4.後朝
私は、隣で裸のまま眠っている天女(?)をぼんやりと眺めている。
これから昼になるにつれて強くなっていくだろう陽光を浴びた彼女は、やがて、静かに目を覚ました。
目蓋が開く。
それだけの動作で、まるで止まっているかのような朝の時間が動き出した。
私はこんなすごい少女に惚れたんだ、と思った。
まだあどけない彼女の瞳が私を見る。
戸惑いの色。あとは……?
少なくとも嫌悪感をあらわにするようではなかった。
私はただそれだけのことで、肩から力の抜けるほど安心した。
やがて、少女は小さく口を開く。
「────」
それはとても雅な響きで……
私には何を言っているのかわからなかった。
「────」
こちらが理解していないのをわかったのか、もう一度少女は同じこと(たぶん)を言った。
さっきの余裕たっぷりの姿はどこへやら、ちょっと焦り始めた。かわいい。
ちなみにだが、彼女が必死になって言っている言葉は和歌だろう。
だからこの場合彼女が言うのではなく、詠むとするほうが日本語として正しい。
……まあそんなことがわかったところで韻律をつけられた日本語ってなんとなく頭に入らないから何言ってるかわかんないんだけど。
というわけで私は寝起き早々和歌を詠む少女を温かく見守ることにした。
あ、なんか良い声で和歌を詠まれるとなんか眠くなってくるような……。
少女がキレたのは、私がまさに眠りに落ちんとするその瞬間だった。
「
私は、自分の招いた事態とはいえ、とてつもなく狼狽えた。
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まあ雑に説明すると、肉体的な交わりをした翌日の平安時代の貴族階級の男女とかが、「昨日はアツかったぜ…」とか、「ねえ、今夜も逢えない…?」みたいなトークを和歌を介してお上品にやりとりすることである。
もっと雑に言うと上流階級のマナーかつ常識。
はい、私はそれをガン無視して相手に最悪の心象を与えました。
これもう死ぬしかないんじゃないかな……?
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というわけで、私がおろおろしつつ、「すいませんでした」とか「ほんとうにごめんなさい」みたいな最低の語彙力の謝罪を繰り返していると、それまで黙っていた少女が再び口を開いた。
「へえ、地上の人たちってもう和歌が詠めないほど文化が後退しちゃったんだ。これで高貴たる月の都の官女に手を出そうっていうんだからほんと良い性格しているのです」
なんだろう、この『某国をヨイショすると見せかけて実際はありとあらゆるアジア圏の人間を馬鹿にするテコンドー漫画』みたいなセリフは……。
そしてそんなセリフをこんな可憐な天女がのたまうのである。
人は見かけによらぬもの。
私は学習した。
それはそうと、抱いた女に罵倒されっぱなしはプライドが許さないので何か言い返しておきたい。
「へえ~、確かに和歌は詠めなくなったけど、それでもこの国は科学の力で発展しまくりなのよ」
「文化的劣位を経済力や科学力の優越でひっくり返そうとするのは文明圏としてどうかと思うのです」
「私もそう思います。完敗です」
根っからの文系の私は早々に白旗を挙げた。
「まああたしも和歌なんて詠める世代じゃないわよ、さっきのは引用」
「おい」
「お姉さま方から年々地上の民の素養が無に近づいてきていると聞いていたのではったりをかけてみたのです」
「はあ……」
なんのこっちゃ。
とまあ、出鼻から話が脱線したが、私にはこの少女と話さねばならぬことがある。
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①私が衝動的に攫って抱いた少女は、本当に天女なのか。この羽衣は果たして本物なのか?
これは私の個人的な疑問である。この身に着けている神秘的な羽衣を見てもわかる通り、少女の神秘性は疑う余地はない。
また、『月の都の官女』という本人の弁もある。
彼女がほんとに神秘の世界の住人なのか?
現代社会に天女なんて存在しうるのだろうか?
②この少女はこれからどうするのか?
出会いからして、停電の真っ暗な夜道に一人でいたことを思い返しても異常。少なくともこの少女が家出少女だという線もあり得る。
じゃあ、さっきの①と合わせて月からの家出娘といったところか。
……本当にこれは2018年の話だろうか?
でもって彼女の目的である。
この、下手したら地球一壮大な家出娘に何か目的があるのなら、私は手伝いたいと思う。
……だってこのまま一人で放り出したらファック・アンド・サヨナラみたいでいやだ。
まあともかく、『月に帰るからロケットをつくるのです!!』くらいの破天荒な要求でなければできる限り応えてやるつもりだった。
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私は少女に向き直る。どうしよう、昨日の今日だけになんとなくプレッシャーが……。
「あのね、あなた?」
「……なんですか?」
「あなたのやりたいことって何?」
月並みなセリフになった。
というか昨日攫って自分の性欲のはけ口にした相手に使ったら変な意味にも取られかねないセリフでもある。
「え~、昨日も言ったはずなのです」
しかし、少女は真面目に返答した。
「月に帰るために手伝ってください。あたしの身体の代金なのです」
……参った。私にロケットは飛ばせない。
「あたしの名前は
そう言って伊月は笑った。
清楚なたたずまいからは想像つかない、子供っぽい笑い。
一度抱いた弱みと、この笑顔を前にして、私は伊月の頼みを断れなくなっていた……。
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