第3話 指一本ふれない
「結婚するまでは指一本ふれないようにしようってお互いそう約束したの」
改めて雅也の隣に正座しためぐみがその当時を振り返って話してくれた。
雅也があたしに告白してふられ、そのすぐ後にめぐみに告られたあの日に図書館で約束通り勉強を教えてもらったそうだ。その時、めぐみの方から言った「今日からつきあってほしい」と。
「まさくんもまだ冗談が続いているもんだと思っていたみたい。てっきりふられたまさくんを慰めるためにあたしが告白したんだと思っていたって」
そりゃそう思うよ。あたしだってそう思ってたよ。でも、めぐみは真剣だった。
「私、一生懸命に訴えたよ。『本気』だって。でもまさくん、ニコニコ笑うだけで相手にしてくれなかった。だから私、言ったの。『あたしが小学生だからつきあえないの?だったら結婚するまではお互い指一本ふれないようにしよう。そうすれば小学生とだってつきあっても誰もなにも言わないでしょう』って」
無茶苦茶だ。たしかに性行為は問題かもしれないけど雅也が相手にしなかったのはめぐみとつきあうつもりがないからでしょう。
「まさくんもさすがに困ったみたいで『他人の目を気にしているわけじゃないから。ふられたばかりで心の整理もついてないし』って言ってくれて『だから約束通り五年待ってくれ』って。それで私の気持ちが変わらなかったらつきあうって言ってくれたの」
うん、雅也の言い分は筋が通ってると思う。めぐみが言ってるのは恋とか愛じゃなくて単なる「憧れ」。
「泣いたよ、私。『どうしてお姉ちゃんなの』って。『お姉ちゃんはまさくんを友だちとしか見てないのに、まさくんよりもバスケを取ってるのに、私の方がずっと好きなのに』って今考えるとひどいね私」
うん、たしかにひどい。もし本当に好きなら相手をそこまで困らせちゃダメでしょう。
「まさくん、困ってなんとかなだめようと必死だったんだけど私の方が意地になっちゃって。それで最後には折れてくれて『だったらつきあおう』って言ってくれたの。その『結婚するまでは指一本ふれない』条件で」
ちょっと雅也に同情してしまう。うちの妹が迷惑かけてごめん。
「それで実際につきあった。二年間たしかにまさくんはあたしにふれてない。デートだって図書館で勉強を教えてもらったりするくらいで。二人っきりにならないように人目につくところを選んで会ってた。この二年間で二人っきりになったのって今日、この部屋でお姉ちゃんが帰って来るのを待ってた十分くらいだけだよ」
「あんたたちそれでいいの?」
あたしは思わずそう尋ねた。
「よくないから早く結婚したいの」
めぐみが答えた。
「この二年、つきあってみてよくわかった。つきあってるのに手も繋げないし、キスだってしたいと思ってるのにできないのはつらかった。自分から言い出したんだから私が我慢するのはしょうがないの。でも、まさくんにも同じようなつらさを味わわせるのはもっとつらいの。だって、私とつきあわなかったらきっと他の人と……その……やれてたと、思うから」
「だったら別れようって思わなかったの」
あたしは感じた疑問をぶつけた。
「……思ったよ。私がわがままを言ってるってわかったから。つきあって半年くらいした時かな。私から『今までありがとう。別れよう』って言ったの。そうしたら……」
「そうしたら?」
「まさくん『いやだ』って。『好きになったんだから離れたくない』って言ってくれた。『一生、ふれなくても構わないから、一生一緒にいたい』って言ってくれたの」
「雅也、あんたどうしてそこまでめぐみのことを好きになったのさ」
やはりそこが気になる。半年くらいだとしたらまだめぐみは小学五年だったはずだ。
今まであたしに視線を合わせなかった雅也がはじめてあたしを見た。そしてすぐに目をそらしてめぐみに視線を向けた。めぐみはコクンとうなずいた。なんだ?どういう意味?
雅也もうなずき返すと再びあたしに目を合わせた。もう迷いなくまっすぐに。
「めぐみ、頭がいいんだ」
雅也が話しはじめた。なんだかずいぶん久しぶりに彼の声を聞いた気がする。
「もちろん勉強ができるって意味だけじゃない。話す内容も立ち居振る舞いも。一緒にいると居心地がよかった。正直、最初は面倒くさいなって思って仕方なしにつきあって適当なところで別れようかと思ってた。だけど、いつのまにか図書館でのデートが楽しくて仕方がなくなってた。だから別れ話をめぐみから切り出された時、思わず泣いてしまった。おかしいよな。宮中……さんにふられたときは『もっともだよな』としか思わなくて泣くなんて感情、出なかったのに」
……あたしは苗字で、しかも“さん”付けなんだ。
「だけど恥ずかしいなんて思わなかった。今、こうやって話しをするのは恥ずかしいんだけどあの時は無我夢中だったから。最初は泣いたことにも気がついてなかった。だからめぐみから言われた時はなにが起きたのかよくわからなかった」
うん、あたしはそこまで人のことを好きになったことがないからよくわからないけどきっと好きになるっていうのは理屈じゃないんだろうね。
……さて、これは聞きたくはないんだけどここまで聞いたからには避けて通るわけにはいかないんだろうな。
あたしは思い切って尋ねた。
「雅也はさ、あたしに告白してくれた時、……その……やりたいって思ってたの?」
あたしの質問に二人とも目を見開いて驚いていた。そこまで驚くことないじゃない。あたしだってこんなこと聞きたくないよ。あたしみたいな色気のない女にそんな感情を抱くなんて思ってないけど、普通男子高校生が女の子に告白するってことは、そこまで考えてるもんなんじゃないの?
