死霊

 親衛隊ヴァリヤーグの少年は案内された部屋に入ると、まずカーテンを最低限の採光が確保できるところまで閉める。


 次いでよく磨かれた木板張りの床にドカッと腰を下ろして、馬車グローラーで運んできたほとんど鉄塊のロングソードと携行し続けた斧、革製鞄を床に敷く。



「おいおい。いきなり武器の整備かい? 少しは休みたまえ」



 何も言わずに鞄から研ぎ石と油を取り出して、丹念に斧の手入れをし始めた少年を見た紳士は、空笑いしながら言った。



「他にやることがない」



 短く返された言葉に、紳士は表情を緩める。


 彼が戦ったのは昨日の夕刻だと聞いた。斧もロングソードも血塗れのままということはなく、すでに磨く必要もないほどにしっかり磨かれている。準備を怠らない彼ならば当然、昨日の晩にはとっくに武器の手入れを済ませているはずだ。


 つまり今、目の前で繰り広げられているこれは、彼なりの暇潰しなのだろう。



「楽しいかい?」


「楽しく見えるのか」



 少年はぶっきらぼうな調子で返した。



「いいや。――しかしやることがないならば、協力して欲しいことがある。暇なんだろう?」



 紳士は笑顔で言う。だが少年は表情を変えない。



「あなたは一応、ボクの上官に当たる。そんな言い方をせずに、ただ命令すればいいんだ」



 淡々と言われて苦笑いを浮かべ、しかし上官の紳士は命令という言葉を使わなかった。



「捕虜の中に一人、妙な少女が混じっているね」


「……気付いていたのか。流石だな、魔女教会ストラガルは。ボクが男だと気付きもしなかったくせに、こういう時だけは鼻が利く。――それを見越して駆けつけたのか」



 立ち上げって、少年は紳士に近寄る。


 目前まで迫ると下から睨みを利かせて、高圧的な態度で言った。



「こうなると、ボクに魔術を授けたことから全てが計略だったのではないか――と勘繰ってしまうよ」



 だが魔女教会ストラガルの紳士は動じずに応じる。



くだんの少女だが、衛生検査を通過できずに再検査となった。生きている人間として考えるには、あまりにも体温が低く、生体活動の度合いも極めて悪いそうだ」



 生きている人間として考えるには――。ということは、



「死にかけている、もしくは既に死んでいる可能性もあるということか」



 仮に死人が生きているように動いているとすれば。


 不穏を感知した少年は顔を顰め、重く言葉を紡ぐ。



「彼女が死人ならば、死霊魔術師ネクロマンサーが何処かにいるということになる。最悪だ」



 死霊魔術師ネクロマンサーは死霊魔術に長けた魔女を指した呼称だ。


 魔女のほとんどは管轄する範囲に居住する民の生活に役立つことで、日々の糧を手に入れる。そこに死霊魔術は必要なく、更に死者を蘇らせることは禁忌であると同時に不可能な行為。


 死霊魔術を死者蘇生と謳えば最悪の詐欺も働けてしまう。そのため激しく忌み嫌われる存在でもある。だからこそ死霊魔術を巧みに扱える魔女というのは至極珍しい。



「神国の魔女ならば禁忌を知っているし、師匠から死霊魔術の怖さも思い知らされる」


「相変わらず知見が深いね」


「だが本物の……それを専門とするほど確かな死霊魔術師ネクロマンサーは見たことがない。姉さんも師匠も、禁忌に近付くようなことはしなかったからな」


「最も禁忌に近付いた魔女――――。今ではそう呼ばれるお姉さんが、禁忌に近付きもしなかったと?」


「近付いたのはボクだ。姉さんじゃない」



 睨んで抗弁した少年に、紳士は「気に障ったなら謝るよ。ここで啀み合っても仕方ないだろう」と温和に語りかける。


 少年は啀み合いの原因となった発現が紳士にあることへの不満を隠さないが、紳士は意にも介せず二の句を継いだ。



「――確認する必要がある。相手が魔女なら、対抗手段は君しかないんだ」


「まるで物の扱いだな」


「まさか。この部屋を見ればわかるとおり、今の君は賓客だ」



 港町の捕虜であった幼い少女が死霊ならば、捕虜と見せかけて救出させ町中へ入ったところを襲わせる――という目的。つまりが敵国アユーダの中に魔女がいると考えるのが妥当。


