第14話 違う、……この人じゃない

「うわぁ、すごい眺め!張り込みましたね」

 あたしの失礼な言葉に彼は苦笑していた。窓の下は都内の夜景でキラキラしていた。東京ってこんなにキレイだったんだ。

「さっきのレストランだって綺麗な眺めだったでしょう」

 彼はセカンドバッグをベッドに放り出して話しかけてきた。

「レストランは食事に熱中してましたから」

 実際、出てくるコース料理はどれも美味しくて眺めを堪能してる余裕はなかった。

「それにしても大丈夫なんですか?後で半分出せって言われても払えませんよ」

 冗談めかして言った。ホテル内のレストランで食事を終えた後、まっすぐこの部屋に連れてこられた。「ドラマみたいだな」そう思った。ここまでやってもらって本気なのがわかる。これは恥をかかせるわけにはいかない。多央に頼んでよかったと思った。


 今回のデートの連絡を受けた時「ちょっと格式の高いレストランで食事をする予定です」と追伸で添えられていた。

 こちとらファミリーレストランで働いてるから、そこでどんな服装をすればいいかはわかる。でも「格式の高いレストラン」などというものがどんなものか想像すら出来ない。その場で多央にメールでヘルプを要請した。早速、

「とにかくうちに来い」

と言ってくれた。お言葉に甘えてその日の夜、仕事を終えてから神奈川にある多央の新居のアパートに向かった。

 到着するや家主の斉藤くんに挨拶する間もなく奥の部屋に連れ込まれた。部屋の床は一面、洋服で埋まっていた。ドレスもあればワンピースもある。

「よくこんなに持ってるね」

 感心するやら呆れるやら。聞くところによると斉藤くんの就職したところって、そんなにいいところじゃなかったはずだけど。

「身だしなみだからね。無理もするよ」

 そう言いながら、あたしの身ぐるみを剥がす。

 背は多央の方が若干高いからサイズを気にする必要はない。通常のアパレルだったらまずサイズがあるかどうかが問題だ。最近はやっと気にする必要は減ったが。

 あれこれと着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返した。最終的にはワインレッドのシンプルなドレスに決まった。腰のところを縛るので胸が強調しやすいのが理由らしい。多央が着ると膝下が出るが、あたしだと隠れる。そうか足が短かったか。

「もう十月なのに、これだと寒くないかな」

 ノースリーブなので肩から生の腕が出る。あたし、肩幅広いって言われたんですけど……。

「我慢しな、上半身がガッチリしてるんだから少しでもコンパクトにしないといけないんだから」

 多央はあたしの首元にパールのネックレスをつけてくれながら心配事を一刀両断で片づける。せめてカーディガンをと思った。かくもオシャレは厳しいものらしい。

 最後に髪にドレスと同色のバレッタをつけて完成。スタンド形の姿見に映った自分の姿を見て唖然とする。……綺麗というよりなんかマズくねえか、いろいろと。

「これ、あたしには似合わないよ」

 あたしの正直な感想に

「めぐみちゃんに教わったメイクを当ててごらん。きっと似合うから」

と断言された。

 多央はあたしの肩ごしに鏡を見ながら

「……やっと、めぐみちゃんとの約束を守れたよ」

とつぶやいた。ずっと気にしてたのか。葬儀から五年間、無沙汰だったからめぐみとの約束だったファッションの指導はできなかった。あたしもそれどころじゃなかったし。

「ありがとう」

 素直に礼が言えた。もし、あの当時だったらお礼なんて言えなかったと思う。

「礼なんかいいよ。それよりもうまくいきなさいよ。別れ話になんかなったら承知しないよ」

 多央の言葉にはじめてそのことに思い至った。そうだ「覚悟」って別れることかもしれないんだ!

