第13話 もうめぐみは死んでいるんだ

 すっぽかしたデートのやり直しのために二人して都心に出てきた。

 とりあえず彼の選んだお店でランチをしてから映画を見ることだけは決まってる。彼がお気に入りの監督の最新作だそうだ。映画館で予告編をみてから「これならデートで誘っても大丈夫」と思ったらしい。

 今日はさすがにスーツはやめて、ベージュのダボッとしたトップスに白のガウチョパンツにした。これにしたって、たぶん背の低い可愛らしい子が着れば似合うのだろうが、あたしが着てもただ単に野暮ったいだけだ。これに白いスニーカーというコーディネートはありなのか?

 メイクもめぐみに教えてもらったのをバカ正直に続けてる。というより他のメイクを知らない。

 彼はそんな格好を見て「今日も可愛いね」と言ってくれたがお世辞だと感じてしまうのはあたしが狭量なのだろう。それとも彼もセンスがないからわかってないだけなのか。

 彼に促されてお店に入る。欧風料理を出すレストランらしいが、こんな凝ったお店じゃなくていいのにと思う。そう言えば最初に奢ってもらったお店も高そうなイタリアレストランだったな。

 出てきた料理を食べながら今日見る映画の監督の話になった。なんでもはじめて世の中に知られた作品は監督一人で作ったらしい。それがどうすごいのか正直ピンとこなかった。アニメなのだから一人で作ることは難しいことではなさそうなのだが、そう考えるのはあたしがわかってないからなのだろう。

 店の入り口の戸が開いてお客さんが入って来る。大人の男性と女性それに子どもが一人。店員に案内されて奥の席に行く。男性は女性を奥のソファに座らせ、自分と子どもは椅子に座った。あたしからは男性と男の子の背中と女性の顔が見える。うりざね顔の可愛らしい感じの女性だ。年の頃は二十四、五歳というところか。

 その視線から隠れるように高柳さんに近づく。

「それで今日見る映画もその監督一人で作ったんですか?」

 高柳さんはキョトンとした顔を一瞬した後、苦笑した。

「さすがに二時間の映画を一人で作ることは無理だよ。最初の作品だって二十五分だから出来たんだろうし。それだって完全に一人で完成させたというわけじゃないらしいよ」

 なんだ。

「それよりも……」

 後ろを親指で指さしながらなにか言おうとした彼の言葉が終わるよりも先に、奥のテーブルから大声がした。

「ああっ、けーこママだっ!ママっこっちこっち」

 彼が驚いて振り返る。キョロキョロと落ち着きのなかった奥の席に座っていた男の子がこちらに向いてあたしに気がついたのだ。さかんにこちらに向かっておいでおいでを繰り返す。隣に座った男性がしきりに男の子をたしなめている。

