第12話 あたしにとって生命が産まれるということは喜びではない

 翌日、いつも通りにバイトをしていると後輩のウェイトレスから「お客さんですよ」と声がかかった。

「高柳さんかしら?」と思いテーブルに行ってみると意外な人物がいた。

「多央!久しぶり」

 高校時代からの旧友、佐々木多央は今は斉藤多央と名前が変わってる。先月、同棲からちゃんと籍をいれたと電話を入れてくれた。

「もうすぐお昼休憩に入るから一緒にランチしよう」

と言って仕事に戻った。


「めぐみちゃんの葬式以来かね」

 午後一時半、私服に着替えてテーブルについたあたしに多央は開口一番に言ってきた。

「あの時はありがとう。一晩中、一緒にいさせて迷惑かけちゃったね」

と五年ぶりに謝罪する。めぐみの葬儀の日、茫然自失状態だったあたしのために彼女は一晩中あたしを抱きしめて泣かせてくれた。

「ところでお腹の子は順調?」

 多央のお腹をみながら尋ねる。同棲が長かった二人を結婚させるきっかけになった赤ちゃんが彼女のお腹の中にいるのだ。

「うん、順調も順調。この間、エコーでみたけど心臓もしっかり動いてたよ」

 薄手の生成りのカーディガンを羽織った彼女はお腹をさすりながら笑顔で話してくれた。

「まさか、不妊治療もしないで妊娠するなんて思ってもいなかったからビックリだよ」

 彼女は三年前に患った子宮の病気で妊娠できないと宣告されていた。だから妊娠は予想外だったようだ。

 妊娠を聞かされた斉藤くんはなんの反応もなかったそうだ。子どもは好きそうじゃなかったから、そんなものかなと思って気にもしていなかったが、翌日婚姻届を差しだしてきたそうだ。なかなかやるじゃん。

「幸せそうでなによりだよ」

 あたしのその言葉に反応するように

「そういうあんたこそ幸せらしいじゃない」

と言ってきた。

「何のこと?」

 やってきたカルボナーラを食べながら言った。チーズが美味しいうちの逸品だ。

「とぼけなさんな。彼氏が出来たらしいじゃない」

 多央はミックスフライ定食に入っているエビフライを食べながら聞いてきた。

「……なんで今ごろ?もう一年は経ってるよ」

「えっ、そうなの?あんたなんで今まで言わなかったのさ」

「言わなかったっけ?……って言うかなんで知ってるの?」

 たしかにことさら大げさにならないよう、家族も含めて誰にも高柳さんとつきあっていることは言わなかったと思う。なんでバレたんだろう。

「拓ちゃんが教えてくれたから」

 意外な人物の名前が多央から出てきた。

「拓って……めぐみの子どもの?」

「他の拓ちゃんは知らないよ。あちらとは家族ぐるみのつきあいだよ。うちの旦那と西嶋は今でもメル友だもん」

 そんなつきあいをしていたなんて全然知らなかった。

「……で、どうして拓はあたしに彼氏がいるってことわかったの?」

 もう一つの疑問を口にする。

「先週、あんたが知らないおじさんと一緒に歩いているのを見かけたそうだよ。ずいぶん仲良しだったって言ってたけど」

 先週?先週は彼とはデートもしてない。と言うより知り合いに見つかるのが嫌だから地元でデートをするのは避けてる。

「どこで歩いてたか言ってた?」

「ここの駅だって話だったよ。拓ちゃんは西嶋と電車から降りて家に帰る時にあんたたちは駅に向かって歩いてたって」

 思い出した!彼が水曜日の「ノー残業デー」にいつものようにここで食事をしてくれたんだった。その時にあたしも帰るついでに彼を駅まで見送ったっけ。

 あの時に拓たちもいたんだ。全然気がつかなかった。だったら声かけてくれたら紹介くらいしたのに。

「それで、彼氏ってどこの誰よ。あたしは知らない人だよね」

 多央がさらに食い下がってきた。まあ隠し立てすることでもないか。

「この近くの会社に勤めてるシステムエンジニアなんだって。時々、ご飯食べにくるお客さんだったんだけど」

「なによ。客に手を出したの?もしかして今日も来る?」

 周囲をキョロキョロ見回す。

 声が大きい。人聞きが悪いわ。全然進歩がない、こいつ。

「去年、映画を見に行った時に声をかけられたのよ。あたしは誰だかわからなかったんだけど『ウェイトレスさんですよね』って言われてよくよく見たら、時々店にくるお客さんだっただけだよ」

