閑話休題。童話と善と伊月について

 私は思う。

 『正しい善行』なんてものは、童話の中でのみ成り立つものだろう。


 童話世界は、捨象の世界である。

 例えば、『鶴の恩返し』で、男が罠にかかった鶴を助ける場面には、世界に男と鶴しか存在しない。


 男が鶴を助けている最中に、横からひょっこりと顔を出して「おや、惣兵衛さん。それは甚五郎さんの獲物ですよ」と言って邪魔してくることはないし、「コラァ与作ゥ!おらの鶴に何するだぁ!」という無粋なヤジが飛ばされることもない。



 世界が透明なのだ。

 物語を織りなす人間以外は必要なくて、書かれないから世界に存在しない。


 の善意の矢印は透明で、対象にまっすぐに、まじりものなしに届く。

 捨象された世界だから。


 不必要なもののない、純粋な世界だからこそ、正しさを持った善行が存在しうるのだろう。



 では、現実世界はどうだろう?

 現実世界は純粋ではない。

 透明ではないことくらい、3年も大学生をしたらなんとなくでもわかってくる。


 この世界で、『鶴の恩返し』と似たような善行を挙げるとしたら、反捕鯨団体の『海の警察犬』のみなさんだろう。

 あの人たちのスタート地点は間違いなく善意だ。

 間違いなくあの人たちの姿は、『鶴の恩返し』のワンシーンに重なるものがあるだろう。

 だが、彼らの行為がすべての人を幸せにしているか、と聞かれた際、その答えは皆も知っての通り「No」である。


 この世界からは、彼らとクジラと彼らを英雄視する人々以外を捨象することはできない。

 この世界がこの世界であるゆえに、彼らにとって不純物で、不必要な人間たちは存在し続ける。


 透明な善意の矢印は、法だとか、都合だとか、信条だとか、そういったものたちによって、曲げられ、汚され、透明度を失い、やがて堕ちていく。



 そんな世界の一部を知ったから、今の私は、古い物語に出てくる理想主義者たちの姿を直視できなくなって、代わりに透明なものは外に出さず、世界の歯車の一部になる……社会に迎合することを覚えた。



 そんな世界で、こんな地上で、伊月は、透明な矢印を手に入れて、誰かに飛ばそうとしている。


 とんだロマンチストだと思う。

 でも、私はそんな彼女を見守ってみたいと思う……。


 

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