第6話 おばさんになるよ
就活の成果が思わしくない。
もう十一月なのにいっこうに内定が決まらない。このままでは就職浪人決定だ。そう思うと親のコネで高卒就職した雅也が羨ましくなる。うちの親もなにかコネを持ってないかしら。
圧迫面接からまっすぐ帰宅するとお客がいた。
「おかえり」
「なによ。もう実家に帰ってきたの」
めぐみの挨拶に憎まれ口で返す。めぐみと母はリビングでメロンを食べながら談笑していたようだ。
「西嶋のお義母さんからの差し入れだよ。お姉ちゃんの分もちゃんとあるよ」
こちらの心を読んだようなことを言う。しかし、これはありがたい。面接で傷ついた心を甘いメロンで癒そうではないか。
肩に下げてたバッグをリビングの椅子の上に置いて手を洗いにキッチンに向かう。
「それにしてもメロンって今、時期だっけ?」
手を洗いながら言ったあたしの疑問に誰も答えない。知らないのか。リビングの二人はなにやらボソボソ言ってるんだけど。
「お姉ちゃん」
めぐみが声をかけてきた。
「なあに?」
「もうすぐおばさんになるよ」
なんだと?失礼な奴だな。
「残念でした。二十一歳はまだおばさんと呼ばれる歳ではありまっせ……」ん?
蛇口をしめる。キッチンにかかっていたタオルを引っつかんで手を拭きながら、大急ぎでリビングに取って返す。
「いつ?」
「……今日。お母さんと一緒に病院に行ってきてわかった」
「そうじゃなくていつ生まれるの?」
めぐみは得心がいったように
「六月はじめが予定日だって」
そう答えた。
あたしは頭の中で大急ぎで計算する。
「七月じゃないの?計算、合わなくない?本当にあんたたち結婚してからやったの?」
「……お姉ちゃん、あたしの最終月経知ってるの?」
……あ?
「自分ので計算してた」
目の前の二人がバカにしたようにこちらを見てる。
「お姉ちゃんの最終月経っていつよ?」
「そんなことより言うことがあるでしょう」
母の言葉で気がついた。
「そうだった。女?男?」
あたしの質問を母が遮る。
「……『おめでとう』でしょう!」
いただきもののメロンを食べながら母娘三人の団欒がはじまる。
「それで妊娠検査薬で陽性って出たら西嶋のお義母さんが『明日お母さんと一緒に病院に行ってきたら』って言ってくれたの」
「今朝、あんたたちが出かけた後に電話が来て『これこれこういうわけでこれから一緒に病院に行ってほしいの』なんて言われて大慌てだったわよ」
「お母さんたら『反応があったからってそんなに早く行かないほうがいいんじゃない?しばらくしてからもう一回確認してみたら』なんて言うのよ。確認するために病院に行くのにね」
「でも、産婦人科で検査なんて嫌なもんじゃない?」
あたしの疑問に
「それはそうだけど、早くちゃんとした答えが知りたいじゃない。それに妊娠したらこれから同じ検査を何回もやるのよ。恥ずかしいなんて言ってられないでしょう」
と答えた。ううん、大人だ。
「それで西嶋家にはちゃんと伝えたの?」
「伝えたわよ。だからお義母さんがわざわざメロンを買ってきて届けてくれたの」
このメロンはそういう意味だったのか。てっきりめぐみが持ってきたのだとばかり思ってた。
「それでせっかくだから今日は報告がてらこっちに泊まっていったらって仰ってくれて。……恵子、ちょっとティッシュ取ってくれる」
傍らに置いていたボックスティッシュから一枚抜き取って母に渡す。母は口元と手をぬぐって丸めてテーブルに置いた。
「じゃあ、まだ雅也はこのこと知らないの?」
彼の職場は勤務時間内は携帯電話は使用できないことになっているらしい。
「昨夜、検査薬で陽性が出たことは伝えてあるし、メールは送っているから仕事が終わったらわかると思うよ」
「そっか……それにしてもこんなに早く妊娠するなんて」
あたしの言葉に二人は怪訝そうにこちらを見る。
「あいつって結構……溜まってたんだな」
母から丸めたティッシュが飛んできて、妹からはグーが飛んできた。
その溜まってた男(めぐみからは『そんな非科学的なこと彼の前で言わないでよ!』と厳命された。怒るポイントはそこですか?)は仕事が終わってから我が家にすっ飛んできた。
挨拶もそこそこにめぐみを見つけるとガバッと抱きしめた。嫁の家族がいる前でなんと大胆な。でもこの二人が接触したのをみるのは五年前のあの日以来じゃないか。
母が雅也に夕飯を食べていかないかと言ったので彼も一緒に夕飯をこちらで取ることになった。
めぐみの夫が喜ぶのはもちろんだが意外なことに、それ以上に父が喜んでた。
「この若さでおじいちゃんだよ」
なんてニコニコ笑いながら晩酌する。あたしと母が軽く付き合う。めぐみはまだ未成年だし、雅也はなんと下戸だったのでちょっと手持ち無沙汰だったかもしれない。
