第4話 名前を褒めれば

「そういえば、サラ。お前、どうやって広告なんて作ったんだ?地球以外にインターネットの技術を持った世界ってあるのか?」

他人ひとに頼んだのよ。私がモデルやってあげるから、私の言う通り宣伝を作ってって」


 なるほど。物好きな奴もいたもんだな。


 俺とサラは店内の準備に取り掛かかっていた。

 もう日課になりつつある、この作業にも音を上げることなく取り組む俺たちを見て、今日から正式にアルバイトとして雇ってくれるとファニエスさんは言っていた。



 『二人ともよく働いてくれるからねぇ。サラちゃんも昨日くらいからミスをしなくなったしね。よかったよ。最近じゃ、サラちゃん目当てで来るお客さんもいるくらいだし』



 …とのことだった。

 なんか、そのサラ目当ての客ってのは、『サラが今日はどんなミスをやらかすのか』を見に来ているような気がしなくもないが…。まあ、それでも客として来てくれるだけまだマシだろう。


 客といえば、もう一人…。


「おい、あんた。今日も来たのか」


 俺は、暖簾を掛けに店の外に出ると、そこには俺を振ったあの女性がいた。


「毎日、三食分食べに来てあげてるんだから、いいじゃない。今日こそは承諾してもらうわよ」

「しねぇよ。だいたい、名前も知らない奴の頼みをどうして聞かなきゃいけないんだ?」


 そうなのだ。

 こいつ、人に頼み事をしておきながら、自分の身分はおろか、名前すら明かそうとしないのだ。脳活性薬を飲んでいる状態ではあったが、あのサラだって自己紹介から入ったのに。


「だから、依頼をあなたが受諾してくれたら、明かすって言ってるじゃない」

「だからぁ、それがおかしいって言ってんだろうが!!」

「どこがおかしいのよ!この世界じゃそれが常識よ!」


 この世界では、名前を明かさないのが常識なのだろうか。

 そんな常識あってたまるか。

 

 あっ、でも、ファニエスさんも俺たちが身分を明かすまでは名乗らなかった気がする…。


「というか、そもそも日本人がそう言ってきたんじゃない」

「へ?」


 なんだそれ。


「先に名前を名乗ると、そいつの精神を乗っ取って洗脳することができるって」


 あぁ、なるほど、そういうことね。

 つまり、アレか。

 この世界に送られてきた中二病患者がそんな迷惑極まりないホラを吹きやがって、それを信じ込んだこの世界――というかこの街の住人たちがそれを常識にまで仕立て上げたわけか。

 

 この世界では、そういった根も葉もない嘘話で、日本人や日本の文化に対するイメージが固められていたりする。『平城京』や『中華街』もその一つだろう。


「そんなわけないだろ。というか、日本人はそこまで特殊な人類ではない。黒髪黒目の人間が多いだけだ」

「嘘を言ったって無駄よ。そうやって、私を日本に持ち帰ろうって腹でしょ」


 こりゃ、ダメだ。

 もう社会通念化してしまっている。こうなってはなかなか言うことを聞いてはくれないだろう。


「そこまで飢えてねぇよ」

「飢えていないわけないでしょ。女がいない世界から女をさらうために来てるんだから」

「おい、ちょっと待て。それ、どこで聞いたんだ?もしかして、そんな嘘も常識になってしまっているのか?」


 俺は一向に名乗ろうとしないこの烈女に掴みかかった。


「い、いや、常識ではないかもだけど、この間、又聞きしたときに、誰かがそう言ってたのよ」

「それは嘘だ。そもそもそんなことになってたら、日本には子供がいなくなるだろ。いいか、この世界に来てるのは日本人の中でもほんの一部だ。そんな出どころもわからない噂を信じるなよ」

「わ、わかったわよ。いい加減放しなさいよ!レディに掴みかかるもんじゃないわよ」

「あ、あぁわりぃ。でも、自分で自分のことをレディって言うな。痛い奴って思われるぞ?」

「うるさいわね。あんたに思われたって別にいいわよ」

「へいへい、そうですか。あと、あんたじゃねぇ。俺は鈴木拓斗だ。ほら、俺が名乗ったんなら、あんたも名乗れるだろ?」


 俺の言葉を聞いて、目の前の痛いレディはきょとんとした表情を見せる。

 俺が名乗るとは思わなかった、そんな表情を。


「それ…、本名?」

「どこまで疑うんだよ、俺のこと。本名だよ、本名。偽名だったら、もう少しマシな名を名乗るっての」

「まあ、嘘は言ってなさそうだけど……」

「なんだ?それでも、名前は言わないってか?どこまでも礼儀知らずな奴だな」

「うるさい!それくらい警戒してるってことよ!」

「だから、名前くらいで洗脳なんてできるわけねぇって言ってるだろうが!!」


 俺がキレるとは思わなかったのか、今度は目を細めてビクついている表情を見せる。

 表情が豊かなのか、表情筋が柔らかいのかは知らんが、それ疲れないか?


