第5話 めぐみちゃんを裏切ったらあたしが承知しませんからね

 本当に遠慮がなかった。

 あたしが家で勉強をしている時だけじゃなく、友だちとファストフードでお茶している時にもかけてくる。

「めぐみちゃん?」

 友だちの言葉にあたしはうんと頷く。

 一部のバスケ部の友だちにはうちの事情を説明している。最初は驚いていたがこうやって遠慮会釈なく呼び出されているのをみてるとかえって同情してくれる。

「わるい、また今度ね」

 勉強道具をカバンに放り込んでから謝る。彼女は手を振ってこころよく送り出してくれる。

「冗談じゃないよ」

 雅也の家に向かう途中そうひとり言を言う。もちろん着いた時にはそんなことはおくびにも出さない。

 いつもの三人での帰り道、あたしの携帯に電話がきた。表示は「佐々木多央たお」。さっきファストフードで別れた友だちだ。なんだろ?やっぱ怒ってんのかな。

「今そこにめぐみちゃんいる?いるなら替わって」

 多央がだしぬけに切り出す。なんのことかわからないが怒っているわけではなさそうだから、めぐみに渡す。彼女はおそるおそる受け取って話しはじめた。

 あたしも雅也もなにごとかと訝しんでいたら話していためぐみの顔が途端に明るくなった。突然、送話口を手でおさえて

「まさくん!“ダブルデート”しないかって言ってくれてるの」

と、雅也に伝えた。どうやら互いの家しかデート場所がない二人を不憫に思った多央と多央の彼氏が一緒に遊園地に遊びに行こうと誘ってくれたらしい。もちろん最終的にめぐみを家まで送り届けるまで(雅也は男だからたとえ夜中になってもひとりで家に帰すそうだ)徹底的に二人っきりになるのを邪魔してあげるということらしい。

 雅也と二人、あたしの携帯電話に向かってダブルデートの詳細を話しあってる。ここ数年、見たこともないような笑顔で。独り身のあたしにはとても提案できないことだよな。いや、一緒にデートに着いてあげればよかったのか。それはそれであたしが惨めだが。

 どうやら委細は携帯電話を持ってる雅也と多央の彼氏が詰めることになった。携帯をあたしに返しながら

「お姉ちゃん、ありがとう」

とこれまた満面の笑顔でお礼を言ってきた。

「やっぱやりたかったんだね、ちゃんとしたデート」

 あたしがかけた言葉に顔を真っ赤にして「うん」とうなずいた。あたしはかわいい妹の頭をくしゃくしゃと撫でながら雅也に向かって

「エスコートよろしくね」

と言った。彼はコクリとうなずいただけだった。……なんか喋れ。


 ダブルデート以降めぐみたちは積極的に外でデートするようになった。多央たちが都合がつかないときは、あたしが駆りだされた。もちろんひとりでめぐみたちの後ろを邪魔しないようにされど二人っきりにならないように着いていった。楽しそうな二人を見ていると意外と惨めじゃなかった。

 その後、あたしは無事都内の短大に合格し雅也はお父さんから紹介された地元の工場に就職することができた。

 そして、めぐみが中学を卒業した年の八月。彼女の十六歳の誕生日の次の日に二人は入籍した。


「そっか無事に入籍を済ませたか」

 多央はそう言って生中のジョッキをあげた。あたしもジョッキをあげて相手のジョッキにカチンと当てる。

「多央と斉藤くんには世話になったね」

 そう言いながら、めぐみから預かった荷物を引っ張り出した。安居酒屋のチェーン店には似つかわしくないデパートの包装紙にくるまれたそれをジョッキの中のビールを半分あけた多央に渡す。

