ゲームの国

知多山ちいた

第1話

 那須野和樹なすのかずきは東京駅にいた。階段で京浜東北線のホームに上ると、ちょうど来たばかりのばかりの電車に乗り込んだ。電車は比較的いていたが、席は全て埋まっていて座ることはできなかった。那須野はドア付近の吊り革につかまると、頭をぐるりと一回転させて首をほぐした。平日の午後2時前だったので、車内には老人や、子供を連れた母親の姿が目立つ。老人たちが会話する声や子供の鳴き声でうるさかったが、誰もそれを気にする様子はなく穏やかな空気が流れていた。

 新橋駅に到着すると、杖をついた80歳ぐらいの老婆が乗車してきた。するとドア付近の席に座っていた学生が立ち上がり、老婆に席を譲ろうとした。それとほぼ同時に、学生の隣に座っていた若い女性も老婆にどうぞと言って席を勧めた。老婆は暫し迷った末、若い女性が座っていた場所にありがとうと言って座った。電車に乗っているとたまに見られる微笑ましい光景だった。

 那須野が若い女性の方を見ていると、彼女はバッグからスマートフォンを取り出し、一方の老婆もスマートフォンを取り出して何やら操作をしている。しばらくして老婆が顔をあげると、女性はありがとうございましたとお礼を行ってスマートフォンをバッグにしまった。

 この奇妙な光景を那須野はここ最近何度となく目にしていた。なぜ率先して席を譲ろうとするのか、なぜ席を譲ったほうが感謝の言葉を口にするのか、その答えは日本政府が最近始めた「敬老ゲームプロジェクト」にある。

 敬老ゲームプロジェクトとは、老人に感謝されるような行為をするとポイントが付与され、ポイントを一定数貯めると現金もしくは記念品が手に入るという制度だ。ポイントを与えるのは対象となった老人で、互いのスマートフォンを通信させることによってやり取りされる。今回は席を譲ってもらった老婆が若い女性にポイントを与えたというわけだ。親族間でのやり取りは禁止されていて、ポイントを与えていいのは、公共交通機関で席を譲ったり、重いものを持ってあげるといった具体的な行為に限られた。

 那須野は品川で電車を降りると、友人の市川泰延いちかわやすのぶと合流した。二人は平成の香りがする駅前の居酒屋に入って、店の端にあるテーブル席に座った。生ビールで乾杯し終えると、那須野は電車の中で見た出来事を話した。

「敬老ゲームプロジェクトを目にする機会が多くなってきたよ」

「好評みたいだね」市川はジョッキを片手に甲高い声で言う。

「俺さ、なんか違和感があるんだよね、ああいうの」

「え? どうして?」

「どうしてって……普通ああいうことは善意でやるもんだろ。ポイントが手に入るからってやるもんじゃない」

「お年寄りが助かってるんだから、そこに善意があろうがなかろうがどうでもいいんじゃない? むしろ今まで以上にお年寄りを助ける行為をよく見かけるようになったから、このプロジェクトはもっと広めるべきだよ」

「そうかなあ……こういうことは自分の意思でやるものであって、誰かに強制されるものじゃないと思う」

「強制じゃないでしょ。みんなあくまでも自発的にやっているよ」

「確かに自発的ではあるが……」那須野は考えるような仕草をして言った。「だけどやっぱりおかしいと思うよ。本来善意でやるべきことにまでお金を絡ませてしまうなんて」

「善意ってなんだよ……確かにお前は善意の塊なのかもしれないが、そんなもの持ち合わせていないやつもたくさんいるわけだよ。善意なんていう曖昧なものに頼っていたら社会は崩壊するぞ」

「そんな大げさな……」

 那須野は納得できなかったが、市川を説得できるような理屈が思い浮かばなかったので、これ以上は食い下がらなかった。居酒屋のテレビには指名手配中の殺人犯の顔写真が映っている。犯人の顔写真の横に数字が並んでいるのが見えた。よくよく見てみると「居場所通報――5000ポイント」「目撃情報――1000ポイント」「その他の情報――10~100ポイント」と表示されている。

「おー、今回の犯人はポイント高いねー」市川がテレビを見ていった。

 犯罪捜査もゲームになっていた。未解決の事件が公開され、一般人が貢献度に応じてポイントをもらえるという仕組みだ。アプリでポイントが管理されており、どの事件にどの程度貢献したかが細かく記録されていて、他人に公開することもできる。犯罪捜査ポイントランキングなるものも見ることができた。

