第3話 逆ナンされれば

「すみませーん!」


「サラちゃん、お願い。お客さんのオーダー聞いてきて」

「はい、喜んでー」

「サラちゃん、それ言う相手間違ってる。私にじゃなくて、お客さんにそれ言ってね」


 俺とサラは、『中華街』と呼ばれる大通りで切り盛りしている『梅福亭』という名前の定食屋で住み込みでアルバイトを始めた。

 中華街とは、中心部の中でもとりわけ有名な飲食店が立ち並ぶ、言わばこの街の飲食店にとってはせめぎ合いの場なのだ。

 ただ、この通りは中華街と呼ばれるくせに、中華っぽい食事が出る店はほんの数店舗で、他は基本的に居酒屋か定食屋かラーメン屋ばかりが集まっている。

 というか、平城京といい、中華街といい、日本の文化がねじ曲がって伝わっているのは、とてつもなく違和感を覚えるのでやめていただきたい。

 

 俺とサラが働いている、この『梅福亭』なる店についてだが、率直に言ってぱっと見では大して繁盛しているようには見えない。

 しかし、小洒落た感じこそないものの、店内は綺麗に清掃されているし、サーブされる食事もなかなかのものである。

 ただ、松竹梅で選ぶんだったら松にしとけよと思ったのだが、それを指摘することはさすがに憚られた。


「この親子そばの親子って一体何ですか?」

「親子そばは親子丼の丼がそばに変わったものです」


 客の質問に、サラがまた的外れな回答をしていた。

 日本由来の定食はこの異世界でも確かに多いが、丼物はあまり知られていないんだから、親子丼を引き合いに出してもイメージが湧くわけがないだろ。

 

「はぁ…、なるほど…。じゃあ、天ざるの大盛で」

「了解です」


 そここそ『喜んでー』と言えよ。まあ、居酒屋じゃないんだからそのセリフもおかしいんだが。

 それに客も客で納得したように言わないでくれ。

 あんたの応対をした俺の連れが、きちんと答えられたと思って慢心してしまうから。


「天ざる一つだそうです!」

「サイズは?」

「…サイズ?いや、特に指定してませんでした」

「いえ、大盛って言ってましたよ」

「わかったわ。ありがとう、タクちゃん」


 サラが言い間違えたオーダーを俺が訂正する。

 もう慣れてしまったので、俺もオーナーも何も言わないが、お客さんは顔を引き攣らせていたのが俺の目に映った。

 俺が心の中で大丈夫ですよと伝えておく。


 俺とサラがこの店で働き始めたのは一週間ほど前。

 腹を空かせて行き倒れそうになったサラを背負って歩いているところに、この梅福亭のオーナーであるファニエスさんに声を掛けてもらったのだ。

 かなり運が良かったと思う。ちょうど娘さんが家を出てどこかで働き始めたそうで、店の階上にあるご自宅の一室が空き、今俺とサラがそこで寝泊まりしている。

 

 しかし、働き始めてもう一週間も経つというのに、未だに二度に一度はオーダーミスをするサラを見て、俺は自然と溜息が漏れてしまう。


 こいつ…、派遣とはいえ、一応日本人相手に接客業してたんだろ。

 なんで日を跨ぐ度、よりポンコツになってんだ?


 ただ、サラはサラで日頃お世話になっているお礼としてファニエスさんに少しでも貢献しようとしているのか、意外にも真面目な勤務態度を見せているので、俺はもう頑張れとしか言えなかった。


「二人とも、お疲れ様。もう店閉めるから、先に上がってていいよ」

「はい、喜んでわかりました」

「サラ、それ混ざってる、混ざってる。そこはわかりましたでいいんだよ。じゃあ、店の暖簾、下げてきますね」

「ありがとう。お願いね、タクちゃん」


 俺とサラは店仕舞いを受けて、テーブルの跡片付けを終わらせる。

 サラは先に部屋に戻り、俺は暖簾を下げに店の外に出た。


 すると、店先に見知らぬ女性が立っているのが見えた。


「すみません、もう店は閉めるんで、また明日ご来店ください」

「いいえ、私は客じゃないわ。用があるのはこの店じゃなくて、あなた」

「え?俺ですか?」

「そうよ。ねぇ、あなた日本人よね?私、日本に興味があるの」


 なるほど、そういうことね。

 俺には興味はないが、日本人には興味があると。

 つまり、日本人ならば誰でもいいと、そういう訳ですか。


 ……なんか腹立つな。


「そうですか。ではまたのご来店を~」

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!せっかく本物の人間の女性が話しかけてきているんだから、日本人なら喜ぶべきシチュエーションではなくて?」

