第4話 だけどあたしはあの視線を永遠に忘れることができなかった

 そうと決まれば善は急げだ。あたしは一階に降りて、すでに買い物から帰ってきていた母に

「今、西嶋くんが来てるから。夕食、彼の分も用意して。それと……お父さんとお母さんに大事な話しがあるから」

と、お願いした。母はそれを聞いて突然浮足立ったようだ。……もしかしてなにか勘違いさせちゃったか。

 そしてダイニングで緊張感ただよう夕食が奥の席に座った父を交えて開始された。キッチン寄りの椅子に座った母の横であたしは慌てて買い足された大量のから揚げを黙々と食べ続けた。あたしの向かいに座った当事者二人と両親は緊張で食事どころではないみたいだったが。

 ここから先はサクッと話を進めようと思う。

 リビングに集まった五人は案の定、おおもめにもめた。二人は当初の予定通り「好きだから結婚したい」の一点張りで貫き通してくれた。あたしはそんな二人の真剣さをアピールし続けた。もちろん余計なことは言わずに。

 結局、それでは話にならんと父は母に雅也の両親を呼ぶように言いつけた。

 母からの電話で西嶋家のご夫婦が飛んできた。「好きなのは構わないが結婚なんて早すぎる」という意見で両家の意見は一致した。雅也もめぐみも予想はしていたがあまりにも頑なな親たちの姿勢にいらだちを隠せないでいた。

 あたしはいい兆候だと思った。少なくともめぐみが中学一年だという理由で交際自体が反対されるということまで考えていたのだがそこがクリアされてるというだけでもありがたい。二年前からつきあっていたなどという話しを出したらもっとややこしくなっていたと思う。

「『結婚が早い』ならせめて婚約させてあげませんか」

 意見が出尽くしたタイミングを見計らってあたしは切り出した。この言葉にめぐみが目を見張ったが目で制した。もともと婚約したいというのが雅也とめぐみの主張だったのだがこの場では「結婚したい」と言い続けてきたのでみんな今すぐ結婚するかしないかという話ししかしていなかった。そこにさも今思いついた妥協案のように「婚約」を提案した。

「二人ともまだ結婚できる年齢じゃないです。最低でもめぐみが十六歳になる四年間は結婚はしたくてもできません。だから二人の想いが本物かどうか試す意味でも婚約をさせて様子を見てみませんか」

 この意見は意外にも受け入れられた。たしかに交際自体を反対する理由もないし、結婚したいというくらい意志が固いのならばせめて婚約くらいはいいかもしれない。親たちはそう折り合いをつけてくれた。

 雅也とめぐみそしてあたしはそれぞれの両親にむかってお礼を言った。


 そこからなぜか宴会がはじまった。

 ビールが開けられうちの両親と西嶋のお父さんがさきほどのから揚げの残りをあてに飲みはじめた。お酒が飲めない雅也のお母さんと未成年の三人は近くのコンビニでジュースとお菓子を買ってきて宴に参加することになった。

 あたしは気を利かせて雅也の父親にお酌をしてあげようとビールを持ち上げた。おじさんはグラスを差しだしてあたしがビールを注ぐ。その時、

「まさかめぐみちゃんがうちの息子とつきあうなんて考えてなかったな。てっきり恵子ちゃんが一緒になってくれるんだと思ってたよ」

と、言ってきた。あたしは

「んなわけないない。雅也くんは女を見る目があるから、あたしなんか選びませんよ」

 そうお愛想を返した。おじさんはがははと笑いながら注がれたビールを口に運んだ。そこは否定してよ。

 次に父にお酌をしようと顔をあげた時、めぐみがこちらを見ているのに気がついた。その時の彼女の目は……なんだろう、なんとも言えないくらい冷たい目をしていた。あたしがドジを踏んだ時にみせる冷やかな視線とも違う。あいつあんな目ができたんだ。

 だが、あたしが視線を合わせた途端その目はまたいつもの穏やかで理知的な目に戻った。ほんの一瞬の出来事だ。だけどあたしはあの視線を永遠に忘れることができなかった。

 彼女は父のグラスにビールを注いだ時にはお菓子を食べながらおばさんや母と談笑していた。


 西嶋家の人々を玄関先まで見送った後、台所の洗い物を手伝おうとしたあたしに近づいて

「お姉ちゃん、ありがとう」

とだけ言ってくれた。あたしが

「頑張ってね」

と言うとコクンとうなずいた。


 それからの二人は本当に頑張った。まずデートはほとんどそれぞれの家でするようになった。ただしそれぞれの部屋に入るようなことはせずにもっぱらリビングなどで他の家族と一緒にいるようになった。

 もちろん例の“指一本ふれない”ためであり、三年後に結婚するための準備でもある。

 ある日、あたしの携帯にめぐみから電話がかかってきた。

『お姉ちゃん今どこ?家?ちょうど良かった私、まさくんの家にいるんだけど迎えに来てほしいの。え?まさくんに送らせろって?ダメだよ!そんなことしたら二人っきりになっちゃうじゃない。とにかくそれだけは避けたいの。じゃあ、お願いね』