 そう言うと多央は笑いながら

「だったらそんな格式ばったレストランなんかで食事なんかしないでしょう」

「わかんないよ。最後の晩餐かもしれないじゃない」

 多央は少し考えて

「なにか思い当たる節があるの」

と聞いてきた。

「とくにないけど、もしかしたら向こうに理由があるかもしれないじゃない」

「向こうって?」

「好きな人ができたとか……」

 あたしの真剣な仮説を多央は一笑に付した。

「だったらフェードアウトすればいいだけじゃん。あんたからの連絡はスルーして昼ごはんは別のお店にすればいいんだし」

「あたしが会社を探し出したら?」

「……そんなことするの?」

 ふと考えてみる。

「……しないね」

 そこまでみっともなくすがりつく自分がどうにも想像できない。「でも、でも……」

 多央は手を上げてあたしの意見を封じる。

「はいはい、なんにしても当日になれば全てわかるんだから。今から気に病んでも仕方ないよ。覚悟を決めて行っといで」

 そう言われて送り出された。


 最初、レストランで夜景を見ながらプロポーズされると思っていた。だがあては外れてホテルの部屋まで来た。部屋に入ってもプロポーズどころか別れ話もない。

 彼は、夜景を見て年甲斐もなくはしゃいでいるあたしに近づいてを肩をそっと抱きしめてきた。心臓が跳ね上がる。肌を触れられた経験なんていくらでもあるのに。汗でべとついた手が彼の緊張を物語ってる。

 だが、抱きしめられたまま時間だけが過ぎていく。

 このままだと埒があかない。でも、今日はなぜ呼ばれたのかと聞くのもためらわれる。やっぱり彼からきちんと話してもらいたい。もしかしたら、ベッドの中で指輪を渡してくれるのかもしれない。個人的には好きなシチュエーションじゃないけど……。

 あたしは肩に巻きついている腕をそっと外して

「先にシャワー浴びてきますね」

と、その頬にキスをしてバスルームに向かった。こんな状況でもワクワクしてる。今まで自覚がなかったけど、どうやら高いところに昇るとテンションが上がるタイプらしい。

「……恵ちゃん」

 彼の声が背後から聞こえた。バレッタを外してベッド脇に置いたあたしは「はい?」と言って振り返った。

「今日……ゴムなしで出来ないかな?」


「……それは、約束が……違いますね」

 やっと声が出た。まさか、そんな言葉が出てくるとは思っていなかった。つきあってはじめて彼とそういうことになった時あたしは、はっきりと

「避妊をきちんとしてほしい」

とお願いした。結婚を前提につきあいたいと言ってくれていたから、なおさらなおざりにしてはいけないと思ったからそう告げた。

「はっきり言ってくれてうれしいよ」

 彼はそう言ってコンドームをつけてくれた。

 最初のうちはその都度つけてくれているか確認した。もし、これで鬱陶しいと思われたらその程度の男だといって別れていたと思う。だが彼は億劫がらずに確認させて安心させてくれた。

 だからここ最近は確認しないで任せられるようになった。

「忘れたんですか?」

 聞いてみた。彼はセカンドバッグを取り上げ、中から未開封の見慣れた小箱を取り出してテーブルの上に置いた。

「だったら……使ってください」

 彼のことだから考えなしに言ってるわけではないだろう。だから強い口調にならないように注意しながら言った。

 だが、彼は黙ったままだった。

「高柳さん?」

「僕たちってセフレ……とかじゃないよね」

 突然、聞いてきた。あたしはムッとしながら

「当たり前じゃないですか」

と言った。彼はジャケットのポケットから別の小箱を取り出した。

 その蓋を開けると中には小さなダイヤをあしらったシンプルな指輪が入っていた。さっきまでだったらそれを見て素直に喜んでいたと思う。だけど今は真意を質すまで喜べない。

「ちゃんと結婚するから、避妊しなくてもいいでしょう……ってそう言いたいんですか?」

 返事はない。

「……聞いてます、高柳さん?」

 あたしのさらなる問いかけに彼は蓋を開けたままテーブルに置いて、

「タ・カ・ヤ・ナ・ギさん」

自分の名前を一語ずつ区切って返してきた。

「なんですか、いったい?」

 多分、険のある言い方になっていたと思う。それくらいわけがわからずイラついていた。

 彼はそんなあたしをじっと見つめながら

「どうして苗字でずっと呼んでるのかな?」

と聞いてきた。

「僕の苗字って結構発音しづらいと思う。友だちとか昔つきあってた子とかは下の名前で呼んだり、あだ名をつけてたりしたよ。ちょっと親しくなっただけでそうなってた。でも、恵ちゃんは違う。一貫して『高柳さん』で通してる。言葉づかいだって敬語のまま」