「なんでそんなことは聞くの?お姉ちゃん」
茫然自失状態から最初に抜け出たのはめぐみだった。
「いいから他にも聞きたいことがあるんだから、さっさと答えてよ」
めぐみを無視して雅也に再度答えを促した。めぐみは雅也の方を向いて
「大丈夫、お姉ちゃん興味本位で聞いてるわけじゃないと思うから正直に言ってあげて」
そう後押しをしてくれた。雅也は再びうつむいてボソッと
「うん」
と、だけ言った。だからそんなに恥ずかしがるんじゃないよ。聞く方が恥ずかしいんだから。
「……で、今はどうなの?……めぐみのことをそういう目で見てるの」
「なに言ってるの」
めぐみが怒ったように聞いてきた。それを無視してさらに雅也に聞いた。
「どうなの?」
雅也は困惑したように
「……もちろん」
とだけ答えた。よし。
「それってあたしがふって半年後のことなんだよね。そんな簡単に気持ちを切り換えられるもんなの?もしかしたら誰だって良かったんじゃないの」
「ちょっと待ってよ」
怒っためぐみを片手で遮る。
「たしかに半年……ううん、もう二年は経ってるね。その間ほとんど二人っきりになっていない。指一本ふれていないのはすごいことなんだと思う。でも極端すぎてにわかには信じられない。半年後にやりたい対象を変えられるなら、たとえこれから婚約したとしてもいつ他にやりたい対象を変えちゃうかわからないじゃない。そんな危うい人との婚約に協力する気にはなれない」
めぐみの顔色がみるみる変わっている。おそらく自分のことを言われているならここまで腹をたてることはないと思う。
あたしはめぐみの方を向いて言った。
「あたしが興味本位で聞いてるんじゃないって信じてくれてるんだよね。だったらもう少し信じてよ。……ねえ雅也」
さっきから黙りこくっていた雅也が弾かれたようにこちらに向き直った。
「もしも、あたしが『やっぱりつきあってほしい。もちろん身体の関係だってありだよ』って言ったらどうする?」
「そんなのノーって言うに決まってる」さすがにそこは即答した。
あたしは頷いて
「そりゃこの場ではそう言うよね。めぐみもいるんだし」
「……要するに信じられないっていうことか。だったらまわりくどい言い方しないでストレートにそう言えばいいじゃないか」
なにか言おうとしためぐみを手で制して雅也は先を続けた。
「十年以上も片思いを続けた相手にふられたからってすぐに別の女の子に乗り換えるなんて、しかも自分の妹だもんな。そんな……いい加減にみえる男なんて信じられないのも無理ないと思う。だから協力できないっていうんなら仕方ない。俺たちだけでそれぞれの両親を説得してみせるよ」
そう言うと彼はすっくと立ち上がった。あれ?あれからまた背が伸びたんじゃないか。たしか二年前は同じくらいの身長だったと思ってたけど。そんな関係ないことを思ってしまった。
「疲れてるのに余計な時間を取らせてごめんな」雅也はあたしにそう言ってからめぐみに向かって「とりあえず今日は帰るよ。明日二人でどうするか考えよう」
と言った。めぐみは気丈に振る舞って「うん」とだけ答えた。
「……まわりくどい言い方をするなって言ったよね」
あたしは誰に言うともなしに言った。雅也が「ああ」と反射的に答えた。
「あんたたちは全然ストレートに告げてないのによくそういうことが言えるね」
「お姉ちゃんはもう黙ってて」
めぐみがあたしの言葉を遮る。
「もう私たちだけでお父さんたちを説得することに決めたんだから。お姉ちゃんは邪魔さえしてくれなければそれでいいから」
「あんたたちだってずいぶん余計なことを言ってるじゃない」
めぐみの言葉を無視してあたしはなお雅也に向かって言った。
「……どういう意味だ?」
雅也が聞き返した。
「『結婚するまで指一本ふれない』なんて説得するのに余計な話だって言ってるの」
あたしは雅也の方を向いて答えた。
「どうして?早く結婚したい理由を説明するのは当然じゃない」
めぐみがさらに問いかけて来る。
「そんな理由聞いてもしかたないよ。それはあんたたちだけの約束、二人だけで守り続けたらいい。他の人には『好きだから結婚したい』以外言わなくていいの」
めぐみに向かってそう答えた。
「『十六歳になったら結婚する』だって十分インパクトあるんだからさらに混乱するようなことを言わない方がいい。ボールを持ったらゴールまで一直線。それ以外のテクニックはこのさい不要よ」
「お姉ちゃん、それで散々相手にボールを持っていかれてたじゃない」
そういう痛いところをついてくるんじゃない。っていうかなんでそれを知ってるのよ。
「……とにかく。あんたたちはただひたすら『婚約させてほしい』だけを通すの。それ以外の余計なことはあたしの仕事だから」
二人が驚いたような視線をこちらに向けた。
「なんて顔してんのよ。頼みを聞かないなんてひと言も言ってないでしょう」
あたしは突っ立っている雅也に正座をして向きなおった。
「雅也、めぐみを大切にしてくれてありがとう。あたしに告白してくれたことより何倍もうれしかったよ」
そう言いながらあたしは手をついてお辞儀をした。雅也とめぐみはあわてて座りなおした。あたしは顔をあげて
「喜んで二人のために協力させてもらう」
そう言った。雅也は手を膝につけたまま頭を下げた。めぐみはあたしに向かって抱きついてきた。……あんたそんなキャラじゃないでしょう。
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