第2話 撮る
午前7時。
大きなリュックを背負って玄関で靴を履いていると、いつもならまだ寝てる時間なのに母が心配そうにこちらを見ている。
「なに」
靴を履きながら横目で母を一瞥すると、母が珍しく目を泳がせている。
「いや、あの、違ったら申し訳ないんだけど−頭どっかおかしくなってる?」
申し訳ないと本当に思っているのだろうか。
聞き方が直球すぎるだろ。
「どうだろうね」
靴を履き終えて母の方へ体を向けた。
「高校生になって遠足とか…あの、病院行く?」
いつもは強気でなんでも適当な母がこうも心配していると逆に面白い。
まぁ、確かに友達も居ない高校生が急に遠足だなんて言ったら頭の心配の1つもしたくなるだろうけど。
このまま何も言わず出て行っても良かったが、しばらく帰らないので警察でも呼ばれたら大変だと一応説明してから出て行くことにした。
「おじいちゃんから電話があって。夏休みの間おじいちゃんの家に来ないかって誘われてさ。行くことにしたんだ。」
「あぁ、なんだ、あのジジイ…私には一言も無しか」
安堵の表情と共に口から悪態が出てくる。
どうやらいつもの母に戻ったようだ。
今にも電話しそうな勢いだったので、
「おじいちゃん、絶対来ないでくれって言ってたから電話も出てくれないかもよ」
助言だけして、
「お前の声なんかこっちだって聞きたくもないわ!!」
受話器を電話に叩きつける母を横目に玄関を出た。
天気は快晴だった。
祖父の家の最寄駅についたのは5時間後だった。
ちょうど太陽が真上から照らしつけてくる。
暑い、と漏らして、祖父の家に着いたら何か飲み物を恵んでもらおうと決めた。
片道3時間半の道のりと聞いていたが、まぁ、色々あった。
新幹線に乗るためにターミナル駅に向かう電車が通勤ラッシュ真っ最中で、ぎゅうぎゅう詰めにされ降りたい駅で降りれなかったりとか、新幹線の切符の買い方が分からなくて彷徨い続けたりだとか、駅弁買うのに並んでたらホームへの行き方が分からなくて全力疾走したりとか…
遠足も甘くない。
果てには祖父の家の最寄駅に行くための電車が1時間に1本しか走ってなかった。
小学生の頃に祖父の家に来た時は確か車で来ていたから、不便に感じたことがなかったんだろう。
駅には乗客どころか駅員もいない、いわゆる無人駅で寂れた雰囲気が漂っていた。
駅を出ると周りには田んぼしかない。
祖父からは住所しか聞いていないので、駅の目の前にぽつんと立っていた案内図を見る。
だが意外に広い町らしく、住所がなかなか見つからない。
「うーん、あ、スマホで調べればいいんじゃん」
大変便利な世の中で、最近はGPSを使った地図アプリで住所を検索すればそこまでの道順を教えてくれる。
こんな簡単なことに気がつかないなんて、と思いながらポケットを探る。
あれ、無い。
リュックを背中から下ろして探る。
あれ、無い。
首を傾げながら、最後にスマホを見た記憶を探る。
…あぁ、普段使わないから気にも止めてなかっただけで、ずっと前に捨てたんだった。
ある一件が発覚した日に、ぽいっと。
あの時は母に凄い怒られたっけ。欲しいって言ったから買ったのに、捨てるとは何事だと。さすがにその日は反省してその足で携帯会社に解約に行ったな。
外に出ない上に誰からも連絡があるわけではないので無くなった事をすっかり忘れてた。
「さて、どうしようか…」
祖父の電話番号さえ分かれば近くのお家で電話を借りて祖父に迎えに来てもらうこともできただろう。
だが過去の俺は本当に住所しか聞いていない。
万策尽きたな。
もう一度、案内図に目を向ける。
町内全体が書かれた案内図は、3分の2くらいが緑で塗られていて、田んぼだらけの町だと教えてくれる。残りは、海を指す青で染められていた。
そうだ、海だ。
確か祖父の家は海までそんなに遠くなかったはず。
昔来た時には徒歩でよく海に遊びに行ってたから。
そうと分かれば、と置いていたリュックを背負い直す。
海までは、そう遠くない。
歩くこと30分。
田んぼが少なくなって来たなと思っていたら、家がぱらぱら出始めて、また家も少なくなって、急に視界が開けた先に、海が見えた。
太陽に照らされて、海がきらきらしている。
海風が夏の太陽に照りつけられていた身体を少しだけ冷やしてくれる。
開放感。
遠いところに来たんだなあという実感を持って、海の近くまで行こうと歩みを進める。
本当は海よりも祖父の家を探さなくてはいけないのだけど。
まだ夕暮れまでは時間がある。
少し寄り道しても構わないだろう。
海に近づいて行くと、防波堤が目の前に広がっていて、砂浜と道路を分割していた。
