第11話 拓はなんであたしのことを「けーこママ」って呼んでるんだろう?

【婚姻可能な年齢、女子も十八歳検討へ】

 今朝の新聞でこんな記事が目に飛び込んだ。

 成人年齢を十八歳に引き下げるのにあわせて女の婚姻可能年齢を十六歳から十八歳に引き上げるのを検討しているらしい。そんなことになっているなんてはじめて知った。詳しく読んでみると親の同意とかは必要なくなるようだ。でも、

「これ六年前に決まってたら、めぐみたちは結婚できなかったんだなあ」

そう思った。もしそうなってたらめぐみは結婚できないまま、死んでいたんだと思うとあの時に決まってくれなくて本当によかったと思う。


 新聞を置いて朝食をすませて家を出る。あれから結局、就職できないままここまで来た。いわゆるフリーターだ。あの時にアルバイトをしていた都心の短大近くのファミレスも交通費の支給が止められたのを機に辞めた。今は地元の駅前にある同じ系列のファミレスで働いてる。ここだったら歩いて通えるので交通費は関係ない。アルバイトだったら落ちたことないのに……。

 黒のスーツに久しぶりに袖を通した。就活の時には嫌というほど着たし葬儀の時にも着たのでもう一生スーツは着なくていいやと思っていた。ただ今日はなんとなく気分がスーツだったので着てみることにした。

 あたしはセンスは悪いしファッションの常識もないままここまできたのでアルバイトの通勤にスーツを着るのがファッション的に正しいのかわかってない。まあ見た感じはOLに見えなくもないんじゃないかな。

「けーこママぁ!おっはよう!」

 聞き馴染んだ大きな声が前方から聞こえてきた。おやおや、あいかわらず元気だな。

 あたしの甥っ子、西嶋拓がこっちに向かって走ってきた。黄色い帽子に水色の園児服。黄色いカバンを肩でたすき掛けした幼稚園児。彼が幼稚園に入ったのをきっかけに父親の西嶋雅也は息子と一緒に実家を出た。少しばかり昇給したのもあって西嶋家と亡くなった妻の実家である宮中家のほぼ中間地点に見つけた安アパートに父子二人で引っ越した。拓が宮中の家に行きやすくするための配慮なのだ。

「おはよう!」

 あたしも負けじと声を上げる。

 にこやかに笑いながらこちらに向かって走って来る可愛い甥っ子。ひいき目に見てるせいか、かなりいい男になったと思う。きっと幼稚園でもモテモテだろう。そんな風に思っていると彼は立ち止まらずに、あたしの足元を軽やかに走り抜けた。すり抜けざまに右手をスーツのスカートにかけてクイッと引き上げながら。