 とにかく、手を出されたのはこっちの方だということくらいは納得してもらわないと。どこで歪んで話が伝わるかわからない。

「その時はご飯を奢ってもらって別れたんだけど、そのうち店でも声をかけられるようになって。まあ、こっちも嫌いなタイプじゃないし、気がつくと……って感じで」

「なによ。色気じゃなくて食い気で釣られちゃったの?情けないな」

「うるさいな。どんな出会いだって今が幸せならいいでしょう」

「ってことは今は幸せなんだ」

 その言葉にちょっと言い淀む。

「でも、雅也が拓と出かけるなんて珍しいな。あいつも家族サービスの大切さをやっと理解したか」

 誤魔化すように話を逸らすと、多央はまっすぐに向いて口を開いた。

「……西嶋って再婚するんだってね」

 ……それは初耳だ。

「それも拓から聞いたの?」

「ううん、それはうちの旦那から。拓ちゃんはあんたの彼氏のことをあたしに電話で話してたら、電話取り上げられちゃったもの」

「斉藤くんはなんでそんなこと知ってるの?」

「あいつ西嶋からいろいろと相談受けてるのよ。いちおう年上だしね」

 だったらかなり信憑性の高い話だ。

「それで相手はどんな人なの?」

「そこまでは教えてくれなかったよ。旦那もあたしに対してうっかり言っちゃったって感じだったし。本当に知らなかったの?」

 コクリとうなずいた。まったく教えてもらってない。水臭いな。

「でも、それもそうかもね」

「なんで?」

 あたしの疑問に当たり前じゃないと言いたげに付け加えた。

「だって西嶋が再婚したら宮中家とは縁遠くなっちゃうじゃない。いくら拓ちゃんとは血縁だとしても新しい奥さんに遠慮するでしょう、あんたたちも」

 それはたしかにそうだ。

「そういえば最近、雅也の帰りが遅いらしいんだ。あれって彼女と会ってるからかもね」

「拓ちゃん、それまでどうしてるの?」

「それが帰るまでごはんも食べずに待ってるらしいの。だから、どちらかの実家に行かせるように説教しといた」

 多央が呆れたように

「これだから男親ってやつは。これはうまいこといったら拓ちゃんにとってもいいかもしれないね」

と言ってきた。そしてかつフライを食べながら

「あたしは西嶋はあんたと結婚するもんだと思ってたよ」

サラリと言った。

 あたしは食べかけたカルボナーラを危うく吹き出しかけた。むせてお冷やを飲んで、ひと息ついたところで

「……どうしてそうなるのよ」

と、やっと言えた。

「だってあんた、めぐみちゃんが死んでからずいぶんあの親子の面倒を見たんでしょう」

「そんなの当たり前でしょう。あたしにとっては可愛い甥っ子だもん。そりゃ義弟はたいして可愛くないけど見捨てるわけにはいかないじゃない」

「いやいや、だからって向こうの実家に住んでる父子の世話をやくなんてなかなか出来ることじゃないよ。普通は遠慮するもんじゃない」

 そうなのだ。あたしが拓の面倒をみるために西嶋家に出入りするのをけっして向こうのお宅は好意的に見ていないことは気がついていた。気がついていながらあえて気がつかない振りをしていた。