「え、なにこれ?」

「めぐみと雅也から『感謝の気持ちです』だって」

「へえ、ありがとう。……これってもしかして二人のアツアツ写真が印刷されてるお皿なんてんじゃないでしょうね」

 その心配に笑った。

「そんな引き出物つくる余裕なんてないよ。クッキーだって言ってた」

「そうかじゃあ遠慮なく。……太るなぁ」

 そう言いながら引き締まったお腹をなでる。

「なに言ってんの。まだバスケ続けてるでしょう。あんだけ動いてたらクッキー一缶食べたって太りゃしないって」

 彼女は大学のバスケ部に所属している。いまでもバスケットボール三昧でうらやましい。

「そう言うあんたは引退してから三年。そろそろお腹に肉が付いてきてるんじゃない?」

「まあ多少はね」

 実際はお腹よりも足や腕の筋肉が脂肪に変わってる。全然動かしてないからね。

 彼女が注文したほっけに箸を伸ばす。その瞬間、箸を持った右手がはたかれた。

「なによ」

「これはあたしが注文したもの。欲しければ自分で注文しなさい」

「はあ?居酒屋の大皿メニューなんてみんなでシェアするもんなんじゃないの?」

「そんなルールは知らん」

 多央はほっけの皿を自分の方に引き寄せた。頭きた。あたしはテーブルの呼び鈴のボタンを押して店員さんを呼んだ。

「ほっけもう一皿と若鶏のから揚げ」

 その注文にかぶせるように、すかさず多央が

「生中と串焼き盛り合わせ」

 を追加してきた。

「あんた、まだ食べる気?」

「まだって来たばっかりじゃん」

「店の中で『あのテーブル大皿を一人ずつ注文してるぜ。だから、あんなにデカいんだな』なんて言われてるよ、きっと」

「……言ってないと思うけど、そうだとしても気にする必要なし。実際そうだし」

 さすが身長百七十二センチは度胸も座ってらっしゃる。あたしはそんな陰口叩かれたくないよ。

「今日、斉藤くん来るんでしょう」

 ショートボブにまで伸ばした髪を右耳だけかき上げながら多央に聞いた。斉藤くんは多央の高校時代からつきあっている彼氏だ。めぐみたちのためにダブルデートを考え出してくれたのも彼らしい。

「来るよ。バイトが上がったら駆けつけるって」

 残ったビールを飲み干してから答えた。そのタイミングで追加の生中がやってきた。

「あたし、会ったことないから楽しみだな。って言うかあの時まで多央に彼氏がいること知らなかったよ」

「会ったことない他人ひとの男をすでに“くん”付けですか?」

 めぐみがデートの報告をする時に“斉藤くん”と呼んでいたのでそのまま普通に口をついて出たのだ。呼び捨てよりいいでしょう。

 ほっけとから揚げ、それに多央の串焼きがやってきた。

 皿がテーブルに乗るのが早いか多央があたしの注文したから揚げをひとつヒョイと取り上げた。

「ちょっと待って。なにあたしのから揚げを取ってんのよ」

「から揚げ好物だから」

 から揚げを齧りながら悪びれずに答える。

「あたしだってほっけ、好きだよ。このテーブルは欲しいものは自分で注文するルールなんじゃないの?」

「違う。ルールは“弱肉強食”だ」

 あたしは黙って若鶏のから揚げにレモンをたっぷりかけた。

「なにすんの!勝手にかけないでよ。酸っぱいの苦手なの知ってるでしょう」

「だからかけたに決まってるでしょう」

 あたしもレモンがかかったから揚げは好きじゃないけど取られるくらいならば酸っぱい方がマシだ。

「……ところでめぐみちゃんたちはどっちの実家で暮らすことになったの」

 あたしは左手の人指し指をあげて軽く斜め前を指した。

「西嶋んちになったのか。本当なら女の実家で暮らした方がいいのに。どうして?」

 あたしはあげた人指し指をそのまま自分に向けた。

「宮中んちは妙齢の美少女がいるから雅也がなにかとやりずらかろうということで西嶋家に嫁入りすることになったそうです」

 あたしは娘夫婦争奪戦に負けた母親から聞いたことを伝えた。

「『美少女』ってのは誰よ?」

 自分を指した左手を挙手に変えた。

「あんた勝手に情報を盛り込みすぎ」

 多央の指摘を無視する。

「『あんたひとり暮らししてくれない?』と言われた時には泣きたくなったね。『お母さんはめぐみの方がいいのね』って」

 軽く泣きまねを入れる。

「そりゃめぐみちゃんの方がいいでしょう」

 多央は同情してくれない。

「めぐみちゃんかわいいよ。ダブルデートの時だって西嶋だけじゃなくてあたしたちにもずいぶん気をつかってくれたもの。逆に西嶋はなんであんなに喋んないかね」

 ねぎまを食べながら愚痴る。いやそれはあたしも常々思っていたよ。ほっけを口にほおばりながら

「あいつ婚約した時から喋るだけじゃなくてあたしと目を合わせることもしなかったよ。なのに籍を入れに行く時に『お姉さん、今後ともよろしくお願いいたします』とか言ってきた」