 一呼吸おいて、

「どうしていつまで経っても親しくならないんだろうって思ってた」

そう言ってきた。

「……そんなこと」

 正直、子どもっぽい理由に呆れてた。

「理由なんて特にありません。もともと高柳さんはうちの店のお客さんじゃないですか。その延長で敬語が抜けないだけですし、苗字もあたしは言いづらいと思ったことありません」

 ダブルベッドの端に腰かける。

「下の名前で呼んで欲しいならそう言えばいいじゃないですか。『俊一さん』でも『俊くん』でもいくらだって変えますよ。敬語がいやなら頑張って普通の言い方に変えます……わ」

 敬語をやめようとしたらかえって変になった。

 彼は夜景をバックに腰を窓の桟によりかかり、こちらを見てる。その笑顔はまだ寂しげだ。

「恵ちゃんの甥っ子くん。君のことを『けーこママ』って呼んでるんだね」

 突然なにを言い出すんだろう。あたしは「はい」と答えた。彼もその場にいたのだから否定も出来ない。

「あれって君がそう呼ぶように教えたの?」

「いえ、あの子がものごころついた頃からそう呼ばれてます」

 それがどうしたのだろう。

「なんで『ママ』なんだろうね?『けーこちゃん』でも『お姉ちゃん』でも。ううん、普通に考えたら『おばちゃん』と呼ばれる方が当たり前か」

 そうだけど「おばちゃん」だけは呼ばれたくない。

「生まれた時からずっと世話を焼いてきたからじゃないですか。母親みたいに」

 あたしの考えを彼はうなずきながらも否定した。

「それは『ママ』というのがなんなのか理解した上じゃないと呼べないよね。ちなみに彼は本当のお母さん……君にとっては妹さんだけど……は、なんて呼んでるの」

 そういえばあの子がめぐみのことをなんて呼ぶかなんて考えたこともなかった。拓の家にはめぐみの写真が一枚、写真立てに入っているが彼がそれに向かってなにか言っているのを聞いたことはない。

「『ママ』だと思いますよ。雅也……西嶋くんは拓から『パパ』って呼ばれてますから」

 気をつかって雅也を苗字で呼びなおす。

「普通、子どもが自分の親をどう呼ぶかはその家のご両親がお互いをどう呼んでいるかで決まって来るんだと思う。奥さんが旦那さんを『お父さん』と呼んでたらその子どもも『お父さん』って呼ぶでしょう」

 それはそうかもしれない。

「拓くんが西嶋さんを『パパ』って呼ぶのはそれ以外の大人、例えば恵ちゃんとかが拓くんの前で西嶋さんのことを『パパ』って呼んでるからじゃないかな」

 たしかにあたしは拓の前で雅也のことを「パパ」と言ってる。

「でも、最初の言い出しっぺは西嶋さんの親御さんだと思います。つい最近まで実家でご両親と同居してましたから」

 あたしの言葉に彼は寂しげにうなずいて

「じゃあ、彼のご両親が拓くんの前で君のことを『けーこママ』って呼んでたのかな」

と聞いてきた。

「いえ『恵子ちゃん』と言ってくれてます」

「だったら誰がどうやって君のことを『ママ』だと認識させたんだろう」

 そこまで候補を削除してくれたらあとはわかる。保育園の待機児童だった拓はものごころつくまでほとんど宮中か西嶋の家の人としか接触してない。あたしと西嶋さんたちが削れたのだから残るは三人。そのうちの二人、あたしの父と母は拓の前であたしのことを「おばちゃん」と呼んでいる。……となると。