 母は雅也に「うちにも遊びに来てね」と言って、向こうから来てくれることを望んでいたみたいだったが、それこそ遠慮してたらこちらが接触できる機会は訪れない。

 アパートにあたしが行ってるのも気に入らないらしいがそれはそうだろう。

「でも、そうなったらいよいよあたしはお役御免だね。やっと肩の荷が下りるよ」

 そう言った。そう言うしかなかった。

 ふと気がつくと多央が肘をついてあたしの肩ごしを見つめてため息をついていた。

「どうしたの?」

 その声にこちらを向いて

「……いいなあって思って。昼ビール」

と言った。振り返るとスーツを着て黒縁の眼鏡をかけた四、五十代くらいの男性がパソコンで何かを打ち込みながらビールを飲んでいた。いいのか仕事してるんじゃないのか?いや、店としては暴れたりしなかったら昼間からお酒を飲んでもらってもかまわないのだが。

「やめなさいよ。妊娠してるんだから」あたしは多央に忠告する。

「わかってるよ。でも産まれてもしばらくは飲めないんだよね」と遠い目をする。

「母乳で育てるつもりなの?」

「出るんだったらね」多央は答える。「でも、そうなったら一歳すぎるまで飲めないよね。あと一年半、いや二年かな」

 絶望的な顔をする。

「ま、二年なんてあっという間だよ」

 そう言って励ます。

「あんたも子ども作りなさいよ」

 多央はお冷やを飲みながらそう言ってきた。なんで?

「せっかく一緒に作ってくれる相手も出来たんだし、甥っ子の面倒も見なくてよさそうになったんだから。一緒に禁酒しよう」

「どうしてあんたの禁酒につきあうために妊娠しなくちゃいけないのよ」

 ふとレジカウンターのところにいる後輩のウェイトレスがこちらを見ていることに気がついた。あたしはあわててポケットからスマホを取り出して時間を見る。

「いけない、そろそろ戻らないと。ゆっくりしていって」

 そう言ってテーブルの上の伝票を取った。

「今日はわざわざ来てくれたんだから、あたしの奢り。くれぐれも身体を大事にね。赤ちゃん死なせちゃだよ」

「縁起でもないこと言うなあ」

 呆れられた。

「もう誰も死んでほしくないからね」


 風呂場の脱衣所で鏡を見ながら乳房を触る。

 めぐみが乳ガンと診断されてから、自己検診をずっと続けている。メイクは忘れてもこれだけは忘れない。時折、コリッとした感触をみつけドキリとすることがある。たいていの場合、次の日には無くなっているので安心する。

 多央には「誰も死んでほしくない」と言ったが、あたし自身も死にたくはない。だから毎月の自己触診と毎年の検診を続けてる。

 あたしだけじゃなく母や職場の子たち、知り合った女性にもやるように伝えてる。実行してくれる人は少ないけど。

 しこりがなかったことに安堵しながらパジャマを着る。

「……子どもか」

 今日、多央が来て子作りを示唆してきたのは冗談だとわかっているが、気が重い言葉だ。今のあたしには生の喜びよりも死の恐怖の方が大きい。五年経った今でもめぐみの死に気がついた時の苦しさは忘れられない。時折、呼吸が苦しくなるほどだ。

 あの子は誰にも看取られることなく死んでいった。人一倍さびしがり屋なのにたった一人で逝かせてしまった。

 お医者さんは眠っている間に亡くなったようで自分が死んだことも気がついていなかったのではないかと言っていたそうだ。そんなの、なんの慰めにもならない。

 どうしてケンカしたまま逝かせてしまったのだろう。そればかりが頭の中を駆けめぐる。そしてそんな自己中心的な考え方に嫌悪感を覚える。素直に悲しむことすら出来ない。あの子の死に一人で立ち会ったからだろうか。他の人と一緒だったらこんな気持ちとは無縁だったのだろうか。

 あたしにとって生命が産まれるということは喜びではない。いつか死ぬことが約束されてるのに生まれて来ることになんの意味があるのだろう。

 乾いたタオルを頭に巻きながらぼんやりと高柳さんのことを考える。

 このままいけば、あたしはあの人と結婚することになるのだろう。そして子どもを作ることになる。あたしは今のこの気持ちを乗り越えてあの人の子どもを産むことが出来るのだろうか。自信がない。

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