第16話 ママになってよ。ママになってほしいからずっと『けーこママ』って言ってたんだよ

「あんた、何か作れる?」

 母がやぶから棒に言ってきた。

「今朝、雅也くんから拓ちゃんの夕飯の面倒をみてほしいって連絡があってね。『いいわよ』って軽く引き受けちゃったんだけど」

「それが突然、のっぴきならない用事が入ってしまって出かけなくちゃいけない。さあ、拓の夕飯はどうしましょう?おや、ここにちょうど仕事を辞めてブラブラしてる娘がいるわ。こいつになにか作らせましょう。……ってなったわけだ」

「よくわかるわね」

 感心するように母が言う。

「他にどう解釈すればいいのよ。……いいわよ、拓んちに行ってなにか作ってくればいいんでしょう」

 自分の家の広いキッチンより2Kのアパートの小さな台所の方がなにかと使いやすいでしょう。などと考えて出かけた。

 うちに来るつもりだった拓は、あたしがやってきてビックリしたが喜んでくれた。早速なにか食べたいものがないかリクエストを募った。

「お好み焼き!」

 予想外の回答に驚いた。てっきりカレーライスやハンバーグなどとという定番がくるとばかり思ってたから「なんで?」と思わず聞いてみた。

「パパが得意なんだよ。こうね、最後にかつおぶしを振りかけるとかつおぶしがゆらゆらって踊るんだよ」

 踊りながら説明してくれる。

 さて、困った。お好み焼きってどうやって作るんだ?とりあえず最後にかつおぶしを振りかけるのはわかった。スマホで検索をかけてみるが関西風と広島風に別れるらしい。雅也のうちはどっちだ?

「ねえ、拓んちのお好み焼きは焼きそばが入ってる?」

 スマホのレシピを見ながら聞いてみる。「入ってない」との答えが返ってきた。よし、関西風とみた。

 とりあえず冷蔵庫の中を探る。たいしたものが入ってない。ほとんど買ってこないとできそうにないな。レシピをブックマークする。

「買い物にいくよ」

 二人で手をつないで近所の商店街の中にあるスーパーまで出かける。豚バラ肉とキャベツ、天かすを買う。かつおぶしと青のりとお好み焼き粉はまだあったけど念のために買っておく。ふと買い物かごをみると見慣れないお菓子が入っていた、いつのまに。ゆだんならないガキんちょだ。

 元にあった場所に返すように言ってレジに並ぼうとしたが、ふとビール欲しいな、と思ってしまった。日本酒の方が好きなのだけど今はビールを求めている。発泡酒じゃなくて。

 身体の求めに従ってドリンク売り場で缶ビールを二本調達する。雅也は飲めないからあたしだけの分ならこれくらいで十分だろう。

 さて、こうなるとお酒のあても欲しくなる。お惣菜コーナーに足を向ける。

 イカのげそもいいけど、お肉系がいいかな。でも、夕飯はお好み焼きだしな。などと考えていたらふと歩みを止めてしまった。

「けーこママ、どうしたの?」

 お菓子を返して合流した拓が聞いてきた。

「ねえ、拓。お願いがあるんだけど」

「なーに?」

「これ、買っていいかな?」

「何これ?」

「……お好み焼き」

「……」

「もう出来上がってるから、レンジで温めるだけでいいんだけど」

「お菓子買ってくれるならいいよ」

「……頑張って作ります」

 こっちの方が美味しいと思うんだけどな。


 アパートに戻って二人して手を洗ってうがいをする。こういうところは大人が率先して手本を見せないと。

 買ってきたものを出して早速、料理をはじめる。

 拓も夕飯の食材以外を冷蔵庫に仕舞ってくれる。ビールやあたりめをナイロン袋から出すと「ずるい」と言ってきた。その声を無視して台所に立つ。背中に恨みがましい視線を感じて痛い。

 キャベツとねぎ、紅しょうがをみじん切りにしてボウルに入れる。カツオだしを作ってすった山芋を入れる……って山芋を買うのを忘れた!必要なの、山芋?なんかふんわりするみたいだけど。無いとカリッカリの生地になっちゃうの?仕方ない山芋は無しでいこう。固くなった時はその時だ。

 カツオだしにお好み焼き粉を入れてかき混ぜる。適度に混ざったらみじん切りにした具に卵を混ぜ合わせる。そういえばこの家ってホットプレートなんかあったっけ?フライパンで焼いてるのかな?