「わ、わかったわよ。言えばいいんでしょ、言えば!」

「そうだよ」

「……パ、パフェ・ダブルス…」

「ふーん、パフェが二つね…」

「だから、嫌だって言ったのよ!!」

「…って、やめろ!!痛い痛い!!」


 俺は殴られた。率直な感想を言っただけなのに。

 どうやら名乗ること自体が嫌なようだ。

 なんだよ、俺が日本人じゃなくても名乗らない気だったのか。


「いいじゃねぇか、パフェって。男ならそんな名前を付けられた時点で名付け親とは絶交案件だが、あんたは女性なんだから気にする必要ないだろ。結構かわくて良い名前だと思うぞ。似合ってるし…」

「…え、そ、そ、そんなこと、言って…」


 お、なんだ?

 俺を殴っていた手の動きが止まったと思ったら、今度は顔が赤くなり始めたぞ。


「そ、そんな…。お世辞でしょ…、どうせ…。はっきり言っていいわよ。私の名前がダサいって…」

「…は?どこのどいつだよ、そんなこと言ったの。逆に、オシャレで可愛いものは何だって聞かれたら、パフェって答えるぞ、俺は。あんたに似合った可愛いらしい名前じゃん」

「わ、私を…、そ、そんなセリフで…、………ぉ、お、おおもわないことね!!」

「…って、おい!どこ行くんだよ!飯食ってかねぇのか?!」


 最後の方、何て言ってたのか聞き取れなかったが、彼女はどうやら名前を褒められて恥ずかしくなったようだった。

 なんだよ、可愛い面もあるじゃねぇか。


「タクトぉ、いつまで外にいるの~。早く中で手伝ってもらわないと困るんですけどぉ~」


 パフェとの言い合いで油を売っていた俺に、店の中から声が聞こえた。


「はいよ。今行く」


 俺は暖簾を店頭に掛けてから、パシパシと頬を叩いて気合を入れなおす。

 すると、サラからつれない言葉が返ってきた。


「今日もがんばるぞ!」

「はいはい、いいから手伝って」


 こいつはもう少し、可愛げを見せて欲しいもんだ。




   *




「今日は飯食って行くのか?」

「ち、違うわよ!…って、違くないんだけど…」

「どっちだよ…」


 翌朝、俺が暖簾を上げに外へ出ると、その脇にはまたパフェがいた。

 こいつ、暇人だなぁ…。


「ご飯は食べていくつもりだけど、その…、昨日取り乱しちゃったから…」


 あぁ、なるほど、そういうことね。


「そんなことか。気にするなって。サラなんて毎日取り乱してるぞ」


 たぶん、それがあいつの素なんだろうけど…。


「スズキタクト、あまりそういうことは言わない方がいいと思うわよ…」

「そうか?あぁ、でも確かにそうかもな。他人を引き合いに出すのは良くないか…」

「いや、それもそうなのだけど…」

「え?」


 何が言いたいのだろう。はっきりしない奴だなぁ。

 俺に頼み込むときはもっと堂々としていたくせに。

 

 アレか。俺に名前を褒められて嬉しくなってしまって、今まで通りふるまえなくなったのか?

 どれだけ褒められ慣れていないんだよ。


「だから、他の女性と仲が良いようなことを言うのは良くないと思うってこと!」

「…は?」


 訳がわからん。何を言っているんだ、こいつは。


「惚けなくていいわよ」

「そう」


 別に惚けてはいないんだが、深入りすると昨日みたいに殴られそうな気がしたので、流すことにした。


「なあ、それで俺はあんたのことを何て呼べばいいんだ?パフェか?」


 俺の目の前に、ファーストネームで呼んだ途端に顔を赤くする乙女がいた。

 なんか可愛いな、こいつ。


「顔を赤らめてないで、答えてくれよ。あだ名でも付けようか?」


 俺が暖簾を掛けながら、そう提案する。


「あ、あなたの好きにしていいわよ。別になんだって構わないし…」

「あぁ、そう?じゃあ、パフはどうだ?」

「なんか、安易ね」

「なんだよ。何でもいいって言ったくせに俺のネーミングセンスに文句あるのか?」

「いや、ないけど…。もう少し捻ってくれた方が、その…、嬉しいというか…」


 そう言ってまた顔を赤らめている。

 たぶん、こういうやり取りが初めてなんだろうな。


「昨日から考えてたんだよ。でも、やっぱりこれかなって思ったわけ。だって、パフパフのパフだぞ。可愛いだろ?」

「き、昨日から!?」


 いや、反応して欲しいのはそこじゃない。

 それとさらに頬を紅色に染めるな。完全にリンゴちゃんになってるぞ。


「まあな。それでどう?パフってのは」

「あなたの好きにしていいって言ったでしょ!!ほら、早く中に入って仕事しなさいよ!!」

「お、押すなって…」


 急に怒鳴るなよ、びっくりするから。

 それに、あんたと違って、俺は毎日仕事をしているのだ。仕事に関しちゃ、俺はあんたから指摘されるようなことは何もないぞ。


 俺はパフに押されるがままに店内へ入ると、背後でドアがパシリと閉まった。


「なんなんだよ、あの女は…」


「タクちゃん~、ちょっとお手伝いお願い~」

「はーい、今行きまーす」



「あいつ…、自分が何言っているのかわかっているのかしら…」


 そんなパフのつぶやきは誰にも聞こえることなく、空中で消散していくのだった。

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