「ではないですね。もう日本を離れてしばらく経つので、日本のことなど忘れてしまいました」

「二週間ほど前に、この街まで伸びる街道沿いのベンチであなたを見かけたし、一緒にいた女性との会話もしっかり聞いているのよ」

「へ?それ、ただのストーカーじゃないですか。ずっと俺たちの後を追ってきてたんですか?怖いですね。それ以上しゃべったら、中華街の警備員を呼びますよ」

「そ、それはないでしょ!だいたい、あなたたちのように野宿しながら自らの足で移動しようなんて考える人間はそうそういないわよ。私は水晶であなたたちの行動を見ていたの」

「さらにヤバイじゃないですか。やめてくださいよ、そういうのは。俺の貞操が不安になってきた」

「あ、安心していいわよ、それは!私にあなたを襲う気はないから。でも、日本人の妻になると幸せになれるとよく耳にするから、相手を見つけていない日本人を水晶でサーチしていたの。そしたら、あなたが引っ掛かったってわけ」


 なるほど、そういうことね。

 まあ、この人、美人の類ではあるし、営業時間を終えてから挨拶に来る辺り、サラよりかはまだマシな常識を持っているようだから、付き合う相手としては悪くないんだろうが…。

 でも、ただ日本人ってだけで選ばれて、妻にしたくはないなぁ。


「そ、それでなんだけど…、もしあなたが構わないんだったら…、その…」


 おっ、この人はいきなり本題に入るタイプか。思わせぶるような遠回りした言い回しをしない分、好感が持てる。


「私と…」


 私と?


「私と、日本人男性を探す旅に出てくれない?」



「………は?」



 俺は彼女の言った言葉を理解する前に、脳機能がショートした……。




   *




「なにそれ、チョーウケるんですけどぉ~!」

「うるせぇ。サラ、お前にわかるか?告られるもんだと思い込んでいた相手から、あなたに興味ないと言われる人間の気持ちが!!」


 俺は先程、梅福亭の店先で出会った——というか、待ち伏せられていた女性に見事に振られた。

 いや、俺から告白したわけじゃないから、振られたってのも表現がおかしいんだが。


 

 『え?日本人男性を探す旅ってのは、どういうことですか?』


 俺は手から落としてしまった暖簾を拾い上げながら、目の前にいる日本人好きの女性に問いかけた。

 

 『どうもこうもそのままの意味よ。私は日本人男性と結婚したいの。でも、日本人男性と親しくなることすら私一人では大変だと思ったから、日本人であるあなたに協力を依頼したわけ』

 『あの…、一応、俺もその…、あなたの言う日本人男性なんですが…』

 『あぁ、そういうことね。あなたはタイプじゃないから、気を遣わないでくれていいわ』


 

 …とまあ、そんな流れで俺は振られ、彼女に何の返事も返さずに自室に戻り、サラにからかわれながら、今は部屋の隅っこでうずくまっている。


「まぁまぁ、相手だって、悪気があったわけでもないようだし…」

「それがわかる分、さらに辛いんだよ」


 悪気がないってのは、本性でってことだ。

 つまり、俺には興味がミジンコほどもないと言われたわけだ。

 俺には、女性を魅了できるようなものが何もないと、そう言われたも同然だ。


「そ、そうだわ。ほら、相手は本物の人間の女性だったわけでしょ。モンスターじゃなくて良かったじゃない?」

「それは、そうだけど…」



 俺が、このニアの街に入ってすぐの頃、サラに忠告を受けたことがあった。

 俺は街に入ると、たくさんの女性を見かけた。

 街に入る前にこの世界には一割も女性がいないと聞いていただけに、かなり違和感を覚えた。

 

 そこでサラに尋ねてみると、とんでもない回答が返ってきた。


 『あぁ、アレは全部モンスターよ。女性に化けて、近づいてくる男を襲うの』


 なんだそのクソ恐ろしい化け物は。


 『でも、襲われると言っても、精気を抜かれるだけらしいわよ。あいつらの栄養分は人間の雄の精気だけだから』


 おい、人間の、しかも男だけに限定するな。

 じゃあ、アレか。この世界の男性は日々、そのモンスターに怯えながら生きているのか?