「ねえ、お好み焼きってなんで焼いてるの?」

 さすがにこれくらいは聞いてもいいだろう。テレビを見ていた拓はこちらに来て台所の下からグリルパンを引っ張り出してきた。

「これで焼いてるの?」あたしの問いかけに「うん」とうなずいた。これだとそんなに大きなお好み焼きはできなさそうだ。

 グリルパンをコンセントに繋いでスイッチを入れる。しばらくしてから生地を少しだけ落としてみる。ジュッという音と共に生地がみるみる焼けて香ばしいかおりが漂ってくる。なんか美味しそうなお好み焼きができそうな雰囲気じゃない。

 おっと焼けたお好み焼きをひっくり返す道具が必要じゃないか。あたしは台所に立ってフライ返しを取って来る。

「けーこママ、なにやってんの?」

 拓が聞いて来る。あたしは

「ひっくり返すのに必要じゃない、フライ返し」

と言ったら、

「お好み焼きには“へら”を使うんだよ」

そう言って台所の引き出しから幅の広いへらを出してきた。

「これ使うの?」

 どうみてもこんな小さなグリルパンに横に広いへらは使いづらいでしょう。

「簡単だよ。こうやってさっとひっくり返したらいいんだよ。パパはそうやってるよ」

 空中で実演してくれる。

「だったら拓がやってよ」

と言うと、

「……僕、テレビ見て待ってるね」逃げ出した。

 ひどい、男って薄情!ええ、いいですとも使いますよ、へら。

 グリルパンに油を引いて生地を流す。均等になるようにへらで整えたら豚バラ肉をその上に並べる。

 レシピをみると三分くらいでひっくり返すらしい。スマホに向かって「タイマー三分」と言ってタイマーを起動してもらう。

 タイマーが鳴った!さていよいよひっくり返す時だ。拓がちらちらとこちらをうかがう。気にはなるらしい。

 お好み焼きを端から少しずつ剥がしていく。半分くらいへらを入れたら一気にひっくり返す。ぽーんと豚バラ肉が一枚、グリルパンからこぼれ落ちる。それ以外はなんとかグリルパンの中で裏返ってくれた。

 肉を拾ってお好み焼きの上に置く。大丈夫、三秒以内だから。

 蓋をしてしばらく蒸す。蓋が透明なので中の様子がよくわかる。豚肉に赤みがなくなったから蓋を外してまたひっくり返す。今度はうまくいく。ちゃんと失敗から学びますとも。

 へらでお好み焼きをジューッと押しながらきつね色になるまでじっくり焼く。

「もうすぐできるよ」

 拓に声をかける。こちらにやってくる。

 黒いドロッとしたソースをかけてスプーンで塗る。ソースの匂いが食欲を刺激する。マヨネーズをかけて青のりとかつおぶしをパラパラッとかける。おお!本当にかつおぶしが踊ってるよ。

 グリルパンのスイッチを切る。へらでお好み焼きを四等分に切って完成だ。やればできるじゃん、あたし。

 お皿に一切れずつ移す。

「いただきます」

 かぶりつく。おお、美味い。ちゃんと火も通ってるよ。そんなの食べる前に確認するものだけど。

「おいしいよ、けーこママ。ありがとう」

 ソースと青のりを口のまわりにつけて拓がお礼を言ってくれる。ティッシュで彼の口のまわりをふきながら「どういたしまして」と言う。

「パパ、最初は真っ黒けにしちゃったんだよ」

 そうなのか、たしかに難しいもんね。

「まだあるよ。足りなかったらまた焼くよ」

 あたしのその言葉に拓が皿を出して来る。もう一切れ追加する。

 適度な分量がわからなかったので大量に作りすぎてしまった。これならあと一、二枚は作れそうだ。このままだったら捨てるしかないけど焼いてから冷凍したら大丈夫じゃないかな。とにかく生地をあるたけ焼いておこうか。


 夕飯を食べ終わって後片づけをする。拓もちゃんと手伝ってくれる。いい子じゃないか。

「パパ遅いね。この前会った、お姉さんといるのかな?」

 拭き終わったお皿を台所の上の棚に仕舞いながら、さりげなく聞いてみる。

 ……反応がない。テレビの横に置いてあるおもちゃ箱から自由帳と色えんぴつを取り出してちゃぶ台の上でお絵かきをはじめてしまった。

「なに描いてるの?」

 のぞき込んでみる。人らしきものが三つ並んでる。

「パパとママと拓」

 ドキリとした。……ママって言ったよね。

「え?ママって?」

 緊張を隠しながら聞いてみる。

「ママだよ」とテレビの横に飾ってある写真立てを指さす。

 ……そうだよね。バカだな、あたしは。

「ねえ、ママのことどれくらいパパから聞いてる?」

 気を取り直して尋ねる。

「あんまり聞いてない」顔をこちらに向けずにお絵かきを続けながら答える。

 このまま一番聞きたいことに踏み込んでいいかどうか迷う。ええい、ままよ!