「あの子……もしかして?」

 彼が尋ねる。あたしはコクリとうなずく。

「……甥っ子です」

 認めるしかなかった。どうしてこんなところで出くわすかな。向こうでも女性が男性、西嶋雅也に向かってなにか尋ねている。きっと同じことを聞かれているのだろう。

 どうしていいかわからないままのあたしに向かって彼が

「行こうか」

と言ってくれた。

 そうだ、早く出て行くに限る。あたしはうなずいて立ち上がった。すると彼はそのままあたしの手を取って奥の席に向かいだした。

「はじめまして」

 そうにこやかに挨拶をはじめる。雅也が驚いて振り返る。

「宮中恵子さんとお付き合いさせていただいてる、高柳といいます。あ、こちらの恵子さんはこの子の亡くなったお母さんのお姉さんなんです」

と、雅也と雅也のデート相手の女性に向かって話しはじめた。

「僕この人、知ってる。前に駅で見たことあるよ」

 戸惑っている大人と違って拓は高柳さんを指さして話しかけてくる。

「ねえ、ママたちもこっちでごはん食べようよ」

「こら、やめろ拓。ご迷惑だぞ」

 雅也がたしなめる。

「ごめんね。僕たちはもうごはんを食べ終えてこれからお店を出ようと思ってたところなんだ。また今度にしようね」

 高柳さんはふくれている拓をなだめるように言った。

「それでは失礼します」

 そう言うと彼はあたしの手を取ったまま、レジに向かって歩き出した。彼らが話していた間うつむいていたあたしは、その時になってやっと女性の表情を見ることができた。

 向こうはきっとあたしの顔をずっと見続けていたんだと思う。


「驚いたね。顔見知りに会わないように遠くでデートしたのに、まさかそこで出くわすことになるなんて。きっと向こうも同じ考えだったんだろうね」

 映画館に向かいながら彼が言った。たしかに驚いた。

 雅也がああいうお店に入るなんて考えたこともなかった。しかも子ども連れで。もしかしたら女性の趣味なのかもしれない。

「どうする?今日はこれで帰ろうか?」

 彼の言葉でハッと我に返る。

「いえ大丈夫です。二回続けてキャンセルしたくないです」

 そう言うと彼の腕に右手を回した。

「そうだね、まさか同じ映画を観ることもないだろうしね」

「……でもアニメですよね」

「あんな小さな男の子が観るようなアニメじゃないから大丈夫だよ」

 そう言いながら映画館のエレベーターに乗り込む。


「どうした?面白くなかったかな」

 映画館を出てすぐにシアトル系のコーヒーショップに入った。すぐにでも彼は感想を言いたかったらしい。

「いえ、面白かったです」

 たしかに面白かった。アニメーションとは思えないくらい絵が綺麗だったし、お話だってあんな展開になるなんて思わなかった。ただ物語の中盤で事実があきらかになった時がつらかった。もちろん後半でこの事実が解決されて、そのままハッピーエンドに流れるのだからいいのだけど。

「あんなお話をずっと作ってる監督さんなら、あたしも好きになりそうです」

「あそこまでエンタメに徹したのははじめてだよ。これから先はどうなるかわからないけどね」

「そうですか」

 ココアを口につける。彼が

「やっぱり気になる?」

と聞いてきた。

「何のことですか?」

 とぼけて問い返す。

「義弟さんのこと」

 彼はニコニコしながら答える。

「気にしてませんよ」

 そう答えた後に

「あ、気にしてないなんてことはないです。せっかくなら上手くいって欲しいって思ってますから」

と、付け足した。

「それにしても水臭いなって思いますよ。あんな可愛い彼女がいたなんて教えてくれないんですから」

「恵ちゃんは僕のこと話してたの?」

 意地悪だ。あたしが店の子以外に話してないのを知っているくせに。

「この間、高校時代からの親友には話しましたよ。もっとも拓……甥っ子からばれたんですけど」

「そう言えば駅で僕を見たって言ってたね」

「はい、駅まで送ったのをたまたま親子ともども見てたみたいで」

「……それだけだったらつきあってるってわかってないよね。どうして友だちはわかったんだろう」

 ……そう言えばそうだ。

「カマかけられたんだと思います」

 全然気がつかなかった。恥ずかしさにうつむいてしまう。おのれ多央め……嵌めやがって。

 レストランで雅也たちと一緒にいた女性を思い出す。どことなく、めぐみに雰囲気が似てる気がする。やはり似たような人を選ぶのか。

 でも、なぜだろう?あの女性のあたしを見つめる視線にどこか覚えがある。

 高柳さんは少し考えて

「こんなこと言うと気を悪くするかもしれないけど……」

と、言ってきた。そんな言い方されると気になる。

「西嶋さんたち……たぶん、うまくいかないと思うよ」

「……なんでですか?」

 どうして、そう思うのかさっぱりわからない。だって子どもにも紹介してるのよ。しかも一度ならず。

「ごめん、そうとも言い切れないよね。忘れて」

 彼は手を振ってごまかした。

「気になりますよ。教えてください」

 しつこく問い質したが結局、答えてくれなかった。

 その後はまた映画の話しになった。中盤の展開が重苦しくて辛かったことなども正直に言った。彼はあそこがあるから後半の展開が面白くなるんだろうと言ってた。それはそうなのかもしれないけど。