「……でも、それは高柳さん……俊一さんの推測ですよね」

 あたしが絞り出すようにそう言うと彼はそれを認めた上で

「うん、でも僕と同じ考えをした人がもう一人いるはずだよ」

と言ってきた。もう一人……って。あたしの脳裏にあの女性の視線がよみがえる。

 西嶋雅也の彼女はあの時、拓があたしに向かって『ママ』とはっきり言ったのを聞いている。その一瞬でそれを誰が言わせたのかに気がついたのだ。あの視線はそれを含めた妬みの視線だったのか。めぐみがあたしを見る時にかたむけていた視線と同じものを感じたのはそういう理由だったんだ。

「だから『うまくいかないかも』なんて言ったんですね」

 高柳さんも彼女があたしに向けた視線に気がついていた。

「だけど彼女はそれを受け入れるかもしれない。そうでなくても西嶋さんがうまく言いくるめるかもしれない。だから、言いすぎたと思ったんだ。でも西嶋さんも君のことを憎からず思ってる、だとしたらあの二人がうまくいかなかったら君に意識が向いてしまうかもしれない。だから……」

 彼はそう言いながら指輪の入った箱を手にした。

「大急ぎで準備した。四月の誕生石を調べてサイズはわからなかったけど、お店の人に聞いたら『彼女さんを連れていらしたら、サイズを調整させていただきます』と言ってくれたから適当に九号にした」

 その小箱を持ってこちらに近づいて来る。

「……受け取ってほしい。そして指にはめてみてほしいんだ」

 あたしはうつむきながら内心腹を立てていた。そう……怒ってる。

 たしかに呼び方って大事かもしれない。彼氏の子どもが別の女性を「ママ」と呼んでいれば気にならない方がどうかしてる。自分の彼女がいつまで経っても自分を苗字でしかも「さん」付けでしか呼ばなかったら不安になるかもしれない。

 だけど信じるべきじゃない。不安になるなら声に出して聞いてみるべきじゃない!

 あたしだって本当なら「避妊して」なんて口にしたくなかった。だけど結婚したいと思ってくれていたから、それを信じていたから。だからあたしも言わなくちゃって思った。言わなかったらいつか妊娠してしまったかもしれない。

 できちゃった婚を否定するつもりはない。多央がまさしくそうで、彼女は頑張って夫婦生活を営んでいる。

 でもあたしはそれでは嫌だ。めぐみたちのような「指一本ふれない」交際は無理だけど、結婚するまでは子どもは作りたくない。

 だから受け入れてもらえると信じて言葉に出した。そして受け入れてもらえてうれしかった。信じたことが無駄じゃなかった。

 今日のこの瞬間まであたしは間違いなく幸せだった。「結婚を前提につきあいたい」と言ってもらえて。一緒にアニメ映画を見て。いろんなお店で食事をしたり。何日も会社で寝泊まりしてやっと帰れる汚い格好の彼氏と、一緒に駅まで歩いた時。「覚悟して」と言われて「別れ話かもしれない」と不安になったことだって。肩を抱きしめられてドキドキしたことも。その一瞬、一瞬が愛しくて幸福だった。

 なのに勝手に不安がって、たかが子どもの言葉に彼女のことが信じられなくなって「大急ぎで」指輪を買うなんて。馬鹿げてる。馬鹿にしてる!どうしてあたしの「気持ち」を信じてくれないの。

 あたしは信じてる。だから、あたしは声に出す。

「……あなたの推測が正しかったとしても、それは西嶋くんがあたしに対してどう思っているか……ということでしょう。あたしの『気持ち』じゃない」

 そうだ、肝心なのは「あたしの『気持ち』」のはずだ。あたしは顔を上げて彼の顔を見て言った。

「あたしは、あたしの『気持ち』は、高……俊一さんのことが好……」


 ……違う。……この人じゃない。

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