 反射的に手がスカートを抑える。タイトスカートだからめくれる心配はないはずだけど。よかったスリットのないスカートで。いやスリットのある奴持ってないけど。

「あれえ?なんで上がんないんだろう?」

 止まった拓がこちらを向いて首をかしげる。待て、なんでそんな疑問を持つ。「拓、ちょっとおいで」と手招きしてスカートめくりの未遂犯を呼ぶ。

「なあに、けーこママ」

 やってきた甥に向かってしゃがんで問いかける。

「怒んないから正直に言ってね。もしかして今みたいなこと幼稚園でお友だちとか先生にやったりしてないよね?」

「してるよ!」

 天真爛漫に答える我が甥。立ちくらみがしてきた、しゃがんでるけど……。あたしは大声で叫ぶ。

「雅也あぁ!」

 青いティシャツにジーンズ。そこにジージャンを羽織った拓の父親はこちらに向かっててくてくと歩いている最中だった。

「なんだ?」

 のんきな声で問いかけて来る。あたしは立ち上がり左手で彼のティシャツの胸ぐらを掴んで言った。

「あんた知ってたの?拓がスカートめくりをやってること」

「……ああ、本人が言ってたから。だからやっちゃダメだぞって注意した」

「全然やめてないじゃない。……ってそれよりやることあるでしょう」

 掴んだ胸ぐらを引っ張り、あいた右手で拓を小脇に抱えて早歩きで幼稚園に向かう。

「おい、俺これから仕事に行かないといけないんだけど」

 雅也が言う。

「あたしだって同じよ!あんたは幼稚園より先だけど、あたしはまったくの反対方向だよ」

「ねえ、なんで怒ってるの?」

 拓が聞いて来る。

「怒ってません」

 約束だから拓に向かっては怒ってない。監督不行き届きの保護者に対して注意してるだけ。


「申し訳ありません」

 両脇に男どもを従えてあたしは幼稚園の先生に頭を下げた。それから男たちの頭も下げさせた。

 先生たちは

「私たちは仕事中はパンツなんで問題ないです。お友だちにやっているのを見かけた時は注意してますから、いずれ自然とやめますよ。たいして面白いものでもありませんから」

と笑って答えてくれた。そうだ、お友だちが被害者なんだ。あたしは挨拶もそこそこに園内で遊んでる女の子たちに声をかけた。

「うちの拓にスカートめくりされたことある子いる?」

 問いかけに数人の手が挙がる。なぜか男の子でも挙げてるのがいるが。とにかくその子たちに頭を下げる。

「ごめんね。今度からさせないようにするから、これからも拓と遊んであげてね」と謝る。

 集まった子たちから「あの人、拓くんのお母さん?」「ううん、たっくんのおばちゃんだよ」「たっくんのママ死んじゃったんだよ」と話しているのが聞こえた。

 振り返ると雅也が先生たちと談笑していた。雅也は他の親御さんたちと比べても若いから先生やお母さんたちからも人気がある。バイトがない時にあたしがたまに拓を送った時は露骨ではないがかなり残念そうな顔をされる。

 拓もすでに他の子たちと遊んでる。わかってんのか、あいつら。

 遊んでる甥っ子を呼び寄せお友だちに頭を下げさせる。そこに拓よりも背の低い女の子があたしに近づいてきて小声で聞いてきた。

「もう、しない?」

 ああ、この子はスカートめくりをされてイヤな思いをしたんだ。やっと勇気を出して声をかけてくれたんだ。あたしは

「もうぜったいさせないから。本当にごめんね」

と改めて頭を下げた。女の子は「うん」とうなずいてくれた。自然とやめるのを待ってなんかいられない。


「女の子や女の人のスカートをめくっちゃいけません。もうしないと約束してください」

 その日の夜、バイトを早退して雅也と拓のアパートに行き、改めて拓を正座させて注意をした。

「どうして?」と聞いてきた。やっぱりわかってなかったか。

「女の子はスカートをめくられるとイヤな気持ちになるから。お姉ちゃんだって朝、スカートをめくられそうになってすごくイヤな気持ちになったよ」

「けーこママ、怒ってたの?」

 あたしは肯定する。

「はい、怒ってました。だからスカートめくりをされた女の子の気持ちはとってもわかります。人が嫌がることをやるのは良くないことだよ。そんなこと続けてたらお姉ちゃんもお友だちも拓のこと嫌いになっちゃうよ」

 そう言うと拓はあたしにひしと抱きついてきた。

「嫌いになっちゃヤだ」

 心が揺らぐ。だがここで甘い顔を見せてはいけない。

「だったらもうスカートめくりはやめて。約束だからね」

 拓は「うん」とうなずく。こういうやり方が拓への教育上いいかどうかわからないが、とにかくやめさせることが最優先だと思う。

「さて、お姉ちゃんはもう帰るね」

 抱きついてる拓を引き離し黒のエナメル革のハンドバッグを掴む。

「帰っちゃヤだ」となおも抱きついてくる。

「だって帰んないと晩ごはん食べられないよ」

 そう言うと渋々といった風情で身体を引き離す。そういえばこの子のごはんはどうなってるんだろう?

「拓は今日の晩ごはんどうしてるの?」

「パパが帰ってきたら食べる」

「え?パパいつ帰って来るのさ」

 いつもだったら夕方には帰ってきているはずだけど。

「わかんない、ずっと遅いもん」

 知らなかった。

「じゃあ今日はお姉ちゃんのうちに来て食べよう。おばあちゃんも喜ぶよ」

 そう言うと途端に渋っていた顔が笑顔になった。

「行くぅ!」

「よし、じゃあお出かけの支度をして。おばあちゃんに電話するから」

 あたしはスマホを取り出して「自宅に電話」とマイクに向かって言った。スマホはアドレスから自宅の番号を探し出してかけた。

「あ、お母さん、恵子。うん、今日ね急で申し訳ないんだけど拓を連れて行くから晩ごはんの追加お願い。……うん、雅也ここのところ遅いんだって。うん、お願い。……え?ああ、あたしの分もお願いします。うん、バイト早引けしたから」

 家への連絡を終えると同時に拓の支度が終わった……ってなにそれ?

「拓。あんた今から幼稚園に行くの?」

 そこには園服を着て幼稚園のカバンを持った拓が突っ立っていた。彼にとってはお出かけとは幼稚園に行くことらしい。

「しょうがないな。お姉ちゃんが選んであげるからそれを着ていきな」

 ファッションセンスがなくても子どもが着ていく服くらいは選べるでしょう。タンスの中をあけてひょいひょいと半袖のティシャツに短パンをチョイスする。九月になったばかりとはいえまだまだ暑いからこれでいいでしょう。

 拓が着替えている間、雅也にメールを打つ。なにをやっているか知らないけどお腹を空かせた息子を放っておいて、なにかあったらどうする気なのよ。そう思いながら文面を入力する。