 しぶしぶ雅也の家まで出かけた。

 雅也の家とあたしの家は一キロメートルも離れていない。まだ夕方なのだからひとりでだって帰れるだろうに。現にうら若き乙女がひとりで雅也の家まで大事な妹を迎えに行っているではないか。

「……なんであんたが一緒に歩いてるのよ」

 あたしはめぐみの隣で歩いている雅也に向かって訴えた。雅也の代わりにめぐみが答えた。

「あたしたちを送り届けてくれてるの」

「だったらあたしを呼ぶんじゃない!」

と、雅也に向かって声を荒げた。彼は素知らぬ顔をして歩いてる。

 あたしは

「第一あんたたちなんでいつもそれぞれの家でデートしてんのよ。もっと映画を見るとか遊園地に行くとか定番のデートがいくらでもあるでしょう」と二人に向かって説教した。

「そんなのは結婚してからだってできるじゃない」めぐみが反論した。

「とにかく今は二人っきりになるわけにはいかないの。私たちだっていつでも自制を働かせられるって自信なんてないんだから。それに……」

「それに?」

「それぞれの親と仲良くなっておかないと後々困るもの」

「……なんで?」

「だって結婚しても二人だけで生活なんて無理だもの。どちらかの家に同居することになるんだから」

「……あんたたち、そんなこと考えてたの!」

「当たり前でしょう。結婚は夢物語じゃなくて現実なんだからどういう風に生活するかまできちんと考えるわよ」さも当然のように言う。

「なにより私が十六になって結婚するためにはどうしたって親の同意がいるんだから反感もたれて婚約が破棄になったら今までの苦労が水の泡になるじゃない」

 あたしとしてはあの時の婚約ですべてがうまくいったと高をくくっていただけにめぐみの言葉に甘さを反省させられる。

「だとしたらさ。めぐみが雅也の家に行った時はこれからもあたしが迎えに行かなくちゃいけないの?」

 あたしの言葉に二人は驚いたようにこちらを見た。そこまで考えていたのにあたしのことは考えてくれてなかったのか。

 結局、三人黙り込んだまま家にたどり着いた。

 玄関先で雅也はあたしたち(いや、めぐみにだけだろうけど)に手を振って別れた。あたしたちは彼を見送った後、家の中に入る。

「お姉ちゃんは受験だもんね」

 めぐみがつぶやく。そう、あたしは短大の受験が追い込みなのだ。高三の一学期だからとうかうかとしていられない。むしろ遅すぎるくらいだ。……お姉ちゃん“は”?

「雅也は受験じゃないの?」

 その言葉にめぐみがうなずく。

「まさくんのお父さんが会社の取引先の工場へ口を利いてくれたの。そこが高校に求人を出してくれるんだって」

「……一応、コネなんだ。あいつ大学行かないつもりなの?」

「うん、結婚するころには生活できるだけの収入と貯金が欲しいって言ってた」

「でも、学生結婚なんて珍しい話じゃないじゃん。あんたたちはどちらかの実家に住むつもりなんだからそんなにたくさんの生活費が必要ってわけじゃないでしょう」

 めぐみは少し怒ったように

「たぶん、私に気を遣ったんだと思う」

と言った。

「私は卒業したら高校には行かないから。本当は高校も中退するつもりだったみたい。でもお父さんたちが説得してくれて高卒で折れてくれたって」

 それは知らなかった。っていうか

「なんであんた高校行かないの?」

 めぐみはジロリとこちらを睨むと

「結婚してる人間が高校に通ったらどんな目で見られるかわかる?」

 そう問い返してきた。

「卒業まで子どもを作らないとしても変な目で見られるのは間違いないでしょう。そんなところに平然と通えるような度胸ないよ」

 結婚し大学は通えても高校は難しいというのは想像できる。特に性的なことに敏感な年齢だから。

「でも、なんかもったいないよ。あんたたち頭がいいんだし、あんたが高校を卒業してから結婚したって遅くないでしょう」

 めぐみは階段に足をかけて

「……もう決めたことだから」

 そう言って駆け上がった。

 その後ろ姿を見て思った。何言ってんだろ。応援するって言ったじゃないか。あの二人はこれからの人生、他の人とは違う生き方を貫こうとしてる。それなのに、あたしは自分の受験とかを言い訳にして手を引こうとしてる。考えを変えさせようとしてる。それは応援してるって言えないじゃない。

「めぐみ!」

 あたしは二階の妹に声をかけた。

「いつでも電話してきていいよ。いつだって迎えに行ってあげるから」

「……」

 彼女は黙ったまま階段の中程まで降りてきた。

「二人っきりの姉妹じゃない。遠慮なんかしなくていいから」

「本当?」

 あたしは大きく頷いた。

「あんたが幸せになるのを応援したいのよ。受験なんか気にしなくていいよ。むしろいい気晴らしになるから」

「……本当に遠慮しないよ」

「望むところよ」

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