砂浜に降りたい気持ちはあったが、靴を脱いだり履いたりが面倒なので防波堤の上に立って海を眺める。
あぁそうか、こういう時にカメラを使うんだな。
リュックを下ろして、中に入っていた未開封のインスタントカメラを手にする。
封を開け、パッケージに書いてある使い方を見る。
巻いて、シャッターを押す、うん、簡単だな。
ダイヤルを回すとジージーと巻く音がして、シャッターの横のカウンターが動きだす。
27のところで止まって、俺はダイヤルの横についているファインダーを覗き込んだ。
ファインダー越しに海が見えて、波が押したり引いたりしていた。
適当なところでシャッターを押し込むと、パシャッと軽い音がした。
これで撮れているのかは分からないが、シャッターの横に付いていたカウンターが1つ減ったからきっと撮れているんだろう。
カメラから目を離したところで、
「写真っていいよねえ」
耳元で声がした。
突然のことだったので体が反射的に跳ねた。
声のした方を向くと、俺より少しだけ年下に見える女の子が立っていた。
「…びっくりした」
まだ心臓がばくばくいっていて、やっとのことで絞り出したのがその一言だった。
「あ、ごめんごめん、怪しいものじゃないんだよ。私も写真撮ったりするから、親近感湧いて声掛けちゃった」
「あぁ。俺、写真撮ったの、今が初めてだけど」
少し落ち着いたところで改めて女の子をみる。
向日葵がいくつも書かれた膝丈のワンピースに、かかとの高くないサンダル。
髪は後ろで高く1つに縛られている。
胸元にはカメラが提げられていた。
「ところで君、ここら辺のひと?宿があったら、教えて欲しいんだけど」
その言葉と同時に、彼女の後ろにある大きなオレンジ色のキャリーケースを見つけた。
旅行?俺より若い子が1人で?
未成年の女の子を1人で旅行に行かせるなんて、親の顔が見てみたいな。
…俺も未成年だけど。
「悪いけど、俺の地元じゃないんだ。おじいちゃんの家を探して迷子になってるとこ」
現実を思い出して自傷気味に返す。
「なんだ、迷子かー。あ、なら私も一緒にあなたのおじいちゃんの家を探して、そのおじいちゃんに宿の場所を聞くってどう?私天才じゃない?」
目を輝かせながら人差し指を立てる。
「俺に付き合うより近所の人に宿の場所聞いた方が絶対に早いと思うぞ」
「そんなこと言わないで!ほら、なんだっけ、うぃんうぃんってやつだよ!」
うぃんうぃん…?
「もしかしてお前それ、win-winっていいたい?」
「そう、うぃんうぃん!」
彼女がいうと機械の擬音みたいに聞こえる。
それがちょっと面白くて、ふっと笑みが溢れた。
「まぁいいや、じゃあ一緒に探して。住所はわかるんだけど、案内図でも全然見つからないんだよね。海の近くだってことは覚えてるんだけど」
「任せてよ。とりあえず歩こう!」
先行きが不安になってきたが、彼女は自分のキャリーケース片手に、住所の書かれたメモをもう片方の手に、歩き出した。
俺はそれに続くようにして、数歩後ろを歩く。
「旅行なのに、宿調べてないって今日どうするつもりだったの」
ずっと無言というのも気まずいので、年上としての風格を出すべく話を振ってみる。
彼女は後ろをチラッと見て、でも楽しそうに歩く足は止めない。
「ほら、その場で決めるのも面白そうかなって」
「そもそも、この町に宿があるかなんて分からなくない?」
またこちらをチラッとみて、前を向き直す。
「なかったら、あるところまで行くだけだよ」
「なあ、もしかして、お前…家出してきたとかじゃないよな?」
未成年の女の子が、宿もあるかわからない町で、1人でキャリーケースを引いている。
家出だったら、警察に届けたほうがいいのだろうか。
俺も未成年だから、何かの事件として扱われたらどうしよう。
俺はただのしがない引きこもりです…って家から遠い場所で言っても信用ないよな。
そうだ、祖父に行ってもらえば問題ないな。
夜になる前になんとしてでも祖父の家を見つけなければ。
突然、足に何かがぶつかる。考え事をしながら歩くというのはよくないな。
こけそうになった体制を頑張って元に戻して、足元を見るとそれは彼女が引いていたキャリーケースだとわかる。
いつのまにか彼女はこちらを向いて止まっていた。
沈黙が流れる。
彼女があまりにもまっすぐこちらを見つめているので、俺も彼女の目を見たまま動けなくなってしまった。
数秒後、彼女の口がわずかに動く。
「家出じゃないよ。遠足、だよ」
彼女は悲しそうに笑っていた。
夜明けの夢 @rainy000
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