした。
そうなのだ。あまりにも地味な単純作業を続けると、自己の存在意義を揺るがされた気分になって、最終的には癇癪を起こしてしまうのだ。
「まあ、あたしも、これだけ延々とやって『ゴミ拾いだけで罪が清められたので月に還ります』とは言いたくないのです……」
地上の単位で、月から地球までの距離は38万キロ。
そんな長い距離をわざわざゴミ拾いをするためだけに来たのかと思うと、やるせない。
あと、月に還った後の事情もある。
わざわざ地上くんだりまで行って、罪を清めるからには、娯楽に飢えた月の都の人々に、それなりの逸話を求められているのである。
そんなところにこのまま帰ったら「ゴミ拾いだけで帰還した女」の称号が一生この身に付きまとうだろう。
それだけは避けたい。
「ねえ、ゴミ拾いばっかするの地味で飽きたし、それに多くの人を救うためにも様々な『善行』に挑戦してみたいから何か別のことをしない?」
あのひとは提案した。
なんというか、本音を言った後に建前を述べる独特の文構造だったような気がした。
「賛成なのです」
私にも異存はない。
「ところで、伊月は『善行』言われてほかに何が思い浮かぶ?」
「う~ん、不殺生?」
「現代日本ではだいたいみんな守ってるなあ…」
そのとき、池のほうから切迫した男の声が聞こえてきた。
「ようし。このまま殺せ!法に触れないようにな!」
ただならぬ気配。
現代日本ではだいたいみんな不殺生を守っているとはいったい何だったのか。
「ちょっと伊月!?」
あたしは声のするほうに駆けだしていた。
「なにこれ……」
現場に到着したあたしは唖然とした。
それもそのはず。
大学にある池の岸。そこには二人の男たちが釣竿を持ち上げており、その先には……体長の半分ほどがよく筋肉のついた後脚の、巨大なカエルがぶら下がっていた。
「なにやってるんですか!?」
あたしは思わず駆け寄る。
「ああ、これか。我々は北摂津大学ジビエ研究会のものだ。これからこのウシガエルを調理しようと思っている」
筋骨隆々の男がそう答えた。
「ジビエ、ウシガエル、調理……?」
生粋の月の民の伊月には理解できない世界が広がろうとしていた。
「おい、有坂。外野はいいから早くこいつをシメてくれ」
もう一人の小柄な男が屈強そうな男に告げた。
「と、いうわけだ。すまないな、お嬢さん」
有坂と呼ばれた男は伊月にそう告げると、右手にナイフ、左手にウシガエルというカエルの脚をがっしりとつかむと、ナイフの刃をウシガエルの背に入れた。
「ぐえ。」
これはカエルの断絶魔。
血と粘膜の、ほのかな生臭さが鼻を衝いた気をした。
私はあっけにとられる。
「な、なにをしているんですか!?」
あたしが見ず知らずの蛮人に非難声明を出したのは、結局、保護対象のカエルさんが死んだのちだった。
「ああ、特定外来種保護法と言ってな、外来種は生きたまま持ち運ぶことを許されてないから、こうやって神経を切って、活きたままシメるんだ」
「?????」
トクテイガイライシュホゴホウ?シンケイ?シメル?
月の都の官女にはわからない言葉が多すぎた。
でも、ここは良心に従って言うべきことを言わなきゃ!
目の前で起こった惨劇と、ガタイのいいお兄さん二人を前にいろいろ頭がこんがらがってくるけど、そこは取ってつけた元気っ子設定で乗り切ろう!
「言っとくけど、『カエルさんがかわいそう』みたいな道徳の話はするなよ」
小柄な男に先手を取られてしまった。
彼はもう一度釣り糸を水面に垂らし、水面でちゃぷちゃぷと跳ねるルアーを見ながら、あたしのほうを一切見ないでしゃべる。
「いいか、釣りっていうのは一見遊戯に思えるが、実は針にかけた魚の生殺与奪を握ってる重大事でもあるんだ。俺たちは命を奪うことを承知で釣りをしている。それなのに、自分一人では魚釣りもしたことも無いくせに『かわいそう』だなんて文句を釣り人につけてるんじゃないよ」
小柄な男は、しゃべりすぎたことを後悔するように、痛みをこらえるかのような表情を見せた。
「それに、魚は殺してもいいけどカエルは殺しちゃダメ、なんてのはおかしいだろ」
そのあと、あたしはどうしていいかわからずに、まごまごしていた。
頭の中はぐるぐるで、わけもわからず「えっと、えっと」と言っていた。
それは、あたしにとって見たもの聞いたもの感じたこと嗅いだにおいが衝撃的な体験で、それでもって、あの男の人の言った言葉を正しいと感じてしまったからなのかもしれない。
月の都の官女は、その日の料理の食材を、自分の手で殺すことはない。
ゆえに穢れておらず、ゆえに世界は透明のまま。
ゆえに正しさは存在して、彼女の善行は世界と溶け合うことはない。
どうしよう、何もわからない。
何もできなくて、一歩も動けない。
何を話していいのかわからない。
不安で、壊れそうになる。そのときだった。
ぽふっと、頭を柔らかい手が包んだ。
見なくてもわかる。あのひとの手だ。
「すみません。うちの妹が」
「いや、こっちも感情的になってしまって申し訳ない。なにぶんこういうことをやっていると外野からのヤジがうるさくてね」
「わかりますよ」
「ありがとう」
二人が何を言っているのかわからない。
ただ、わかるのは、あのひとは、『一緒に謝ってあげる』という約束を果たしてくれている。
そうして、優しく頭を撫でてくれている。
だから、あたしは涙を我慢するのに一生懸命で、二人が何を言っているのかわからなかった。
「美人だな」
「先輩もそう思いますか」
「美人でありながらも、ときに子供だ。幼い」
「……手を出す気?」
「まさか、お前さんを『お姉さん』と呼びたくないよ」
「まあ、いい子だ。優しくしてあげなさい」
あたしの話をしているのかな?
手のひらの中で、ぼんやり考えていた。
「それでは、村田先輩。迷惑かけました」
あのひとが、あたしの手を引いて歩いてくれる。胸がいっぱいだ。
そして、どうしてか、導き手、という言葉が思い浮かんだ。
「ねえ伊月、私そろそろおなかすいたし何か食べに行かない?」
無神経な人だ。あんなものを見た後に食欲なんて湧くわけないだろう。
そう伝えると、あのひとはしまった、と言いたげな顔をした。
本当に、無神経で優しい人。そのひとの手を、ギュッとつかむ。
思ったよりも、柔らかかった。
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