 雅也の口真似をした。

 その時、入り口の引き戸が開く音がした。店員の「いらっしゃいませ」の言葉と共に男ばかり六人がわらわらと入ってきた。

 浅黒く日焼けした筋骨隆々の男たちの中に青白い肌のニキビ面の眼鏡の小太り君が混じっている。

「六人様ですか」

という店員の言葉にひとりが右手を広げて答えた。小太り君は人指し指を一本上げていた。あ、別グループでしたか、でしょうね。

 店員に連れられて五人は奥の座敷に通された。残された小太り君は勝手に歩き出した。こっちに向かって来るような気がするけど。

「ようユウタ。こっちこっち」

 多央から呼ばれた男性がうちらのテーブルに腰掛けた。マジッすか?

「えっとこちらがあたしの彼氏で斉藤勇大ゆうたくん。同じ大学の一年先輩。年は三つ上」

 多央が隣の男性を指した。つまり二浪で入ったってことですね。ってことはダブルデートをやろうと言い出した時は無事、大学生になっていたのね。赤いネルシャツが良くお似合いで。

「それでこちらが例の宮中めぐみちゃんのお姉さんで恵子」

「……もう宮中さんじゃないでしょう」

 ボソリと斉藤くん。知ってるんだ。

「今朝、西嶋くんからメールが届いた。その返信で本人には伝えているけど改めて」

 斉藤くんはこちらに向かって頭を下げた。

「おめでとうございます」

 多央も彼氏に倣って頭を下げる。あたしも「ありがとうございます」と頭を下げる。あたしが結婚したわけじゃないけどね。

「これ、めぐみちゃんたちからのいただきものだよ、クッキーだって。帰ってから食べよう」

 多央が彼氏にさっき渡した紙袋に入ったクッキーをみせる。二人は去年から同棲しているそうだ。しかし……。

「おいくつですか」

 呼び鈴に手をかけた斉藤くんに向かって尋ねた。彼は少し考えて

「百五十九センチです」

と答えた。

「……?いえ年齢ですけど」

「それはさっき佐々木が言いましたから」

 斉藤くんは多央を指して言った。多央は右手でジョッキを持ち上げてビールを飲み、左手でVサインを作って彼の言葉に賛同した。

 そうだった。でも、自分の彼女を名字で呼んでるんだ。

「すみません」

 謝った。彼は手を振り、

「だいたい彼女とつきあっているというとまず聞かれるのは身長ですから今回もそうだと思いました」

と答えた。失敗した。たしかに身長差がいくつあるか気にはなっていた。でも聞いたつもりはなかったんだよ。

 店員さんがきて注文をとった。斉藤くんはウーロン茶とソーセージとポテトフライと取り分け用の小皿を頼む。多央は当然のように刺身の盛り合わせを追加する。

「勇大、から揚げ好きだったよね。レモンがかかっちゃってるけどどうぞ」

 そう言いながら多央があたしの若鶏のから揚げをまたひとつ取り上げて斉藤くんの口に運ぶ。また取りやがった、でも今度は大声をあげて阻止することができない。

「これ、宮中さんのじゃないの?」

 口の中のから揚げを飲み込んだ斉藤くんがそう聞いてきた。

「いいのよ、居酒屋の大皿なんてみんなでシェアするもんなんだから」

 おいこら。それはあたしのセリフだ。


 斉藤くんの注文がやってきて、やっとそれぞれの品をみんなで取り合えるようになった。

「西嶋がさあ、めぐみちゃんに指一本ふれないのはルールだからだっていうのは、まあわかる。だけどあたしとも会話しないっていうのはいったいなんなんだろうね」

 多央が斉藤くんがやってくる前の話題に戻した。あたしは斉藤くんに向かって

「それだけじゃなくて目も合わせたりしなかったんですよ。なのに結婚した途端になれなれしく話し掛けたりしてきてわけわかんない」

と続きを説明する。

「……それは西嶋くんがいまでも宮中さんのことが好きだからじゃないですか」

 ……なおさらわけがわかりませんが?