父がリビングのソファで横になったのを契機に雅也が帰る。名残惜しそうにめぐみが手を振って見送る。
そのめぐみは二ヶ月前まで暮らしていた部屋ではなく、あたしの部屋で寝ることになった。
「お父さん、あたしの結婚に反対しなかったのきっと書斎のためだったんだよ」
めぐみが入籍して西嶋家に嫁ぐと父はめぐみの部屋を確保。自分のパソコンや本を運び込み書斎として活用してしまった。
「もともとあの部屋ねらっていたからね」
客間からふとんを運び込みながら答える。このふとんはあたしが寝るためのものでめぐみにはあたしのベッドで寝てもらおうと思って持ってきた。そうしたら
「なんかね、妊娠したらやわらかいベッドじゃダメらしいよ」
とか言ってふとんに潜り込んだ。本当かしら?
「お父さん、風邪ひかないかしら?」
めぐみの問いに
「毛布もかけてるし大丈夫でしょう。それよりもお母さん薄情だよね。食器をかたしたらさっさと自分だけで寝室に入っていったもんね。あんたはあんな風になるんじゃないよ」
とパジャマに着替えながら答えた。
電気を消してベッドに入って聞いてみた。
「それにしてもこんなに早く子持ちになるなんて想像してなかったでしょう」
「まあね」
「そう考えると高卒で就職した雅也や高校に行かなかったあんたは正しかったよね。学校行きながら子育ては大変だもの」
あたしの言葉にめぐみは
「まさくんには申し訳ないことをしたなって思ってるんだよね」
そう言った。
「なんで?あんなに喜んでたじゃない。あいつ子ども嫌いだった?」
「そうじゃないよ。子どもは嫌いじゃないと思う。ただ、もう少し新婚気分を味わわせてあげたかったなって」
それはわからないではないけど。さらにめぐみは語る。
「なんせ今まで待たせっぱなしだったから。『指一本ふれない』なんてバカなルールで縛りつけちゃったから結婚したら思う存分させなくちゃなって思ってた」
「考えてみたらよく五年間、やってきたよね」
「うん、まさくん別にストイックってわけじゃないからものすごい大変だったと思う。本人は負けず嫌いだし見栄っ張りだから事も無げにやったように見せたいだろうけど」
それは意外だった。そう言うとコロコロと笑いながら、
「けっこうスケベだよ彼。うっかりするとすぐに綺麗な女の子に目を奪われるから。お姉ちゃんに送ってもらったりデートにつきあってもらった時だってお姉ちゃんの方を何度見たがってたか」
そんなの全然気がつかなかった。この間の斉藤くんの言葉がちらりと頭をよぎる。
「それがわからないな。そもそもあたしみたいな
頭の中の言葉を追い払ってから疑問を告げた。
「それは好みは人それぞれだからね。まさくんの本来の好みは間違いなくお姉ちゃんだよ。だからあの時かわいそうだった」
「……まさか、同情で告白したの?」
あたしの言葉をめぐみは即座に否定する。
「ううん、チャンスだと思ったよ。今だったら冗談でもオッケーしてもらえるかもって」
「……で見事に射止めたわけだ」
「ただ、小学生相手だからね。まさかセックスするわけにはいかないじゃない。なにかの拍子にバレた時まさくんがどんなことになるか想像もできなかったもの」
「それで考えたのが『指一本ふれない』ね」
あたしはベッド脇のライトをつけてめぐみの顔を見る。突然の灯に目を細めた彼女はコクンとうなずいた。
「いま考えたらそんなことで納得してもらえるなんて無理だってわかるんだけど、あの時はそれくらいやれば認めてもらえるなんて考えてた」
彼女は上半身を起こして話を続けた。
「だからお姉ちゃんが『余計なことを言うな』って言ってくれて助かった。もしお姉ちゃん以外の人に『小学生のころからつきあってた』なんて言ったら強引に別れさせられたかもしれない」
あたしに向かって深々とお辞儀をする。
「だから、私とつきあってしまったためにずっと彼はできなかった。お姉ちゃんとつきあったらお姉ちゃんと、そうじゃなくても他の誰かとつきあってたらここまで待たせることはなかったからね」
あたしはふったんだからあたしとは無理でしょう。
「それで肝心の“新婚生活”の方はどうなのよ?」
「……それがさあ」
あたしの言外の意味を理解したのか苦笑しながら話してくれた。
「意外と『こんなもんか』って思っちゃった。考えてみたら二人ともはじめてだからね。上手くなくて当たり前なんだけど」
……ま、そんなものかもね。
「それでもちゃんと子どもはできるんだ」
「上手になるまで待ってくれればよかったんだけどね」
めぐみはそう言いながらお腹を撫でる。
「じゃあまたしばらくはおあずけなんだ。かわいそうに」
「そういうわけじゃないと思うんだけど、どうなんだろうね。やっちゃダメなのかな」
知るか!