 『いいえ、モンスターだってバカじゃないもの。きちんと入れてくれるかどうかを、その人から自然と漏れる精気の量で判断するのよ。しかも、相手の要望に合わせてキャラを使い分けるらしいから、敢えてモンスターにつかまりに行く人もいるし、モンスターと同居している人もざらにいるとの噂よ』


 なんだその悲しい話は。それがモテない男の末路というものか。


 『そうね。タクトは絶対そんなことしないでね。私との約束よ。わかった?』


 

「確かにな。モンスターに声を掛けられるってのは、相当飢えてる証拠になるわけだしな。まだ、本物の人間に声を掛けられただけマシかな…。結局、振られたけどな…」

「別に、好きだったわけじゃないなら、いいじゃない!いつまでもいじけられてると、夜寝るとき気分良くないのよ」

「お前はすぐに寝付くだろうが!野宿中、野犬にペロペロなめられてても、気持ち良さそうに寝続けてた奴がよく言うよ」

「ねぇ、ちょっと待って。私、犬にペロペロされてたの?」

「そうだけど、何かマズいのか?」

「それ、マーキングじゃない!この世界の犬ってのは、なめた相手の匂いをずっと覚えていて、繁殖期になるとそのマーキングした相手を襲いに来るのよ!」


 なんなんだよ、この世界は!!

 どいつもこいつも、モンスターや動物でさえも、常に性欲に突き動かされて生きてんのか!?


「どうしよう、ねぇ、どうしよう、タクト様ぁ。私、犬に襲われるんですけど。獣人を生まされるんですけど!」


 俺の目の前には、本気でビクついているサラがいた。

 確かに、俺もモンスターの餌食になるかもと思ったときは、相当怖くなったもんだ。

 その時、俺に言ってくれたサラの言葉は、今でもしっかりと覚えている。



 『タクトは仮とはいえ、私の旦那さんになったわけでしょ。なら、もう少し気をしっかり持って。私を支えてくれる人じゃないと、私は身を任せられないわ。でも、安心して。私のために尽くしてくれる人を見捨てるような薄情な人間じゃないわ、私は。いつでもそばにいるから』



 今のこいつからは想像だにしないセリフを告げられて、俺はそのとき不覚にも見とれてしまった。

 

「大丈夫だよ、サラ。お前は俺から離れられないんだろ?逆に言えば、お前の近くには必ず俺がいるんだ。犬からくらい、お前を守ってみせるよ。仮とはいえ、お前は俺の妻なわけだし」

「タクト様ぁ!!!」

「おい、泣きつくなって。鼻水を俺の服につけるなよ。ほら、ティッシュやるから。それで拭けよ」


 ティッシュを渡すと、サラはチーンチーンと鼻をかんでいた。

 礼儀を知らない奴は嫌いだが、いちいち女性だからって体裁を気にする女性も俺はあまり好きじゃない。そういう点で、サラの一般的価値観にとらわれない自由奔放な生き方は、見ていて少し好ましく感じるときがある。


「そういえばさ、もう一つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「なに?」

「お前さ、『我が社』の社員だったときは礼儀作法とか、言葉遣いとかしっかりしていたのに、なんで最近できていないんだ?」

「え?何のこと?」

「だからぁ、俺と最初に出会ったときは、今よりもう少し上品で清楚なお姉さんな感じだったじゃん?」

「何言ってんの、タクト?今も昔も私は上品で美しいお姉さんじゃない」


 あぁ、ダメだ。相変わらず、頭の中がポンコツだ。


「そうか。俺の勘違いかもしれないな。でも、派遣とはいえ『我が社』の社員としてきちんと働けていたとは、今のお前からは考えにくいんだが…」

「相変わらず、失礼ね。私はきちんと働けていたわよ。あっ、でも仕事する前に必ず飲めって言われて、変な小さいカプセル状の錠剤を渡されていたわね」


 それだーーーーー!!!!!


 それだよ、それ!!

 その危ない薬的な服用物が一時的に、しかも劇的にお前のあんぽんたんな脳みその能力値を極限にまで引き出していたんだ。


「なぁ、ちなみにその薬はどんな効果があるって言われてたんだ?」

「なんか少しの間だけ、頭が活性化されるらしいわよ。どういう仕組みかは知らないけど」


 やっぱりか。


「まぁ、私ほどのできる女なら、そんな薬を飲まずとも仕事をこなすくらい余裕だけどね」

「そうですか」


 やっと、わかった。

 俺が妻に選んだ相手は見てくれこそいいが、頭のねじが何個か抜けて、脳内の機能ダウンが著しい状態だということに。


「ねぇ、そんなに悲痛そうな顔しないでよ。ほら、私が抱擁してあげるから。ね?たかが一人の女性に振られたくらいでそんな顔しないで。こっちまで悲しくなるわ」

「ありがとう」


 俺はまた察し違えている連れに、そんな言葉しか返すことができなかった……。

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