「っていうかたぶん女の子全般好きだからそこまで厳格にルールにして守らないとめぐみちゃんに申し訳ないと思ったんだと思います」

「だったら結婚した途端に話し掛けてきたのはなんで?……まさかスキあらば浮気しようとか考えてるとか?」

 多央の疑問を斉藤くんは即座に否定する。

「そういうわけじゃなくて、結婚っていうあらたに守るべき契約のおかげで楽になったんだと思う。僕は結婚しているわけじゃないけどつきあいはじめた時に『もう恋愛のことであれこれ悩まなくてもいいんだ』って思ったよ。佐々木のことだけみてればいいからね。他の女性と話しても気楽に話しができるようになったもの」

「「意味わかんない!」」

 女二人は同時に声を上げた。他の女の子と気楽に話しをされたらかえって多央の方が気が楽にならないでしょう。なんでそんなことがわかんないかな。もし、雅也もおんなじ理由なら問題だ。めぐみと結婚したからといってそんな緊張感がぬけてどうする。

 あたしと多央は生ビールから日本酒に切り換えた。

「あたしはさ、勇大のこと信じてるよ。勇大がどんなに他の女の子と親しく話してたってあたしを裏切るなんてこれっぽっちも思ってません。っていうよりあんたが他の人間とちゃんと喋ってるの見たことないんですけど」

 多央が日本酒が届く前に隣の彼氏に絡み出した。ジョッキ二杯でもう酔っぱらったの?

「あたしも雅也が今でもあたしのことを好きだとは思わないです。だけどめぐみにしてみたら突然、以前告白したあたしと親しげに話し出したら気が気じゃないと思います」

 あたしはあたしで疑問を斉藤くんにぶつけてみる。彼は困惑して

「それはめぐみちゃんは全然気楽じゃないと思います。だからすっぱり切り換えるのもいいことじゃないんでしょうね」と賛同した。

「ああ!恵子とそんなに親しく話して。さては浮気だな」

 斉藤くんの肩をゆさぶる多央。うわあ、からみ酒かよ。面倒くさい酔っぱらいになってるわ。ゆさぶられながら苦笑いをする斉藤くん。意外と喜んでるのか。

 あたしは斉藤くんの言葉に考え込んだ。雅也の方がもう結婚したんだから他の女の子と話しをしても大丈夫なんて考えているんだとしたら、あたしの方から距離をとった方がいいかもしれない。

 そんなことを考えていると目の前の酔っぱらいが斉藤くんにしなだれかかって甘え出した。しかし、背の高い女が低い男性に甘えているのはみっともいいもんじゃないな。あたしはそうしないように気をつけないと。

 冷酒がやってきた。多央とあたしは喜びいさんで飲みはじめる。どちらかというとビールよりもこちらの方が好きだな。銘柄はよくわかんないけど。


「僕らの分、出しますよ」

 居酒屋の前で言った斉藤くんの申し出を断る。

「もともと、妹夫婦が世話になったお礼としてあたしが呼んだんですからあたしが払うのは当然のことです。妹からも『しっかり接待するように』と厳命されましたし」

 いざとなったらあいつらに半分持ってもらおうと思ってるのは内緒だ。

「義理の弟を寝取るんじゃないぞお」

 斉藤くんの頭の上に頭と腕を乗っけている多央が叫ぶ。人聞きが悪い。声がでかい。

「そんなことするか!」

「めぐみちゃんを裏切ったらあたしが承知しませんからね」

 水色とブルーの縦ストライプのオフショルダーと黒のジーンズを着たツーブロックのショートカットの女が、突然こちらに向かってやってきてあたしの両の頬をつねりながら言ってきた。彼女なりに妹が気がかりなのか。でも痛い。

 斉藤くんがでかい酔っぱらいを引き剥がしてくれる。

「ごめんなさい。それじゃお言葉に甘えてご馳走になります。ありがとうございました」

 そう言って二人は駅の方面に消えていった。かなり大変そうだ。無事に帰り着けるのかな。タクシーの方が良かったんじゃないかしら。

 二人を見届けてから、あたしも家路に急いだ。

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