「拓はさ。どうしてお姉ちゃんのことを『けーこママ』って呼ぶのかな?」

 手を止めて、こちらに顔を向けてきた。

「けーこママだから」

 簡潔明瞭な答えですこと。

「だってママはちゃんといるじゃない。お姉ちゃんは拓のママの『お姉ちゃん』だから『ママ』じゃないじゃん」

 もちろん「お姉ちゃん」でもないんだけど。拓は黙ったまま、お絵かきをに戻った。

 しくじったかな。

「ごめんね。『ママ』って呼ばれてイヤじゃないんだよ。うれしいくらいなんだから」

 そう言い訳をする。突然、

「パパがもう『けーこママ』のことを『ママ』って言っちゃいけないって」

と言ってきた。

「え?どうして?」

 思わず聞いてしまった。

「『けーこママ』は『ママ』じゃないから」

 それはそうだ。

「それっていつのこと?」

「お外でけーこママたちと会った時」

 やっぱり。

「……あのお姉ちゃんが『ママ』になっちゃうのかな?」

「……」

「けーこママが『ママ』になってくれたらいいのに」

 拓の言葉になにも言えなくなった。彼は色えんぴつを置いてこちらに向きなおった。

「ねえ、けーこママ。ママになってよ。ママになってほしいからずっと『けーこママ』って言ってたんだよ」

 突然のプロポーズにドギマギする。いや「母親になってほしい」はプロポーズか?

 俊一さん、あなたの推理は間違ってましたよ。拓は自分の意志であたしのことを「ママ」と呼んでました。

「あのお姉ちゃんが『ママ』になったらイヤ?」

 拓は首を横に振る。

「イヤじゃないけど……。けーこママの方がいい」


「ねえ、お風呂入ろう」

 なんの脈略もなく切り出された。

「……そうだね。じゃあ、風呂釜掃除してお風呂沸かすから入っといで」

 トレーナーの袖をまくり上げて立ち上がる。

「一緒に入ろうよ」拓が言う。

「やだよ」即答する。「あんた、すぐおっぱい触るじゃん」

 そうなのだ。以前、実家の風呂で一緒に入った時やたらと胸を触ってきていた。もしかしたらスカートめくりもその延長線上だったのかもしれないと今では思う。

「ええ!触んないよ。約束するから」懇願してくる。

「ダメです!」

 ここで甘い顔をみせるとつけあがりそうだ。性的な興味をもつのは悪いことじゃない。だけど女性が嫌がっていることをしてはいけないということはきっちり教えておかなくちゃ。

「お願いします、絶対触りません」

 ため息をついてテレビの横の写真立てをジッと見つめる。めぐみが中学生のころに雅也たちと遊園地で最初のダブルデートをした時に撮ったものらしい。雅也と写ってるツーショットはスマホのアルバムに入ってるらしいが、このピン写真だけはプリントして、こうやって写真立てに入れている。右手でピースサインを出してるありきたりなポーズ。でもはじめてのデートでよっぽどうれしかったというのが表情でわかる。いい写真。

 その写真に向かって心の中でつぶやく。

 めぐみィ。足元で土下座をしてまで女とお風呂に入ることに懸命なのを見てると、あたしゃ、あんたの息子の将来が心配になってくるよ。


「こらぁっ!拓。あんたおっぱい触んないって約束したでしょう」

「触ってないよぉ」

 そうだね。触ったんじゃなくて、揉んだよね。だからよりいっそうムカつくんじゃ。

 お風呂から上がった拓は濡れた体で、怒るあたしから逃げるように居間を突っ切る。あたしはバスタオルを身体に巻いてから子ども用のタオルを持って後を追いかけようとした。

 ブツブツ文句をつぶやきながら風呂場を出たあたしの目の前で拓がバッタリと倒れた。

「……拓!」

 もつれる足で懸命に駆け寄って拓を抱きかかえる。目をつぶってグッタリしてる。

 どうしよう。恐怖で頭がいっぱいになる。五年前に病室でみた風景がよみがえる。イヤだ、目を開けてよ。

「拓、拓!しっかりして。聞こえる?返事して」

 頬を叩いて懸命に呼びかける。よく見ると胸が上下している。呼吸はしているようだ。口元に耳を当てる。間違いない、かすかに寝息を立ててる。どうやら突然、力尽きて眠ってしまったようだ。

 裸で眠ってる甥っ子を床に置いたら途端に気が抜けた。よかった。

 いかん、このままだと風邪を引かせてしまう。持っていた子ども用のタオルで体を拭いてパンツとパジャマを着せる。なんとか拓を抱き抱えて奥の部屋に敷かれている万年床に寝かせる。

 子どもって今みたいに突然、眠ってしまうから油断ならない。でも、こんなことでビクついていて、あの子の母親になんかなれるのか。

 ガチャッ。

 玄関のドアに鍵が差し込まれた音が聞こえた。ドキッとする。

「雅也?」

 ドアに向かって問いかける。しばらくしてから「ああ」という返事が返ってきた。

「ごめん、お風呂借りちゃって。……すぐに着替えるからもうちょっと。……五分くらい待ってて」

 彼の「わかった」という返事を待たずにお風呂場に取って返す。ああ、髪の毛を乾かしてる暇がないよ。とりあえず、ざっと身体を拭いて手早く着替えないと。

 ふと、あたしが持ってきたハンドバックが目に止まる。

 ……口紅くらいは引いといたほうがいいよね。

 バッグを手にとり風呂場に駆け込んだ。

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