 犯罪捜査ゲームは大流行していた。ポイントが欲しいという気持ちだけではなく、犯罪に対する憤りや、名誉欲も後押ししたのだろう。人々はこぞってゲームに参加し、凶悪犯罪の検挙率は大きく上昇した。

 市川が泥酔してわけのわからないことをしゃべるようになったので、二人は居酒屋を出た。品川駅の改札口で市川と別れると、那須野は山手線で五反田まで行き、そこから池上線で自宅に帰った。


 2033年の日本はかつてない繁栄を享受していた。つい十数年前は、日本はこれから衰退するという論調が主流だったのだが、「日本ゲーム化戦略」と呼ばれる政策で一変した。

 日本ゲーム化戦略とは、国内のあらゆる活動にゲームのメカニズムを導入する政策のことだ。これが意図するところは、人々が無関心であったり避けてしまったりする行為にゲームの仕組みを導入し、「楽しいもの」に変えてしまうことによって、国内を活性化するというものだ。

 20年ほど前に「ゲーミフィケーション」なる言葉が流行したことがあり、これも日常の様々な要素をゲーム化するというものであったが、あくまでも企業レベルの実践に留まった。

 現在の首相、太田大樹おおただいきは5年前に「ゲーミフィケーション」を国レベルの活動に適用することを決断。日本ゲーム化戦略は大成功を収め、日本は一流経済大国に返り咲いた。太田大樹の支持率は90%を超え、8年目を迎える長期政権は盤石であった。


『パンパカパーン! おめでとうございます! 一等が当選しました』

 翌朝、目を覚ました那須野和樹は仰々しいタイトルのメールが届いていることに気が付いた。

 スパムメールか? とも思ったが、どうやら違うらしい。送信元は国税庁になっている。

「ああ……税金ガチャか……」

 那須野は思い出した。税金を払うと一定の確率で現金が当選するというゲームを国税庁が始めたのだった。もちろん払った税金の額によって確率は変動する。

 那須野は個人事業主であったが、そこそこの黒字は出ていたので税金は毎年払っていた。俗に「税金ガチャ」と呼ばれている国税庁のこの試みは知らないわけではなかったが、大して気にも留めていなかったので、当選を知らされてもしばらくは何の感情も湧き上がってこなかった。

 世間の人の反応は那須野とは全く違うものだった。税金ガチャが始まる前は、経費を水増しして赤字申告する個人事業主が多かったが、この政策がスタートすると皆、正直に申告するようになった。これは法人も同じで、法人に関しては個人とは違う仕組みで当選が決められていたが、黒字申告が以前よりも目立つようになった。

 政府の税収は大幅に増加。日本ゲーム化戦略の象徴的な取り組みだとして、首相太田大樹は考案者を褒め称えた。


 昼過ぎに那須野は家を出て、顧問税理士の事務所へ向かった。当選したお金の扱いはどうなるのか聞きたいと思い、約束を取り付けていた。

 顧問税理士の事務所へは電車で10分ほどだった。電車に乗っている間、那須野はスマートフォンでゲームをしていた。10年前まではあれほど隆盛を極めていた「スマホゲーム」であったが、今やっている人はほとんどいない。当たり前の話だ。日常生活がゲームになってしまったのだから、わざわざ「昔のゲーム」をする必要はない。那須野はゲーム好きだったので相変わらずスマホゲームをプレイしていたが、今の状況には寂しさを感じていた。


 那須野の顧問税理士、外山春樹とやまはるきは背が高く、髪は七三に分けて黒縁のメガネをかけていた。紺色のスーツがよく似合っており、歳は那須野と同じぐらいだった。論理的な説明を心がけ、常に適切なアドバイスを導き出す手腕には那須野も一目置いていた。

「どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないね、那須野さん」外山は姿勢を正して言った。

「そういうわけじゃないんですが、なんかこう……」那須野は外山から目を逸らして言う。「馴染めないんですよね……これだけじゃなくて、日本ゲーム化戦略そのものが」

「ふうん……例えばどんなところが?」

「例えば……昨日友人とも議論したんですけど、善意でやるべきことをゲーム化するなんておかしいと思ってるんですよ」

 那須野は居酒屋で市川と交わした議論の内容を外山に話した。

「なるほどね。あなたの友人の言うことも分かるけど、あなたの言うこともよく分かる」

「本当ですか?」

「だけど私は、どちらかと言われれば、あなたの友人を支持しますね」

「そうですか……」

「あなたの言われる善意というのは、心の奥底から湧き上がってくるもの、すなわち『自由』と言い換えてもいいのではないでしょうか」

「そうかもしれません」

「しかし『自由』に委ねた結果、無関心や悪意といったものが生まれてきたらどうなります?」

「もちろんそういう可能性はあると思います」

「ははは……それでは老人に席を譲らなかったり、老人から席を奪い取ってもいいと?」

「そうは言っていません」

「いいですか、那須野さん。日本ゲーム化戦略は何も人々に善意を強制しているわけではないのです。人々から善意、正義、やる気といったものを引き出す仕組みを設計しているに過ぎないのです。であるから当然、日本ゲーム化戦略は人々から『自由』を奪うものでもありません。悪意、無関心が禁止されているわけではなく、単にそれをするとゲームで不利になるというだけの話なんですよ」

「なるほど……よく分かりました。けれど俺は、人々が『自由に』やっているようには見えないんですよね。よくわからないけど、何かに突き動かされて動いているだけのような気がして……」

 那須野は依然として消えない違和感の正体をうまく説明することができなかった。いや、自分でもまだ掴みかねていたというのが正確なところだろう。

「ひとつ忘れてはいけないことは」外山が言う。「日本ゲーム化戦略を始める以前から日本、いや人間社会はゲームで成り立っていたということです。悪いことをすれば、その程度に応じて罰が与えられる。たくさん勉強すればいい学校に入ることができて、たくさん働けばたくさんお金が稼げる。これなんかまさしくゲームでしょう。人間社会はそれが生まれたときから既にゲームによって動かされていたんですよ」

「確かに……」

「人間とはゲームをする存在……誰か偉い人がこんなことを言っていませんでしたかね? ともかく人間にとってゲームは切り離せない存在なのです。素直に受け入れたほうがいいんじゃありませんか?」

 那須野はまだ漠然とした気分であったが、ニコニコしながら立ちはだかる外山には今の状態では敵わないと悟った。一通りの税務指導を受けると、ありがとうございましたと言って事務所を後にした。


 帰り道に寄った居酒屋では、プロ野球を中継していた。プロ野球は相変わらずの人気コンテンツだったが、その消費のされ方は10年前と様相が変わっていた。きっかけはプロ野球くじの導入だった。いくつかある対戦カードの勝敗を予想して、全て当たったら賞金がもらえるというものだったが、賞金の額が桁違いだったので今までプロ野球に興味のなかった人も参加するようになり、テレビやネットでの中継は連日盛り上がっていた。好きなチームを応援する人は相変わらずいたが、少数派となっていた。

 ゲーム化は民間でも過激になっていた。もはや街の古びた食堂でさえもポイントカードを導入し、物を買えばクジが引けるというのは当たり前になっていた。

 那須野の葛藤はまだ続いていた。日本ゲーム化戦略とは関係なしに、人間社会はゲーム化することが宿命だったのかもしれない。ゲーム化によって悪くなったものなど何もない(悪くなったらすぐにゲームデザインを変更したりパラメーターを調整したりして改善する)し、政治や経済、治安によい効果をもたらしている。それに違和感を抱く自分は、結局考え方が古いだけなのかもしれない。自分だって昔からスマホやパソコン、家庭用ゲーム機で一日何時間もゲームをプレイしてきたではないか。日本ゲーム化戦略はそれと何の違いがあるというのだろうか? ゲーマーだった自分がそもそも間違っていたとでも言うのだろうか?