めぐみはあたしのほうを見て
「お姉ちゃん私の代わりに彼の相手をしてくれない?」
とまじめな顔をして言った。あたしは
「……冗談でしょう」
とだけ答えられた。
「もちろん、お姉ちゃんじゃ満足させてあげられないでしょうしね。なにせ……」
彼女は右手を胸に当てて
「まだまだ十六歳、ピチピチですから」
と言いやがった。“ピチピチ”なんてもう死語でしょう。十六歳の新婚妊婦はなかなかえげつないことを、二十一歳独身女に仰る。
「……そうだね。だからしっかりつなぎ止めなくちゃね。あんたたち“二人”で」
あたしは彼女のお腹を見て言った。めぐみは
「うん」
と頷いた。だけどこれだけは言っておかないと。
「でも、二十一歳だってピチピチですからね」
翌朝、バイトに行くあたしと一緒にめぐみは家を出た。
ちょうど今時分にめぐみの旦那が出勤する。あたしは駅の方角に彼は駅の方角から反対方向に向かって歩いて出勤するので結構かちあう機会が多い。それを聞いているから彼女もその時間に合わせて帰ることにしたのだ。案の定、いつもの場所でてくてく歩く雅也に出会った。
「まさくん、いってらっしゃい」
めぐみの声に気がついた雅也がこちらに歩み寄る。
「大丈夫か?具合悪くないか?」
心配そうに声をかける雅也に向かって微笑みながら
「別に病気じゃないんだから大丈夫だよ。それよりも襟が立ってるじゃない」
そう言ってシャツの襟を直してあげた。
旦那の身だしなみを整えながら、めぐみが怪訝そうにこちらを見てきた。
「……その顔はなに?」
あたしが目を爛々として見つめているのに気がついたみたいだ。雅也もこちらを見た。
「いや、『いってらっしゃい』のチュウはまだかなと思って」
「「はあ?」」
めぐみと雅也が二人そろって声を上げた。雅也がめぐみの方を見るとめぐみはブンブンと勢いよく首を横に振った。
「だって二人とも結婚式も披露宴もやらなかったから、キスしてるのを見たことないからさ」
「なにバカなこと言ってんのよ!あ、まさくんいってらっしゃい。頑張ってね」
めぐみは雅也に手を振ったかと思うとあたしの背中を押してきた。
「ほら、お姉ちゃんもバイトがあるんでしょう」
グイグイと背中を押して歩き出す。
「お姉ちゃんは品がなさすぎるよ。大きな声で、恥ずかしいな」
「だって見たかったんだもん」
「そんなもの人前でやることじゃないでしょう」
めぐみが顔を真っ赤にして照れる。あたしが品のない冗談を言ったりするようになったのはこの真っ赤になった顔を見たかったからかもしれない。
やがて西嶋家の前に着く。
「じゃあいってらっしゃい。……なんだったらお姉ちゃんに『いってらっしゃい』のチュウをしたげようか?」
「あんただって品がないじゃない。さあ先に家に入りな。風邪ひくといけないから」
あたしがそう言うと「うん」と言って玄関のドアを開けた。
「ただいま帰りました」
めぐみの声の後にドアが閉まる音がした。
……「ただいま」か。あいつうちに帰ってきた時はなんて言って入ってきたんだろう。
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