ここだけの平穏

 町の軍専用施設は小振りで、特に堅牢というわけではない。石造りの民家に毛が生えた程度の建物を、警備兵を配置することで守り固めている。



「――どれほど説得されようと、ここを離れる気は無い」



 親衛隊ヴァリヤーグの少年はソファに腰を落とし厳しい目で、ここ数日で何度繰り返したかわからない言葉をまた口にした。


 他方、ローテーブルを挟んで相対する魔女協会ストラガルの紳士は、どこか信頼の置けない軽薄な笑みで応じる。それは少年の主張を意に介していないようにさえ見えた。



「何度でも言わせてもらうが、港町から最も近いこの町が次の戦略的拠点として攻め込まれているんだ。港町の奪還さえ叶えばこの町も守ることができるというのは、間違っていないだろう」



 あくまで軽い調子で、自己の正当性を主張する。


 親衛隊ヴァリヤーグの少年は慣れているのか、紳士の態度には一つの文句も言わない。しかし説得の言葉には眉根を寄せて、怪訝な表情で反論した。



「ボクがいない間に急襲されたらどうする気だ。そのリスクのほうが大きい。軍は勝手に奪還作戦を遂行し、ボクは万が一のためにここの守護を担当する。それでいいだろう。そのために次々と蛮族と契約を交わして親衛隊ヴァリヤーグを強大にしているんじゃないのか」


親衛隊ヴァリヤーグは、これまで魔女の力で押さえつけていた蛮族を野放しにしないため――。つまり内政的要因のほうが強いんだ」


「軍の威光を与えて悪化しているという話も聞く」


「魔女の消滅なんて急な話だったからね。無理はあるさ。どこかで軋轢は出てしまうが、急場を治めるための犠牲は付きものだとも言える」


「そうして犠牲になった人間やその家族はたまったものじゃないな。いずれ不穏分子と成り得る」


「しかし管理しないよりはいい。戦時には力が必要だ。――しかし力にも種類がある。魔力を失った神国が武力で強引に取り返せば、神国であるからこそ他国の侵攻を受けずに保たれた百年の平和を更に脅かしかねない」



 魔法は他国からすれば解明のしようが無い謎の力。故に神国と呼ばれ、武力を持たずとも侵略されない平和を築いた。


 少年の主張はその根幹を覆してしまうものだ。だからこそ軍部も少年の協力無しには奪還作戦を踏み切れない。


 魔女協会ストラガルの紳士はわざとらしく額に手を当てて嘆く。



「ああ……。普通の親衛隊ヴァリヤーグなら契約に従わせることができるけれど、君の場合はそういうわけにもいかない。困ったものだ。本当に困った」



 国家親衛隊ヴァリヤーグは、文字通り国家に忠誠を誓った者で結団される。


 そこには魔法契約が用いられるわけだが、その契約を執り行う魔女が消滅。魔法による契約でなければ単なる紙切れで職業と金銭の授受を契ったに過ぎず、蛮族の蛮族らしい行動を封じる手立てとはならない。


 むしろ蛮族に国家権力を与えて更なる混沌を生むことさえ、容易に考えられた。


 但しこの町がある東部地域に関しては、魔術使いとなった少年が魔法契約を執り行った例も多く、蛮族の不穏な行為というものは特に表立っては聞かない。


 つまり少年が全ての契約に立ち会って魔法を行使すれば問題はないのだが、神国は島国と言えど国と名乗るに相応しい広さがある。島の中央にある首都テルゲン。更に西部・北部・南部といった各地での魔法契約に少年が赴くことはなかった。


 それでも東部地域に平穏をもたらしたのは彼の力があってこそだ。東部地域での国家と蛮族の契約を執り行う代償として、少年は国家と紙切れ一枚の契りだけで親衛隊ヴァリヤーグの権力を手に入れた。唯一の魔術使いがわざわざ国家と魔術で契約を結んで、自分の首を絞める必要は無い。


 故に彼は、神国への忠誠を誓わず、全ての行動を意思に基づいて決めている。


 だがその意思を決定する動機が、軍部にも、魔女協会ストラガルの紳士にも、わからずにいる。



 ――何故それほどまでに、この町へ固執するのか。



 無言の間が置かれると、その空気に耐えられなくなったのか、ここ数日の説得の間ずっと耐え続けていたのか、常に紳士の後ろで少年の行動を見張っている侍従のようだった兵が若々しい声で「失礼ながら」と前置きし、訴えかけた。



「彼が魔法を使えるということであれば、説得は必要だと思います。しかしどんな事情であれ、│親衛隊ヴァリヤーグならば国家への忠誠を誓うものです。誓えないというならば、人手をかけて強引に――」



 しかし訴えの中途、紳士は言葉を遮る。



「ならば君は、百の武力を無傷で殲滅できる相手に、正面から立ち向かう覚悟があるのだろうね?」


「百……」


「彼の魔法は未熟だが、それでも強大な力であることは揺るぎない。君の口にした言葉は、神国の所以ゆえんに挑もうということなのだよ」



 第一、それでは国家の中で戦力を削り合ってしまうし、魔女の・・・行動を・・・強引に・・・封じよう・・・・とした・・・結果・・が今の有様だ。


 侍従のような兵は半歩下がって「出過ぎた真似をしました」と深く長く頭を下げた。


 とは言え紳士にとっても、少年の協力を得る方法が見つかっていないことに変化はない。兵に放った言葉は現状の確認でしかなかった。



「…………仕方がない。これ以上の説得を試みたところで、事は難しそうだ」



 そう言って紳士は愛用のシルクハットを頭に乗せ、この場を終った。

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