 日曜日になった。その日は衆議院議員選挙の投票日だった。

 那須野は早めに投票を済ませようと、午前9時に、投票所となっていた近くの小学校へ向かった。

 投票所には長蛇の列ができていた。世論を二分するような政策論争があるわけでもないのに、この関心の高さ。もちろん日本ゲーム化戦略が関係している。

 まず、投票に行くだけでポイントがもらえる。自分が投票した議員が当選すれば、さらにポイントがもらえるという仕組みだ。「選挙ゲーム」と呼ばれるこの仕組みは人々を投票所へ向かわせた。誰が当選するのかを考え、大切な一票を投じる人々の顔は真剣そのものだった。投票率は80%を超え、首相を始めとする政府関係者やマスコミは日本にもようやく真の民主主義が到来したのだと喜んだ。選挙にかかる費用は激増したが、税収の増加がそれをカバーしていた。

 那須野はまたも複雑な気持ちになっていた。こんなのが真の民主主義だって? ふざけるな。こんなものは民主主義どころかポピュリズムですらない。那須野はやけくそになって無所属の泡沫候補に投票した。


 数カ月後、那須野は再び外山の事務所を訪れていた。

「先生、俺は日本を出ることにしました」開口一番、那須野は決意を秘めた表情で言った。

「ほほう……それは大きな決断をしましたね」

「日本ゲーム化戦略に馴染めませんでした」

「やはり理由はそのことでしたか」

「先生の言ったことは全て正しいと認めますよ。必死で粗探しをしたんですが、見つかりませんでした。先生は何も間違っていません」

「ふむ……そういう結論に達していながら何故?」

「単に個人的な問題です。確かにゲームによって管理された社会はうまく回るのかもしれません。だけど俺個人はゲームに動かされたくない。ゲームによって動かされている自分は何か大切なものを見失っているような気がするんです」

「感受性が高いお方だ……私にはよく分からない」外山は苦笑した。「他人がデザインしたゲームの上でなんか動きたくないということですかね?」

「いいえ、それとはちょっと違います。たとえ自分でデザインしたゲームの上で動いていたとしても、俺の違和感は消えていないと思います」

「ほう」

「何というかこう……心に遊びがほしいんですよ」

「ゲームというのは遊びだと思いますが?」

「それは錯覚ですよ。ゲームに本当の意味での遊びなんてありません。そう、俺は遊びたいんです。遊ぶためにこの国を出ます!」

「ははは……頭の悪い私にはあなたの言っていることがさっぱり理解できません」外山は軽蔑しているような眼差しを向けている。「まあいいでしょう。あなたの下した決断に私がとやかく言う権利はありません。これからも応援していますよ」

「すみません、ちゃんと説明できなくて……今までお世話になりました」

 那須野は外山に一礼して事務所を出た。別れ際の外山の顔は、なにか哀れんでいるような表情にも見えた。


 出発の朝を迎えた。

 那須野からわだかまりは消えていた。今日から新しい生活が始まる。新しい国では今までのように便利な生活を享受することはできないかもしれないし、人間の愚かさを身をもって感じることもあるかもしれないが、そこには求めていたものがある。どんな犠牲を払っても、もう自分の心だけは渡さないと決意した。

 100メートルほど歩いたところで、後ろからパトカーが近づいてくるのに気が付いた。なんだろうと思いながらも歩き続けていると、パトカーが停車し、中から二人の警察官が出てきて那須野の方へ寄ってきた。

「那須野さんですね」不意に警察官の一人が声をかけてきた。

「はい……そうですが」

「あなたを逮捕します」

「は?」

 何がなんだか分からなかった。逮捕されるようなことどころか、警察にお世話になるようなことは生まれてから一度もやらかした経験がない。

「いったい何なんですか?」思いもよらぬ出来事に動揺した那須野は悲鳴にも似た声で応えた。

「実はですね……あなたが日本ゲーム化戦略に異を唱えているという通報があったんですよ」

「は? まあ、それは事実ですけど、だから何なんですか?」

「あれ? ご存じないんですか? 日本ゲーム化戦略に反対することは違法になったんですよ。最高で懲役3年です」

「そんな馬鹿な……」

「我々に言われても……。まあ、国会議員が全員、日本ゲーム化戦略推進派――というよりゲーム化原理主義者ですからね。こうなってしまうのも仕方ないと思いますよ」警察官は那須野の腕に手錠をかけた。「犯罪捜査ゲームのおかげで最近はこういう通報ばっかりでね。我々も大忙しですよ」

 警察官はガハハと笑ってこの場に似つかわしくない和やかな雰囲気を創り出そうとしていた。

 那須野は何も言葉を発することができなかった。

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ゲームの国 知多山ちいた @cheetah17

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