 白毛の巨犬バクスターは少女を疑わなかったし、レルヴァの民にしか効かないとされている精霊術も効果を見せた。だが少女が『操られたレルヴァの民』だとすれば全てに説明が付く。


 懸念が真実なら神国の根幹を揺るがす問題となるだろう。魔女伝説はどこの国にもあるが本当に魔女が生きている国は神国だけだった。その事実は秘匿とされ、故に異国との交流も少なく制限されていたわけだが、港町が陥落してしまった今となっては『魔女が存在していた』という過去話そのものは伝わっていると考えるほうが自然。


 問題はその話を本気で信じるか、だ。


 蒸気機関車が走り科学が確実に進歩していく中で、魔女伝説は次第に本物の伝説からただ伝説と名の付いたお伽噺とぎばなしへと変貌した。真に受けるのは子供くらいで、魔女伝説なんて異国では誰も信じない。鼻で笑われて終わりだ。


 だが、そこに本物の魔女がいた場合は、別だろう。



「生き残りの魔女――か。可能性は低いけど、見逃すには事が大きすぎる」


「ああ。できれば魔女教会ストラガルの僕が。少なくとも魔術使いの君が、責任・・を持って確認するべきだ」



 誰かが死霊を操っているとするならば、遠隔で魔法を行使していることになる。魔法と距離は切っても切れない関係にあり、遠隔となれば効力が落ちる。港町からの距離を鑑みれば、生体活動が低下しているというのも距離に起因している可能性が高い。


 死霊の傍で魔法効果を打ち消す――、いや、死者をもう一度殺してしまえば彼女は復活できないだろう。死霊魔術は魂のない肉体を操作する魔法であって、散らばった肉片をまとめて人型へ戻す魔法ではない。


 だがそれだけでは誰か・・を特定することはできない。情報を引き出すか、魔法の痕跡を辿るか――。



「少なくともボク。できればあなたが――――ということなら。あなたが見れば死霊魔術師ネクロマンサーまで辿ることもできるのか? 魔術使いであるボクよりもより高精度に」



 魔女教会ストラガルは人間に魔術を与えることができる。


 相手が誰でも構わない、というわけではないそうだから、何かしら判別の方法があるのだろう。しかし未だ以て厳密な条件や方法を少年は知らない。


 だが紳士の物言いから察するに、魔女教会ストラガルが直隠す力を用いることで魔法の行使者を逆向きに辿ることも可能なのだろう。


 紳士は「場合によっては、ね」と条件付きでそれを認めた。



 少女は隔離中で、簡単には会えない。


 魔女教会ストラガルの紳士も親衛隊ヴァリヤーグの少年も、この隔離施設の中にいる他の誰より上官に当たるのだが、余程の緊急時でない限りは命令が法を超越することは無い。



「ベストは、検査を潜り抜けるなり脱出するなりして、あなたと彼女を引き合わせる――。そういうことだな?」


「ああ。それが叶えばベストだ」



 ならばあらゆる手を講じて少女と接近し、後付けで行為の正当性を主張すればいい。


 敵国に、この国にしか存在しないはずの魔女がいる可能性があった――となれば、多少の越権行為や超法規的な働きは見逃されるだろう。



「だがボクは、危険だと判った瞬間に殺すぞ」


「もちろん承知の上だよ。危険因子を町の中に置く必要はない。但し、仮に魔女教会ストラガルの把握していない魔女が存在するならば、神国の存亡に拘わる事態であると共にまたとないチャンスだ。――その意味を知っている君だからこそ、協力してくれると信じている」



 魔女は絶滅したはずだ。


 ――なりそこなった者を除いて。


 なりそこないが一人だけとは限らない。



 紳士の手には捕虜から回収したと思わしき服がある。


親衛隊ヴァリヤーグの少年はまず靴の紐を解いて裸足になると、上下の着衣を脱いで紳士の持つ服――検査前の捕虜に与えられるものと同じ――を受け取る。そして伸びた後ろ髪を紐で結った。

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