「頼むから、こういう心臓に悪いメールを打つのはやめてくれ」

 煮っころがしの里芋を頬張りかけてるあたしに向かって、雅也が自分のスマホ画面を見せながら言ってきた。

「だってあんた、そこまで書かないとわかってくれないでしょう」

「雅也くん、この子なにを書いたの?」

と母が横から口を出す。雅也はスマホを母に渡す。

『件名:お前の息子は預かった。

本文:お前の大事な息子は預かった。返してほしくば本日の夕食は宮中家で取るように。

追伸、ここのところ帰りが遅いそうですね。そういう時はどちらかの実家に行くよう拓に伝えてあげてください』

 メールを読んだ母が

「あんたこれはないわ。普通に夕食をうちで食べさせますでいいじゃない」

と呆れて言った。

「普通に言ったくらいじゃわかんないって、こいつ」

「わかるわ!」

 雅也が反論する。そこで拓が

「けーこママ。人が嫌がることをやるのは良くないことだよ」

と諭してきた。雅也と母がうんうんとうなずく。分が悪い。


「あんた拓ちゃんから『けーこママ』って言われてるけど、そういう風に言えって教えてるの?」

 拓と雅也が帰った後、母が洗い物をしながら聞いてきた。

「そんなこと教えるわけないでしょう。あたしはてっきりお母さんが教え込んでるのかと思ってたよ」

 母が洗った食器を拭きながら答える。母はあたしと雅也がくっつくように願っている節がある。

「あたしは『お姉ちゃん』って呼ばせるように仕向けてるんだけど、全然その気がないみたい」

「そりゃあんた贅沢だわ。父親と同い年で母親より年上の伯母さんなのに」

 母はあたしの願いを一刀両断する。

 そういえば考えたことなかったけど拓はなんであたしのことを「けーこママ」って呼んでるんだろう?あの子が言葉を話せるようになった頃からそう呼ばれてた気がする。


 お風呂から上がって肩まで伸びた髪の毛をタオルドライしながら部屋に入った。窓を開けているからか空気がひんやりとして心地いい。別のタオルを頭に巻き付けてからなにげにスマホをチェックするとメールが入っていた。ヤバい!忘れてた。慌てて「高柳さんに電話」とスマホに呼びかける。

 スマホがアドレスから「高柳俊一」を選び出しコールする。

 呼び出し音二回で相手が出た。

「もしもし、高柳さん。ごめんなさい、今日はうっかり忘れてしまって」

 窓際まで移動して話しはじめた。ちょっと部屋の中では電波が弱いのだ。

「うん、僕は平気だけど、どうしたの?バイト早退したって聞いたから何か体調が悪くなったのかと思ったから心配でメールしたんだけど」

 高柳さんからのメールにはたしかに「元気ならメールください」とだけ書かれていた。あたしは正直に今日のあらましを説明した。彼は

「そうなんだ。君も大変だね」

と、笑って言ってくれた。

「本当にごめんなさい。せっかく忙しい中で時間を取ってもらったのに」

 改めて謝った。

「デートはいつだってできるんだから気にしないで。それよりも病気とか怪我とかじゃなくて良かったよ」

 高柳俊一さんは今のバイト先に移ってから知り合ったお客さんだ。もっとも今は店員と客ではなくおつきあいさせてもらってる。そう、あたしにも彼氏というものができたのだ。

 その彼氏と今日はバイトがあけてからデートに行くことになっていた。彼は五歳年上の三十二歳。システムエンジニアという仕事をやっているそうだ。聞くところによるとコンピューターのプログラムをつくる仕事らしい。でも、今は年齢が上がったためにプログラムをつくる人のリーダーをやることが多いそうだ。

 仕事が忙しいらしく休みどころか家に帰る時間を捻出するのも難しい。今日は大きな仕事が終わる予定なのでそれだったら早く帰れるから、あたしの仕事が終わってからデートをしようという話しになっていた。彼が仕事を終えてからバイト先に迎えにくる約束だった。メールを送ってきたところをみると仕事は無事に終わったみたいだ。

「お仕事、無事に終わったみたいですね。お疲れ様でした」

 ねぎらいの言葉をかける。

「ありがとう。今日はお客様のところへ納品にうかがったから、いつもと違ってちゃんとした格好をしてたんだけどね」

 彼の言葉に苦笑する。彼の会社はあたしのバイト先の近所にあるらしく、昼食や夕食、果ては夜食にご利用いただいてる。その時の高柳さんの格好はセンスのないあたしから見てもひどいものだ。

「それじゃ、また連絡するよ。しばらくは他のプロジェクトの手伝いくらいだろうから時間は作れると思う。その時に今日のやり直しをしよう」

 彼の言葉にまた謝って、改めてデートの約束をして電話を切った

 考えてみたら、あたしはなんでデートの日に黒のスーツなんか着てたんだろう?彼もちゃんとした格好だと言っていたから、たぶん背広だったと思う。それはそれでお互いあっていたかもしれないが、それにしてもデートという格好じゃないだろう。自分のセンスのなさに改めて呆れる。

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