 それからディナーはなしで家に帰った。ただ帰り際、彼から

「今度のデートは……覚悟をきめてほしい」

と言われた。……覚悟ですか。ついにそういう話しになるのか。

 もともと、彼からは結婚を前提につきあうことを示唆されていた。それについては明確に答えは出さないでいた。いや、出せずにいた。でも、もうごまかすわけにはいかないんだろうな。

 部屋でボーッとしているとスマホからメールの着信音が聞こえた。見ると雅也からだった。本文には今日のお詫びと高柳さんの配慮への感謝が書かれていた。

 少し考えてLINEのアカウントをメールで送った。ほどなくして彼からLINEにメッセージが送られてきた。

「届いたかな?」

 案の定、LINEをやったことがないんだな。

「届いてるよ。今日はごめんね」

 こちらもメッセージを送った。

「いや、謝るのはこっちだよ。店に入った時に宮中に気がついたんだから、引き返せばよかったんだけど」

「それは難しいでしょ。むしろ彼が挨拶にいったのが迷惑だったんじゃない?」

「とんでもない。過不足なく説明してくれたから彼女も余計な詮索をしないでくれたよ」

 なんだ、うまくいってるようじゃない。高柳さんの「うまくいかないかも」も当てにはならないね。

「可愛い人だったじゃない、彼女さん」

「ありがとう、宮中の彼氏さんもいい人みたいじゃないか」

 さすがに外見は誉めないか。まあいい人には違いないもんね。

「まさかと思うけどあたしに告ったこと彼女に言った?」

 ちょっと気になったから聞いてみた。

「まさか。そんなこと言う必要ないじゃないか」

 そうだよね。でも、だとしたらあの視線の意味がわからない。あたしを見ていたあの眼は昔、めぐみから投げかけられた視線によく似てる気がした。嫉妬の入り交じった眼。だけど、言ってないならあたしに嫉妬するわけないもんね。単なる気のせいか。そう納得することにした。

「拓はどうしてる?」

「もう寝てるよ。さすがに遠出になっちゃったから疲れたんだろうな」

「彼女さんとの仲はどうなの?」

「悪くないよ。彼女も子どもは嫌いじゃないって言ってくれてたし、拓も父親に似て綺麗な女の人は好きだし」

 思わず苦笑する。めぐみが言ってた通りだ。でも、まさか息子にまで遺伝していたとは。

「そっちはどうなの?うまくいってるの?」

 雅也から逆に質問をされた。

「うまくいってるよ。今度、プロポーズされると思う」

と打ち込んで送信ボタンを押そうとしたが、思いなおして

「うまくいってるよ」

だけにした。彼からは

「よかった。めぐみが心配してたんだ。お姉ちゃんはいつになったら彼氏が出来るんだろうかって」

と返ってきた。

 心配はしてたと思う。だけど純粋にモテない姉を心配しているわけじゃない。大好きな夫が奪われてしまうんじゃないかという心配。でもそうだとしたら、今の状況をめぐみはどう思っているんだろう。安心して彼女に雅也と拓を託すことが出来るんだろうか。

 そこまで考えてバカバカしいと気がついた。もうめぐみは死んでいるんだ。あの子はもうなにを思ったり、考えたりすることはない。だったら今、生きている人の幸せを考えるべきだ。

「きっと、うまくいくよ」

 思わず書き込んでしまった。雅也が

「何が?」

と問い返してくる。

「あんたたちが!彼女さん、あんたのこと気に入ってるもの」

「そうか?」

「だからもっと強気で押して大丈夫だよ!」

「他人事だと思って」

 他人事じゃないよ。

「とにかく、あんたたち親子はもっと幸せになっていいんだからね」

「サンキュ。お前も幸せにならないとダメだぞ」

 その言葉に息を飲み込んでしまう。そして、

「なるよ。当たり前じゃん」

と返した。

「じゃあ明日は仕事だからもう寝るよ。おやすみ」

 彼はそう書き込んで一方的に通信を切った。あたしは、

「おやすみ……」

と言葉に出してからLINEアプリを閉じた。

 スマホを枕元に放り投げて

「なるよ。幸せに」

 そうつぶやいた。

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