空飛ぶ小鳥と鷹は旅立つ

 プラネタリウムの中は、誰も居なかった。開演まで十五分以上あるからだろうか、それとも今日は空いている日なんだろうか。どちらでも良いけど、私達はこれ幸いとばかりにベストポジションに陣取った。

 といっても、二人並んで座っただけだけど。


 薄暗い空間の中で、私達は黙ったまま一言も発しない。聞きたいことはたくさんあった。どうして、私とデートしようなんて言ったのかとか、ここに来るまで楽しんでいるかとか、私をどう思っているのかとか。でも、いざ口にしようとすると、恐怖心が勝って何も言えなくなる。

 ああ、昴さんが言ってた怖いって、こういう事なんだ。振られたらどうしようとか、頭の中で余計な想像ばかりが生まれては消える。

 でも。それでも。

 どんなに怖くたって、どんなに辛くたって。

 奏太が遠くに行っちゃう方が、ずっと怖いから。ずっとずっと寂しいから。


 ――お互いが黙ったまま三分だろうか、それとも五分だろうか。いや、体感では十五分以上経った気がする喋り出すきっかけを作れなくて、意を決して喋りかけようとしたその時だ。唐突に奏太が口を開いた。


 「――なあ、天」

 「ん?」


 僅かに首を奏太に向けると、幼馴染は天井を見上げたままでぽつりと零した。眼鏡に遮られて、その瞳を窺い知ることは出来ない。


 「昔さ、体育の授業で、天がねん挫した事があったろ?」

 「よく覚えてるね、それ」


 確かに、私は中学の時、ねん挫したことがある。

 体育の授業で、走り幅跳びをやっていた時だ。着地に失敗して、足首を痛めてしまったのだ。その時助けてくれたのが、隣にいる奏太なのだけれど。

 あの時は大変だった。友達には彼氏だなんだって揶揄われるし、同級生の男の子からも付き合ってるだの夫婦だのとにかく色々言われた。私はそれを片っ端から否定して回ったのだけど、思えば私が奏太を好きになった切っ掛けでもある。

 でも、どうして今更そんな事を言うんだろう?


 「あの時、お前を保健室まで連れてくのに背負っただろ? その時に思ったんだ。ああ、コイツはなんて軽いんだろうって」

 「……うん」

 「だから、あの時からだよ。天のこと、本気で守りたい存在だって思えたのは。天のことを、一人の女の子として見るようになったのは」


 え?

 どういう事?

 私は、奏太の言っている意味が咄嗟に分からなかった。本気で守りたいって、どういうことだろう。一人の女の子としてって、それって。


 「なあ、そら

 「は、はい」


 奏太が椅子に座ったまま、上半身だけをこちらに向ける。薄暗い館内の中でも、頬と耳が真っ赤になっているのがよく分かった。奏太の表情は真剣そのもので、いつもの眠そうなダルそうな雰囲気は影も形もない。星の光を宿した瞳に見つめられて、期待と不安に心臓がドキリと大きく波打つ。


 「俺、天が好きだ。世界で一番。宇宙で一番」

 「っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、私は何も言えなくなった。ああ、せっかく奏太が告白してくれたのに。両想いだって分かったのに。涙があふれて止まらない。返事をしなきゃいけないのに、私も好きだよって言いたいのに、しゃくり上げるばかりでとてもじゃないけど、言葉を紡ぐことなんて出来ない。

 何を勘違いしたのか、奏太が慌てた様子で捲し立てる。


 「あ、いや。嫌だったらごめん。俺、誰かに告白することなんて初めてだし、そういうのよく分からないから。それにその、天が嫌ならその、返事は――」

 「ねえ。ねえ、奏太かなた?」


 私は涙を拭いながら、奏太の台詞を遮る。ああ、本当はこっちから告白しようと思ってたのに、先を越されちゃった。いや、そうじゃなくて。そんな事を言いたいんじゃない。酷く不器用な思考に、我ながら嫌になる。それでも、私は何とか積年の想いを伝える。目の前のにぶちんな幼馴染に向けて。


 「奏太。私も好きだよ。私も、奏太のことが好き。大好きだから、嫌いなんてないから」

 「おう。え、マジ? 俺たち、両想い?」

 「うん。うんっ。うん!」


 顔を紅潮させて目を見開く奏太に、私は頷くしか出来なかった。

 そうこうしている内に、プラネタリウムが始まった。周りを見ていなかったけど、お客さんが何人か入ってる。みんな恋人か夫婦で、手を繋いで仲良く天井を見上げていた。

 ついさっきまで灰色だった天井には満面の星空が広がっていて、落ち着いた女性のアナウンスが入るたびに同時に正座が映し出される。ああ、あのさそり座の中心に輝く星は、アンタレスだ。ベガと、デネブとアルタイル。

 そう、アルタイル。目の前に映し出された蒼く輝く一等星は、どこまでもどこまでも綺麗だった。


 「――なあ、天?」

 「なに、奏太」

 「その。こんな時に聞くのもなんだけどさ、天が俺を好きになった切っ掛けって、なに?」


 奏太は恥ずかしそうにしながら口を寄せる。ひそひそ声なのは、やっぱり周りに配慮してるからだろう。まあ、席同士が結構離れているとはいえ、まだ上映中だしね。でも、そういえば言ってなかったんだっけ。私は逡巡してから、同じくひそひそ声で返す。


 「奏太が、鷲と鷹を間違えてた時から、好きだったよ」

 「ま、マジでか。つか、なんでその時なんだ?」

 「んー……。動物園に行った帰りにさ、奏太が一生懸命に動物図鑑とか見せてくれたでしょ? 動物詳しくなかったのに、私の為に頑張ってくれてるの見たら、胸が苦しくなって。そして、いつの間にか好きになってた」


 あの時、奏太は動物園で買った図鑑とかを見せて、私に色々教えてくれたんだ。あそこにいたのは、あの動物だったんだ、って。自分だって、初めて動物園に言ったのにね。全部、女の子の私が退屈しないように頑張ってくれたんだ。そんな優しい奏太だから、私は好きになったんだ。

 それを真正面から告るのは恥ずかしかったけど、勇気を振り絞って伝えてみた。そしたら、奏太は真っ赤になっちゃった。なに、その反応。万年鈍感選手権殿堂入りの癖に。私が過去、どれだけアプローチかけてもうんともすんとも言わなかった癖に。生意気。

 私は思い切って、奏太の腕に抱き着いてみた。


 「お、おい!」


 奏太がひそひそ声で注意するけど、構うもんか。

 まだ上映中だし、大声を出す訳にもいかないのを良い事に、私は存分に奏太に甘える。長年私をヤキモキさせたんだし、このぐらいはされて当然だろう。

 暗いプラネタリウムの中でこそこそといちゃつく私達を、天井に映し出されたアルタイルは優しく見守ってくれていた。

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